アー・ベー・セーからフランス語を学ぶような
世界があっけに取られたのも無理はない。今あらためて眺めても、空力フォルムの軽量ボディ、自動クラッチによるセミAT、液圧ストラットで自在に調整される車高、エアスプリング、矢のように直進するFFのロングホイールベースなど、新技術の塊。それが60年も前のことだった。まだ電子制御などなかった時代にここまでやったこと自体、ドリームカー以外の何ものでもない。なのにシトロエンは普通に売るという。この瞬間、ほかのクルマすべてが、完全に色彩を失ってしまった。
特に注目されたのは、車高を調整するハイドロニューマティックサスペンション。読んで字のごとく液体と空気を組み合わせたシステムだ。鋼鉄製の球に密封された高圧窒素ガスを、ダンパー状の筒からの液体が、ブチルゴムの隔壁越しに押すのがエアスプリング。この筒はテレスコピックに伸縮し、そこに車体側から高圧の液体(LHS)が送り込まれる。たくさん送り込めば筒が伸びて車高が上がり、抜けば下がる。この高さはスタビライザーに設けられたセンサーの角度によって決められるほか、車内のレバーでバルブを切り換えることで、任意の4段階を選ぶことも可能だ。
これによって、ドライバーだけの軽荷重でも満載でも車高と姿勢を一定に保てる。液体回路はブレーキにも直結しているから、荷重が大きいほどブレーキも強く効く。この効果は絶大で、荒れた舗装面を強行突破しても、まるで空飛ぶ絨毯のようにふんわりと柔らかい乗り心地を守り通す。それでいながら長いホイールベースと広いトレッド、それにミシュラン・ラジアルの絶大なグリップ力で、どんなコーナーも踏みっぱなしで駆け抜けてしまえる。
運転操作も楽だった。ドライバーの正面に立つ編み棒のような細いレバーを前方に押すとスターターが回ってエンジンが掛かり、左に倒すと1速に入って、アクセルと踏むと自動的にクラッチがつながって走りだす。あとは速度などに応じてレバーを右に押すたびにシフトアップ、左ならダウン。計器類も新意匠だが、何よりカーブした1本スポークのステアリングホイールが目新しかった。
空力的なボディは、開発責任者のアンドレ・ルフェーヴルが航空機と高性能車メーカーのヴォワザン出身だったことと深く関係している。形だけでなく、頑健なサイドシルを主要強度メンバーとし、細い骨組みにパネルを張ったボディ、周囲だけ金属製で、あとは樹脂パネルを嵌め込んだルーフなど、どこもかしこも特徴的だった。
1975年まで20年間もシトロエンの頂点に君臨したDS(とID)は、フランスのあらゆる分野に足跡を残したほか、大きな高級セダンでありながら、一時は国際ラリーでも大暴れするなど、いろいろな意味でスーパーな存在だった。そのDNAは、CXやXMをはじめ、以降のシトロエンすべてに生きている。