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誰もが知る有名なメーカーが出していた「知られざるクルマ」をご紹介する連載、その名も【知られざるクルマ】。第7回では、前回の「AMCイーグル」の流れを受け、AMC=アメリカン・モーターズ・コーポレーションがルノーと業務提携を結んで生み出した、知られざる「アメリカン・ルノー」を紹介する。
ルノー5の北米仕様「ル・カー」
前回は、クライスラーに吸収されて消滅した“アメリカ第4の自動車メーカー” 、AMCが発売していた「イーグル」を軸に、同社のいろいろなモデルを記事にした。
そのラストで「AMCは経営状態が悪くなり、フランスのルノーと業務提携を結んだ」と記したとおり、AMCとルノーは1978年に業務提携を行っている。1970年代末のAMCは、ビッグ3との激しい戦いによる消耗、オイルショック、次々と施行される安全基準への対応、売り上げの低迷、全車を対象にした大規模リコールによる損失などが重なり、経営状態が危うくなっていた。一方のルノー側も、すでに北米市場に「ルノーUSA」として進出していたものの、なかなか足がかりがつかめない状態が続いていた。
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シンプルで愛嬌があるルノー5(サンク)も、規格型ヘッドライト・5マイルバンパー・サイドマーカーを備えた北米仕様になると、一気に外観、そして広告の雰囲気もアメリカナイズされる。フランスっぽさは皆無(笑)。国ごとの文化の違いは、ほんとうに面白い。
ルノーUSAでは、AMCとルノーが組む前の1976年から、ルノーの傑作小型車「5(サンク)」を北米市場に投入していた。当初の車名は「ルノー5」のままだったが、すぐに「ル・カー(正しい英語ならThe Car)」に変更しており、AMC+ルノーの提携後もル・カーとして販売を継続した。シンプル極まりないサンク5の内外装・装備では北米市場では売れないため、ル・カーには派手なストライプやメッキホイールが奢られ、前後バンパーは安全基準に即した大型の5マイルバンパーに換装。ヘッドライトも法規に従った汎用の規格型を用いており、フランス本国のサンクとは大きく趣を変えていた。
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ルノー5が日本で正規輸入を開始した1976年頃は、サンクのヘッドライトが丸型だったことを覚えている人がいるかもしれない。ル・カーも当初は丸いヘッドライトだった。つまり日本にやってきたサンクは、最初は北米仕様がベースだった。のちに、日本版は外観が欧州と同様に変更され、北米仕様のエンジン+欧州仕様の外観で発売されるようになったが、厳しい排ガス規制を受けた北米仕様エンジンは、著しくパワーが削がれていた。
ル・カーは当初丸いヘッドライトが特徴だったが、1980年のマイナーチェンジで角形に変更。ダッシュボードが欧州仕様と同様に変更が施されたほか、5ドア版も北米で買えるようになった。この改良と第2次オイルショック以降の省エネ指向が後押しして、小さなル・カーの販売も好調に推移。1982年には3.7万台を売り上げた。1983年頃まで輸入が続き、アライアンスとアンコール(後述)に、そのポジションを譲っている。
面白いのは、サンクのシンプルな魅力と反する北米仕様の「ル・カー」の雰囲気が、フランス本国を含む欧州でもウケたことだった。そこでルノーは、1978年にその名も「ル・カー」という限定車を欧州で発売。約1.4万台が数ヶ月で完売したという。そしてシトロエンの救急車やリムジンなどを手がけるコーチビルダー「ユーリエ(Heuliez)」では、さらにアメリカナイズした「ル・カー・バン」を発表している。
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コーチビルダーの「ユーリエ」は、「ル・カー・バン」なるモデルを450台ほど生産した。ご覧のようにリアクオーターには丸窓、ハッチにはスペアタイヤを背負い、レインボーの帯を巻いており、流行していたバニング文化の影響を強く感じさせた。
アメリカのレースシーンを湧き立てた「サンクターボ」があった
ル・カー=初代サンクといえば、オーバーフェンダーが勇ましい「サンクターボ」が思い浮かぶ。リアシートを外してエンジンを載せてしまったモンスターマシンで、ラリーシーンの走りが印象的だ。このサンクターボ、なんとアメリカのレースでも走ったことがある。AMCではル・カーのプロモーションとして、まずノーマルのFFル・カーをチューンナップしてIMSA(International Motor Sports Association)のRSカテゴリーに出場したのち、1981年になってIMSA-GTUカテゴリーにサンクターボベースのマシンで参戦を計画。アメリカに運ばれたサンクターボは、「ルノー・ル・カー・ターボIMSA」と名付けられた。独自のボディワークと16インチホイールが与えられ、エンジンもアメリカのエンジンチューナーが260psまでパワーアップ。好成績が期待された。しかし実際には数戦に出場したのち、ルノーUSAのレーシング部門をまとめていたパトリック・ジャックマートが練習習走行中に死亡したことで、ル・カーターボIMSAが活躍する未来は、残念ながら永遠に閉ざされてしまった。
