LE VOLANT モデルカー俱楽部

貴方はいくつ理解してますか?黄金時代のプラモデルを特別なものにした12のポイント!【アメリカンカープラモ・クロニクル】第2回

アメリカンカープラモ特有のフォーマットとは

第1回でふれたとおり、アメリカンカープラモはさまざまな要因によって、日本では雑誌などのメディアにあまり積極的に取り上げられない状況が長らく続いた。

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「日米貿易摩擦」という言葉をまだ憶えておいでの方も多いだろう。自動車産業はアメリカにおいてまず全世界規模の隆盛をきわめ、その寡占市場にドイツ、フランス、それから日本車が切り込むことで状況が次第に変化し、1970年代のオイルショックを大きな潮目として、輸入車、ことに日本車はアメリカのみならず世界市場で大躍進を遂げることとなった。

自動車産業ときわめて密接な成り立ちを持つアメリカンカープラモとそれらの日本での受容は、こうした自動車産業の勢力争いと無縁どころか非常に強い関連がある。車と同様、プラモデルを工業製品、貿易とかかわる輸出入商品と捉えたとき、外来のものよりもまず自国産の製品をもり立てようとするのはどこの国でも自明のこと。

日本のプラモデル産業の本格的な勃興は1970年代、まさに火を噴くような摩擦の季節、本物の車と同じ図面から生を受けたアメリカンカープラモがどこか積年の仇であるかのように言われ、よくて日本製プラモデルがいかに優れているかを語るためのダシ程度にしか扱われてこなかったのも合点のいくところだ。

この「隔離」とも呼べそうな長い期間は、アメリカンカープラモと日本製カープラモとの差異をかなり拡げてしまった。まだ日本製カープラモが影も形もなかった頃にプロモ譲りの構成でまず成立し、1960年代にはすっかり独自のスタイルにまとまっていったアメリカンカープラモのフォーマットも、ことによっては今の本邦のカープラモファンにとっては違和感の塊でしかないかもしれない。

プラモデルの魅力を形づくるのはまずキットのフォーマットである。ここではそのざっくりとした解説を、フォーマットがほぼ出揃った1960年代の1/25アメリカンカープラモを例にとって試みたい。なお、以下に挙げる要素にはいずれも例外があることをはじめにおことわりしておく。

・コンバーチブルかハードトップ
アメリカンカープラモ、特に実車のニューモデルと呼応して展開されるアニュアルキット(年次キット)は、最初に屋根のないコンバーチブル、続いてその屋根付きバージョンであるハードトップが順に製品化されるのを通例としていた。コンバーチブルがまだ魅力的な商品だった時代の要請であり、その優雅な幌をより実用的に模したハードトップもまた、当時の金型成型上の困難となるBピラーを持たず、製品化にはまことに好都合だったわけだ。セダンなどは人気がなかったわけではなく、コストがかさむから製品化されなかっただけのことだ。

・3イン1
本来の車そのものの姿をしたプロモーショナルモデルを既に展開していた模型メーカーは、金型から打ち出したバラバラのパーツ群をそのままパッケージングして商品化するにあたり、ユーザーによる仕上がりへの積極的介入を楽しみとして認知してもらうべく、姿かたちのすっかり変わるカスタマイジングパーツを数多く盛り込んだ。アメリカンカープラモの箱に躍る3イン1といった文字は、そのモデルの工場出荷状態を指すファクトリーストック、そこへ改造を施したカスタム、マーキングやゼッケンで華やかに飾り立てたコンペティティブ(レーサー)といった選択肢があらかじめ用意されていることを意味した。

側面ウィンドウなし、メッキのライト一体グリル、前輪もシャフト式のシャシーといった、黎明期アメリカンカープラモの典型例であるジョーハン製1960年型デソート・アドベンチュラー。実車の図面を基に生まれたボディは、ここまで美しい作品になりうる。(制作:畔蒜幸雄)

・エンジンの再現
プロモーショナルモデルにもアメリカンカープラモ誕生時にも実は存在しなかったエンジンパーツ。これもまた、手間のかかる工作時間をより充実した体験とすべく盛り込まれた新機軸で、これによりユーザーは本物の車と同様のこだわりを手にすることができた。当時のアメリカ自動車産業が競合他社との差別化のため、エンジン性能のアピールに余念がなかったことも少なからず影響していた。やむをえず部品が細分化され、工作が一番困難な箇所でもあるエンジンパーツは、より幼いユーザーを対象としたキットでは大胆に省かれ、カーブサイドモデル(エンジンなしモデル)という語を生むこととなった。
註:カーブサイド(Curbside)とは「縁石寄り」、つまり路肩に駐車した車の状態を指す。

