GALLERIA AUTO MOBILIA

トヨタ2000GTの世界記録樹立の一員でもあった不世出のパイオニア・レーサー鮒子田寛の半世紀【GALLERIA AUTO MOBILIA】#020

様々な断片から自動車史の広大な世界を菅見するこのコーナー、今回は趣向を変えて『不世出のパイオニア・レーサー鮒子田寛の半世紀』展の会場から1960年代からの日本のレースの先端を走り続けたレーサーについてご報告をしたい。

日本で最も多彩な活躍をしたレーサー

鮒子田は若干20歳でトヨタ2000GTの世界記録樹立の一員に抜擢され、その後も3世代に渡るトヨタ7の開発に従事した。しかもトヨタの契約レーサーのなかで最も多くの優勝をもたらして、エースとしての自負もあった。しかし、その境遇に飽き足らず、世界のフィールドに飛び出した最初の日本人レーサーのひとりである。

あなたは、鮒子田寛(ふしだひろし)をご存知だろうか? 『日本グランプリ』といえばF1ではなく、1963年に鈴鹿サーキットで始まり1969年に富士スピードウェイで終わったドメスティックなレースを思い浮かべる世代の人でなければ、記憶にないかもしれない。

会場には鮒子田家に眠っていたレースのメモラビリアが多数展示されている。ル・マン24時間レースのパスや、昔のライセンスなど。鮒子田自身が乗ったレーシングカーのミニカーも各種展示される。

日本のモータースポーツは、戦前からの歴史が第2次世界大戦によって断絶してしまい、鈴鹿サーキットが完成して1963年に第1回日本グランプリが催された時から新たに始まったようなものだ。1960年代は日本の自動車メーカーがレース活動を始め、ヤマハと手を組んだトヨタやプリンスを吸収した日産が、ごく短期間で本格的なレーシングカーを生み出して互いに国内レースで戦った時代だ。しかしそれは1969年で終わり、1970年には様々な事情で日本の自動車メーカーはレース活動を自粛し、1970年代からはプライベーターたちの時代となる。海外から最新のレーシングカーが陸続と輸入され、また日本国内のレーシング・コンストラクターも育ち始めて、メーカーとは離れたところで、日本のレースが発展した時代であった。

鮒子田は様々なカテゴリーで活躍したが、トヨタ7からシェブロン、マーチまで、やはり2座席スポーツカーの印象が強く、とくに耐久レースでの優勝実績が多い。栄光の日々の写真も網羅されている。

鮒子田は、1960年代には最も若手ながらトヨタ7で一番多くの優勝を勝ち取ったエース・ドライバーだった。しかし、1970年にはそんな恵まれた立場を棄てて、単身アメリカに渡りF-AやCan-Amで活躍する。しかし、翌年のTrans-Amで、整備ミスに起因する事故で重傷を負い日本に帰国。再起が危ぶまれたが、1972年に不死鳥のように復活し、新たにフォーミュラレースとなった日本グランプで3位となり、グランチャンピオン・シリーズの初代チャンピオンに輝いた。

トムスGBの活動は多肢に渡り、ジョン・バーナードを迎え入れてF1挑戦の機会を窺ったこともあった。これは元ロータスF1の設計者マーティン・オグリビーをシニア・デザイナーとして開発した市販スポーツカー、トムス・エンジェルT-1だが、プロトタイプだけで終わった。

1970年代の鮒子田はプライベーターとして多くの優勝を遂げる活躍をし、その傍らでル・マン24時間へ挑戦したシグマや、F1に挑戦したマキなど日本の弱小コンストラクターたちが、海外に初めて挑戦した時にドライバーとして助けている。

1966年10月1日から4日にかけてトヨタ2000GTは、3つの世界新記録と13の国際新記録を樹立した。ゼッケン3は1968年日本GPにおける3リッタートヨタ7。ゼッケン7は1969年7月の富士1000kmレースで優勝を飾った5リッタートヨタ7。トヨタ7は日本GP以外のレースにも積極的に参加した。97番はイーグルF-A、3戦目のシアトルでは3位だった。

1981年にレーサーとして引退してからは、童夢やトムスと契約して、彼らがル・マンで活躍する任務を引き受けた。1992年には英国のトムスGBの社長となり、やがてトムスGBがアウディに吸収されると、ディレクターとして傘下のベントレー・ブランドを復活させたマシーンを開発してル・マン24時間優勝に導いている。

ヨーロッパのオークションでは、時々、ルイ・シロンやジム・クラークが獲得したトロフィーが出品されることがある。今回は鮒子田自身が獲得したトロフィーのごく一部も展示されている。

このように日本の戦後のレースの最初の20年にトップ・レーサーとして活躍し、引退してからの30年は日本のチームが世界で活躍する先陣を担い、様々なフィールドで成功を収めてきたのが鮒子田寛だった。

取材協力:auto galleria LUCE(phone:052-705-6789)

Text&Photo:岡田邦雄/カーマガジン472号(2017年10月号)より転載

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