さらにルノーは1982年、「ルノー5 ターボ・PPGペースカー」を製作した。これはPPGインディカーワールドシリーズのペースカーとして、サンクターボをベースに作られた一品モノ。サンクターボのイメージを強く残しつつ、新たにFRPで作られたボディ外皮は未来的かつダンなデザインだ。ガルウイングドアを備えていたことも特筆される。
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こちらは、アメリカで人気が高いインディカーレースのペースカーとして作られた「ルノー5ターボ・PPGペースカー」。PPGとはボディ塗料などでおなじみのPPGインダストリーズという化学メーカーで、PPGはインディカーレースの冠スポンサーを務めていた。
ル・カー以外に輸入されたルノーたち……「18i」「メダリオン」
提携では、ルノーはAMCのネットワークを用いてルノーを販売する権利を持っていた。ルノーとAMCはさらにラインナップを強化すべく、1979年から「ルノー18」を北米に輸出、ル・カー同様にアメリカナイズした上で「ルノー18i」として発売した。規格型シールドビーム・ヘッドランプ、5マイルバンパー、サイドモールを備えたことで、しっかりとアメリカ車らしさを得ていた。しかし販売は決して好調とは言えないまま、1983年にセダンが、1986年にはワゴンも生産を終了した。
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AMCと手を組んだルノーは、早速ル・カー以外にもルノー自前の車種を北米に持ち込んだ。そのひとつが「ルノー18i」。ベースは「ルノー18(ディズユイット)」で、本国では1978年にデビューした、堅実でとても好ましい中型サルーン。
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本国でもラインナップしていたワゴンも、「ルノー・スポーツワゴン」として販売。前後に長い5マイルバンパー、リアバンパー上のサイドマーカー、ウインカーも赤いテールランプなどが北米仕様らしさを醸し出す。なお、ルノー18をベースにしたスペシャリティカー「フエゴ」も北米で販売されており、日本仕様の「フエゴ・ターボ」は北米版を基本にしていた。
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こちらが原型のルノー18。いかにも欧風セダンの雰囲気だ。写真は1983年発売の限定車「アメリカン」で、サンク・ル・カー同様、北米仕様からインスピレーションを受けて作られた。その後、「アメリカン2」も販売。
ルノー18iの後を継いだのが、1988年から発売の「メダリオン」で、ルノーでもAMCでもなく「イーグル」ブランドで発売された。イーグルといえばAMCイーグルの「車名」だったが、1987年にAMCがクライスラーに吸収された際に、旧AMC車を集めた「ジープ・イーグル」ディビジョンにその名を残した。メダリオンが「イーグル」を冠するのはそのためだ。メダリオンはルノー18の後継車「ルノー21」の北米仕様で、ルノー18iと同じく、セダンとステーションワゴンをラインナップした。この頃にはもう異形ヘッドランプが許可されていたため、メダリオンはルノー21とも異なるデザインのランプを付けていた。
専門誌などでは車内の広さや快適性に高評価が付き、AMCとしても期待していたメダリオンだったが、発売直前の1987年、ルノーはAMC株をクライスラーに売却しており、そのゴタゴタでイメージもダウン。メダリオンは、わずか2年ほどで市場から姿を消すことになった。
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ルノー18に後継モデル「ルノー21(バンティアン)」も、北米仕様「イーグル・メダリオン」が存在した。メダリオンは乗り心地が良い中型車で、北米でも車内の広さや快適性には高評価がついた。しかし保守的な北米市場では、その斬新なデザインがなかなか受け入れられなかったとも言われる。
AMCはルノー9を「アライアンス」としてアメリカ国内生産
ここで話を1980年代初頭まで戻そう。ルノーは1982年にAMC株の46%を取得(最終的には49%まで増加)してAMCを事実上の傘下に置き、さらに関係を深めた。そしてルノーが北米輸出の次に取った作戦は、ルノーをアメリカで現地生産することだった。それに選ばれた車種が、1981年に登場し、欧州カー・オブ・ザ・イヤーも受賞したルノーの国際戦略車「9」だ。内外装を北米風にアレンジ、装備も増やして「アライアンス」に改名、1982年からウィスコンシン州ケノーシャの工場で生産を開始した。燃費が良いクルマが求められ始めていた当時のアメリカでは、ビッグ3はまだそれを叶える小型車(サブコンパクトカー)の開発が不十分だったこともあり、サブコンパクトカーとして十分な性能と燃費を持っていたアライアンスにかける期待は、とても大きかった。