・フリクションとスクリューボトム
アメリカンカープラモのホイールは金属製のシャフトでその左右がつながれ、完成後は転がして遊ぶことができた。この単純な機構は俗にフリクションと呼ばれ、想定されたユーザーの年齢層を考えれば当然ながら、これによって犠牲となる足まわりのステアリング機構の再現は重要視されず、シャフトを通すために邪魔となるエンジンの一部には遠慮なく実車にはない凹みや穴が穿たれた。また、ボディーとシャシーの上下結合には、ボディー側から筒状に突き出たパイプとシャシー側からねじ込む金属製のネジが用いられたが、このパイプはインテリアやウィンドウといった各部の位置決めを確実にする目的にも使われた。
註:フリクション(Friction)は古いティントイなどにみられる同名の機構とは異なる。

・バスタブ型インテリア
通常の金型で抜きうるかぎりの一体化を図る。これがコスト削減につながるという考え方が支配的であった黎明のアメリカンカープラモは、フロアからドアの内張り、窓のクランクハンドル、シートにいたるまで積極的に一体成型がなされたが、「完成後見えなくなるから」という動機ではないことを物語るように、インストゥルメントパネルなどは指針や文字ひとつにいたるまで、また完成後まったく見えなくなるアクセルペダルなどもきちんと彫刻された。「抜けるか抜けないか」が細部の省略を決める重要な分水嶺だった。

・メッキのかかったライトレンズ、存在しないサイドウィンドウ
アメリカンカープラモのフロントフェイスは、かなり長いことグリルやバンパー、ライトレンズまでもがひとまとめに一体成型され、まるごとメッキ加工が施された文字どおりの「マスク」だった。ぎらりと光るメッキのレンズは、その奥にあるリフレクターの鏡面表現も兼ねた見立ての産物で、製造上のコストにとって決定的なフォーマットのひとつだった。また、多くのキットは本当は存在するはずのサイドウィンドウが含まれていなかったが、これはゆるく傾斜したフロントとリアに較べてサイドウィンドウが切り立っているため、これらを一体成型としたときに金型とパーツ間の摺動面となりやすく、傷が入ったり金型から外せなくなる事故を避けるためだった。

・塗装指示なし、デカールはカスタムパーツ
プラスチックは材料にあらかじめ任意の色材を混ぜることで非常にカラフルにすることができる夢のようなマテリアルだった。これは金属とも木材とも決定的に異なるバリューであり、アメリカンカープラモ誕生のきっかけでさえあった。プラモデルへの塗装指示はずっと後年、プラスチックに塗れる塗料の製品化とラインナップの充実によって初めて登場するプロセスだった。デカールもまた現在のように必須の存在ではなく、あくまでもレーサー仕上げを望んだユーザーだけがチョイスするカスタムパーツのひとつだった。

・ざっくりとした組立説明書
要所においてひたすら一体成型を図ってコストを下げ、驚くような大量生産に資したアメリカンカープラモはその誕生初年次、まったく共通の組立説明書が同梱されていた。極力一体化を図ったプラモデルのパーツ構成はだいたいにおいて同じであって、そこから逸脱する細分化と個別化は途端にコストをはね上げ、ユーザーの工作を難しくする悪手だったのだ。この簡素な組立説明書は、キットの構造が時代の要請により複雑化を果たすまで、それほど大きく変化することはなかった。

・靴箱のようなパッケージ
アメリカンカープラモのキットは現在もおおむね同じようなサイズの箱に収められている。これはもともと大量の商品を高く積み上げてどんどん売るための工夫で、主な販路であるウォルマートなどのスーパーマーケットの販売事情にきわめてよく適合したものだった。中身を説明するものはすべてイラストレーションで、まだ写真印刷の技術が未熟で高価だった当時の状況を反映しており、キットに含まれるおまけパーツなどのアピールポイントは箱のサイドに要領よくまとめて描かれた。
キットを組み立てて遊んだあとはさっさと捨ててしまえるように、箱をたたみやすくするための折れ線(ときにはミシン目)が入れられていたが、これは思い出をかさばらないようとっておくにも重宝した。
また、この箱の隅にひっそり書かれている商品コードのハイフンより後、「-150」や「-099」といった数字はそれぞれ1ドル50セント、99セントといったふうに、実はそのキットの価格を表していたのだが、さまざまなコストダウンのすべてはそうした低廉な数字の実現、欲しがる者全員にいきわたる生産量を約束するためにはどうしても必要なアプローチだった。

■      ■      ■

21世紀の現在、こうしたフォーマットもだいぶ変わってきている。左右ホイールをつなぐシャフトは廃れ、ウィンドウはそれぞれ窓枠に収まるようになり、ライトレンズも透明化、組立説明書はすばらしく親切になった。ただ、そんなフォーマットのアップデートは見ようによってはアメリカ以外の発想を巻き込んで均質化を果たした結果といえなくもない。

それでもなお、アメリカンカープラモが今もどこか超然として映るのは、グローバル・スタイルでは替えがきかない、ありったけのアメリカン・ウェイ・オブ・ライフを箱につめ込み続けているからだろう。

photo:羽田 洋、服部佳洋、畔蒜幸雄、秦 正史

この記事を書いた人

bantowblog

1972年生まれ。日曜著述家、Twitterベースのホビー番組「バントウスペース」ホスト。造語「アメリカンカープラモ」の言い出しっぺにして、その探求がライフワーク。

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