様々な断片から自動車史の広大な世界を菅見するこのコーナー。今回は今もなお、その秀逸なロゴとキャラクターデザインで人気が高い、『マーシャル』が世界の頂点に立った時代を振り返ってみたい。
ル・マンの夜に輝いたマーシャル


1923年創業のマーシャルはシビエよりも遅れて出発した挑戦者だった。1960年代の半ばに突然、自動車産業とモータースポーツの世界に挑戦を始めたマトラと結びつき、実績をあげると同時にブランド・イメージも高めていった。
ル・マン24時間レースのアルバムを見ていると、1967年まではほとんどの車両が、スポンサーのステッカーなどは貼っていない。だが、1966年から初参加したマトラと1963年から本格的に参戦を始めたアルピーヌだけが、ともに1966年からヘッドライトなどで馴染み深い『マーシャル』などのステッカーを控えめに貼っていることに気がついた。


『モトゥール』は歴史のある自動車雑誌だが、この頃はレースとスポーツカーの記事がページの大半を占めていた。表紙には毎号必ずマーシャルのマスコットが愛嬌を振りまいていた。
1967年にジョン・ワイヤーはガルフ石油をスポンサーとしてGT40の発展型ミラージュを走らせたが、その時にはガルフのロゴは付けていなかった。しかし翌1968年、ジョン・ワイヤーのフォードGT40には堂々とガルフのロゴマークが付けられたように、その年からは各車とも、さまざまなスポンサーのロゴマークを貼り付けるようになっている。

マーシャルはあらゆる電装品に関与した。白地に赤字のマーシャルのロゴが描かれているのは、やはり素敵だ。
マトラとともにル・マンに挑戦したマーシャル


これはラリーなどのコンペティション用のドライビング・ライトだろう。実際にフロントウィンドウに装着している例を見たこともある。手動で向きを変えることができる。
マーシャルは、戦前のル・マン24時間レースでも、サルトサーキットに横断幕などを貼って広告に努めていたが、1968年以降のレーシングカーそのものが広告媒体となる時代になってからは、ル・マンに出場する全車にステッカーを貼るような勢いだった。だがライバルもシビエなどは強敵であり、実際にはマーシャルのヘッドライトを装着し、そのステッカーを貼っているクルマのほうが、シビエに比べると少なかったかもしれない。それでも、ロゴマークとしてはシビエよりも断然目立っていたので、ル・マンといえばマーシャルというイメージが強いのである。特にマトラのフロントフェンダーの前面のちょうど目立つところにマーシャルのネコのロゴマークが付けられていた。

1970年前後のドライビング・ライトやフォグ・ライトは、当時の日本にも輸入され、憧れのアイテムになっていた。また、これに被せる白いビニールのカバーもしゃれていた。
だから、マーシャルはマトラとともにル・マンに挑戦した印象が強い。マトラはル・マン挑戦7年目の1972年にやっとル・マンを制覇した。フランスの自動車メーカーとしては1950年のタルボ・ラーゴ優勝以来22年ぶりの栄冠だったが、それから1973年、1974年と、マトラは3年の連続優勝を遂げた。マトラはスポーツカーの世界選手権でも、1973年はフェラーリ312PBと戦い、逆転し年間チャンピオンとなり、1974年には圧倒的な勝利を収めて世界チャンピオンとなったが、その年を限りに撤退してしまう。


これは自転車用ヘッドライトだが、スピードメーターと一体になっている。未使用の物なので、私はこのヘッドライトを装着するのにふさわしい自転車を探しているのだけれども、未だに見つからない。
そのためだろうか、1975年以降はマーシャルのロゴマークの露出が減っていった。1975年はそれでもリジェや我らがシグマのフロントフェンダーにネコが輝いていたが、その後はWMプジョーくらいで、1980年代前半でほとんど見かけなくなった。レースでスポンサー費用を使いすぎたのだろうか、経営不振からその頃にはFerodo(後のValeo)の傘下となっていたのだった。


マーシャルの様々な販促グッズではキーホルダーが有名だろう。その他、上のような灰皿やトレーもある。下の小さなルーレットでもあるゲームはちょっと珍しいのではないだろうか。