英国製スポーツカーを思わせるメカニズム
トヨタ2000GTのハセガワ製1/24スケール・プラモデルと、そのキットをゴールドで仕上げた作例については、前編の記事(下の「関連記事」参照のこと)ですでに述べた。後編では、実車のトヨタ2000GTについてすこし触れておこう。
【画像31点】ボディカラーの塗装から細部の仕上げまで、その工程を学ぼう
1967年に発売されたトヨタ2000GTは、我が国初の本格的なGTカーである。ロングノーズ・ショートデッキのボディの内側には、ロータス・エランを思わせるバックボーンフレーム・シャシーがあり、サスペンションは前後ともダブルウィッシュボーン、ブレーキは前後ともディスクと、その内容はまさに当時最新のスポーツカーのものであった。
搭載されるエンジンは、車名の通り2L(排気量1988cc)のDOHC、3M型。これは当時のクラウンに搭載されていた6気筒SOHCのM型をベースとし、ヘッド周りをツインカムへと改めたユニットであった。ソレックス製キャブレターを3連装し、最高出力150ps、最大トルク18.0kg-mを発揮。これにより、重さ1.1トン少々のボディを最高速度215km/hで走らせた。このエンジンの設計にあたっては、開発協力にあたったヤマハによる部分が非常に大きかったともいう。
もうひとつ、ヤマハの協力ならではのものがゴージャスなインテリアだ。ウォールナット(後期型ではローズウッド)を使用した本木目のダッシュボード/ステアリングには、同社が楽器の製造で培ったノウハウが活かされていた。2000GTは、1967年5月に発売され、1969年8月のマイナーチェンジを経て1970年まで販売されたが、非常にコストのかかる車両であったため、何台売れても赤字であったと言われている。
ボディカラーに相応しい、さらに特別なエピソードも
ゴールドのボディカラーをまとった2000GTは、前編の記事でも触れられているとおり、前期型2台と後期型1台の計3台が製造されている。当時の純正色には存在しなかったこの色は当時、東京モーターショーの出展用として、特別に塗装されたものであった。前期型のゴールドの出展車には、1967年のモーターショー会場でその傍らにモデルのツィッギーが立ち、彼女はいわばコンパニオン的役目を務めた。このゴールドの1台がツィッギーに贈られ、彼女はそれを英国に持ち帰って愛用した、というのも有名なエピソードである。