1981年10月30日~11月10日に晴海で開催された、第24回東京モーターショー。そのマツダ・ブースに斬新的なコンセプトカーが出展された。その名は『MX-81アリア』。そんな幻の1台が、40年の時を経て蘇る。
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復活を遂げた幻のショーカー
ND型ロードスターの元開発責任者であり、現在はマツダのロードスターアンバサダーを務める山本修弘氏の元に、ある日、イタリアマツダから一通のメールが届いた。それはとあるコンセプトカーの所在を尋ねる内容だった。
そのコンセプトカーとは1981年の東京モーターショーで発表された『MX-81アリア』。Mはマツダを、Xは未知なる存在(もしくはエクスペリメンタル)、そして81は年。後にMX-5ミアータ(ロードスター)など市販車にも使われた”MX”が初めて車名として使われたショーカーでもあった。
どうしてイタリアマツダがMX-81の所在を確かめたかったのか。MX-81をハッチバック車(実際にファミリアがベースだった)の未来提案として実際に企画し製作したのは当時のカロッツェリア・ベルトーネだった。それからちょうど40年経った今、MX- 30というまた新たな挑戦となる新型車をイタリアで発表するにあたり、40年前と同じようにMX-81の現車をミラノのドゥオーモ広場に置いて、意欲作であるMX-30と一緒に並べてみたいというアイデアだったのだ。
幸いにもMX-81は広島のマツダ本社に保管されていた。役目を終えたコンセプトカーがその後もずっと保管されるのは実を言うと珍しいことらしい。それだけこの作品が当時、マツダの社員を含め多くの関係者に衝撃を与えたからに他ならない。
ファクトリーの片隅とはいえ40年間も放ってあった個体である。塗装も色味をしっかり残していたし、見た目はさほど悪くなかったけれども、新型車と並べた撮影に耐えうるコンディションではなかった。
そこでマツダは現車をイタリアへ送り、プロの元でレストアを施すことにする。担当したのはスーパースティーレというトリノのカロッツェリア(ジウジアーロの新会社GFGスタイルの隣)。実はここ、1970年代からベルトーネで活躍したアリーゴ・ガリッツィオ氏が中心となって2015年に創設された会社で、アリーゴ亡き今は子息のフラヴィオ(フラーテック)などフリーランスの職人集団をまとめている。
オリジナルの部品や素材をできるだけ残すことがワンオフモデルのレストアの基本である。使われていた外板パネルを丁寧に修復し、当時の色合いを復活させたほか、インテリアも徹底的な洗浄と補修によって当時の風合いを再現している。もちろん、可動状態にまで復活させた。
MX-81のコンセプトは40年経った今見てもまるで色あせていない。コンパクトなサイズ、開放感にあふれたキャビン、アクセスしやすいシート構造、そして何より2021年現在でも未来感にあふれるコックピットなど、40年前のクルマとは思えないほどだ。
マツダとベルトーネの縁はさらに遡ること20年、1962年に始まった。当時のベルトーネといえば後のマエストロ、ジョルジェット・ジウジアーロの時代だ。ルーチェサルーンはジウジアーロが基本デザインを描き、市販された最初のコラボレーションモデルである。独特の世界観を持つ日本のブランドに、若きマエストロは大いにシンパシーを抱いたという。
デザインのマツダ。その源流はイタリアンカロッツェリアと共に歩んだ20世紀にあった。そしてもちろん、彼らから刺激を受けた広島がさらなる高みを目指した結果が今、我々が目にしているマツダ車なのである。