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AMC&ルノーは、ル・カーとルノー18iの輸入販売にとどまらず、1982年から「ルノー9(ヌフ)」のアメリカ国内生産を開始した。車名は「アライアンス」。ごく普通のセダンだった9も、北米仕様マジックで見事にアメリカ車に変身している。エンジンはルノー製1.4L直4OHVで、燃料噴射+触媒装備で61ps。のちに1.7Lもオプションで選べるようになったほか、1987年には「GTA」という2Lの高性能版も追加。
北米専用の2ドアセダンや、魅力的なコンバーチブルの設定、パワーステアリングやエアコン、燃料噴射を備えたエンジンなど装備も充実していたアライアンスは、市場や評論家から好評を受け、1983年にはAMCの販売台数を倍増させた。そこでAMCは、それまで作っていたAMC独自モデルのうち、「イーグル」以外の「スピリット」「コンコード」などを1983年に廃止。乗用車はルノーをベースに開発することとなった。
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アライアンスには2ドアコンバーチブルも設定。フランスでは発売がない、北米オリジナルモデル。当時のアメリカで、最も安価なコンバーチブルだったらしい。なおアライアンスには2ドアセダンも存在したが、こちらも北米のみの展開だった。
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1981年登場のルノー9。ルノー初の横置きエンジンのFF車だ。一般的なフランス車=エキセントリックのイメージと異なり、見た目は地味だが実用車としての実力は侮れず、欧州カー・オブ・ザ・イヤーも獲得している。ルノー9の後継は、「19」→「メガーヌ」とつながっていく。
さらに1984年には、9のハッチバック版「11」を「アンコール」としてアメリカ生産を開始。これによりバリエーションが増え、販売はさらに好調に推移した。AMCを救うかと思われたアライアンスとアンコールだが、同時期からガソリン価格が下落してユーザーが再び大きなクルマに戻ったこと、ビッグ3も次々と魅力的なサブコンパクトカーを開発したこと、日本車や欧州車のサブコンパクトカーも性能を高めたことなどから、販売台数に陰りが見え始めた。そして1987年、AMCがクライスラーに買収されたことで、生産がついに終了してしまった。
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アライアンスと同じくノックダウン生産が行われた「AMC アンコール」。こちらはルノー9のハッチバック版「ルノー11(オンズ)」がベースで、3ドア・5ドアがあったのもルノー11と同じ。1987年からはアライアンスに吸収して車名が消滅した。
AMCをクライスラーが買収、ルノー21ベースの「イーグル・プレミア」が登場
これでアメリカン・ルノーの命脈もいよいよ終わりか……と思われたが、AMCは1980年代初頭からルノー25ベースの大型車開発を進めており、1988年になって「プレミア」としてようやく結実した。しかし、前述のように1988年はすでにAMCが消滅していたため、クライスラーの「イーグル」ブランドから発売となった。生産は、まさにプレミアのためにAMCが建設した、カナダ・オンタリオのブランプトン工場で行われ、1992年まで販売が続いた。これより後、クライスラーはルノーベースでクルマは開発しておらず、プレミアがアメリカン・ルノー最後のモデルとなっている。
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1987年に誕生した「ジープ・イーグル」ブランドに投入された「プレミア」。ルノー25をベースにオリジナルボディと内装を与えたモデルで、デザインはジウジアーロによる。クライスラー内のブランドにも供給され、「ダッヂ・モナコ」「クライスラー・プレミア」としても発売していた。
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内装がフランス車そのものだったメダリオンと異なり、プレミアではAMC社内デザイナーによるアメリカ市場好みの造形に仕立て直されていた。この写真からは、ベースがルノー25だということはまったく窺い知れない。
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プレミアにはAMC製2.5L直4を積んだ「LX」と、PRV(プジョー・ルノー・ボルボ)製V6 3Lを載せた「ES」があった。写真はESリミテッド。ベース車が縦置きFFなので、プレミアのエンジンも縦置き搭載だった。
AMCとルノーにより登場したクルマを駆け足で見てきた。ルノー9、18、そして21のア北米市場投入は、最終的には残念な結果に終わってしまったが、これは決してルノー各車に問題があったのではなく、AMCのブランド力・販売力、販売戦略、お家事情、そしてフランス車とアメリカのマッチングなど、いろいろな要因によるものだ。事実、どのモデルも欧州ではきわめて評価が高く、販売も好調だったのである。
この他、アメリカで売られていたフランス車は、ベースよりもクセがある車種が多く、ぜひとも紹介したく思う。そこで次回は、アメリカで販売されたシトロエンとプジョーを取り上げてみたい。