レガシィやインプのワゴンの原点 富士重工(現スバル)は、ff-1 1100/1300Gのいわば後継車種として、レオーネと名付けた新型車を、1971年10月に発表した。レオーネがどういう性格を持った車種であるかは、このときの状況を見ればハッキリとしていた。2ドア・クーペが先行して登場したのである。スバル1000~ff-1は高い理想を掲げたクルマであったが、人々を惹きつける華やかさはいささか不足していた。富士重工の若いデザイナーたちは、自分たちが作りたかった2ドア・クーペに情熱を傾けたのである。 【画像22点】ブラットから作られたレオーネ・エステートの全貌はコチラから! これを堕落と取る人も、大衆への迎合と見る人もいるかもしれないが、1960年代と1970年代では、自動車を取り巻く環境が大きく変わったことに留意しなければいけない。マイカー=ファミリーカーという時代ではなくなってきていたのだ。こうしてスタイリングを重視して登場したレオーネであったが、確かに流麗なコークボトルラインを採用していたものの、比較的高めなウェストラインは若干奇異な印象を与えたかもしれない。これは、ボディサイズ拡大等を理由とするボディ重量の増加を抑えるための策であったという。ガラスは鉄板より重いため、その面積を極力減らしたのだ。 初代レオーネのエポックメイキングな点として挙げられるのは、4輪駆動をラインナップしたことである。ライトバンと4ドア・セダンに用意された4WDは、世界的にも反響を呼んだ。セダンやワゴン/バンといった、一般的な形態の量産車に4WDが採用されたのは、このレオーネが世界初だったと言ってもよいのである。 スバルの4WD開発は、東北電力の依頼によって宮城スバルで試作されたスバル1000バン・ベースの改造車が、その発端として知られている。1971年の東京モーターショーでは1300Gバン4WDを正式に展示、8台が東北電力や防衛庁に販売されたという。スバル流のFF車は、前からエンジン、クラッチ、ミッションの順で搭載されているので、4WDを作りやすい構造だったと言える。その上、左右対称のメカニズムレイアウトは、4WDシステムを採用する上で、非常に効果的でもあった。 ピックアップのボディをライトバン化 ここでご覧頂いているのは、この初代レオーネ後期型(1977~1979年)のエステートバン1600 4WDを1/25スケールで再現したプラモデル完成品である。と言って、バンのキットが存在したわけではない。レオーネには、その4WDをベースとしたピックアップのブラット(北米市場専用車種)という派生車種があり、アメリカのAMTからプラモデル化されている。この作品は、そのブラットのキットをベースに、日本仕様のバンへと改造したものなのである。 ブラットは2ドア・セダンがベースなので、フロントウィンドウ周りはそのまま使用可能だ。そのルーフ後半からリアピラー、サイド上部を切り取った上で、ヒートプレスで作ったルーフ、プラ板から切り出したボディ側面を組み合わせ、バンのボディを構成している。ブラットは4灯ライトだがバンは2灯のみなので、フロントフェイスは大きく作り直し。ワイパーを逆向きに改めたほか、カウルベンチレーターのスリットも細く作り直している。ホイールはタミヤのロータス7から流用、シャシー裏面は推測も交えて排気管の取り回しを左右反転させた。 ブラットのキットではエンジンルームにスペアタイヤは付かないので、作例ではファイアウォールも作り直し、エアクリーナーの後ろにタイヤが収まるように改修。ダッシュボードもブラットは当然左ハンドルなので、バラバラに切り分けた上で左右を入れ替えて再接合するという方法で右ハンドル化を敢行。このダッシュボードのほか、フロントシートとフロアパネルの一部はブラットから流用したが、それ以外はプラ板を使った自作で補っている。 作例の制作に使用したブラット。最近も再販されているので、そのまま作るもよし、レオーネへの改造に挑むのもよいのではないだろうか。 素組みのブラット(制作:畔蒜幸雄)とともに。ルーフからボディサイドをこのように切り離し、自作したボディパネルを組み合わせてバンのボディを構成した。 全文を読む 作例制作=周東光広/フォト=羽田 洋 modelcars vol.137より再構成のうえ転載