現代において、工場で生産された新車の乗用車は、主にキャリアカーで消費地または出荷港まで運ばれています。しかしかつては、専用貨車を用いた鉄道輸送が盛んでした。
日本で自動車生産が盛んになりつつあった1960年代、大量かつ安価に完成品乗用車を運ぶ輸送手段として鉄道が着目されました。当初は、自動車メーカーごとに積載する車種に特化した専用設計の小型貨車が数種類試作的に製作されました。例を挙げると、トヨタ・パブリカ専用のシム1000形、ダイハツ・コンパーノおよびハイゼット専用のシム2000形、三菱ミニカ専用のシム3000形が製作されています。ただし荷役にクレーンが必要だったり、車種がモデルチェンジすると改造が必要になったりすることで本格採用には至りませんでした。
決定版となったのは1966年に試作車が登場したク5000形。二階建て構造で、メーカーや車種を問わず自動車は編成端から自走で順に積み込まれます。車両同士の連結部には渡り板が渡され、連続的な荷役作業が可能です。また、二階建てになっていることから積み込み用のスロープは傾斜角が調整できるようになっていました。
この輸送方式は当初大好評で、国内の全乗用車メーカーが利用し、ク5000形の在籍両数は実に900両を超えました。しかし衰退するのも早かったのです。一説には国鉄で頻発していたストライキが嫌われたこと。また、整備が急速に進んだ高速道路網を使ったトラック輸送が伸長したことなどが要因と言われています。
最後までこの輸送方式が用いていたのは日産自動車で、栃木工場から輸出の出荷港となる横浜本牧埠頭間を結ぶ「ニッサン号」として知られました。しかし1996年までにこの輸送も終了。その後、一部地区において乗用車を専用コンテナに積載して輸送する「カーラック方式」が実用化されましたがそれも終了済となっており、現在の我が国の線路上では自動車輸送は行われていません。
鉄道を使った自動車輸送には、このほかにもカートレインやピギーバックといった興味深い輸送形態があります。それらを一覧できる本が、RM Re-Library14『車を運ぶ貨車』です。歴史的経緯や形式図、諸元表といった資料類、さらに実際の運用とその終焉した理由までを詳しく解説しています。