1988年〜1991年 ゴリアテ
1988年2月27日から29日にかけ、アゼルバイジャンのスムガイトで起きた流血の惨事によって、それまで第二次大戦後の国際秩序をアメリカと大きく二分してきた巨大勢力が大きく揺らぎはじめた。その動揺は約三年半のあいだひたすら加速し続け、最終的には1991年9月5日に採択された法的措置によって、ソビエト連邦の消滅は決定的なものとなった。
【画像99枚】MPCからリンドバーグへ、あの男の意思がよく分かる画像を見る!
世界の政治・経済・社会、さらには文化が不可逆的に変容した1988年から1991年――このピリオドが本連載第44回の舞台である。世界的な大局において、ソビエト連邦の崩壊はアメリカの単純な勝利を示すものではなかった。それは冷戦というこれまでの緊張しつつも安定した秩序の終焉であり、アメリカ自身が新たな時代の混沌に直面することを意味していた。
時同じく、1991年を最後に、アメリカンカープラモの「時代をかたちづくってきたシステム」――アニュアルキット制度もまた崩壊した。かつてデトロイトとの協働によって築かれたアニュアルキットは、ただの商業的な製品ではなく、模型文化そのものの骨格だった。
デトロイトが毎年生み出すニューモデルを、デトロイトとの密接な連携においてキット化し、1/1スケールの実車販売の促進にも寄与しつつ、潤沢な宣伝コストをかけたデトロイトの売り言葉にキットも乗じることで販売を伸ばす、非対称性を残しつつも互助的な「システム」であったということができる。
このシステムはアメリカンカープラモを、派生的なおもちゃに過ぎない位置づけから一歩「成熟した趣味」の深みへと導き、「ユーザーみずから組立・塗装をする行為は、模型の完成度への積極的な介入である」という意義を市場に認めさせた。また、半ばデトロイトの公式アイテムであるアニュアルキットは「本物に忠実である」という主張を説得力をもってユーザーに印象づけ、10歳の子供だけではなく、大人がわざわざ時間を割くに値する価値を作り出した。
MPC金型の’91ポンティアック・ファイアバードGTA(品番6024)は最後のアニュアルキットとなり、1964年にひとまずamtのバッジを借りるところからスタートを切ったMPCは、1989年、AMTアーテル・バッジの下で消滅した。火の鳥は永遠不滅の象徴ではなかった。
すでに市場はそうなっていたが、このことでアメリカンカープラモはますます公然と、過去の幻影ばかりを追いかけるようになった。
火の鳥がまるで白鳥のように美しく鳴く2年前、RPM傘下でクラフトハウスを率いるジョージ・トテフは、アメリカの老舗模型メーカー・リンドバーグを買収した。
リンドバーグは疲弊していた。かつてアメリカで最古参のプラモデルメーカーのひとつヴァーニーと競い合ってこれを下し、飛行機模型から撤退させたこともある実力者リンドバーグだったが、移り変わりの激しい市場に翻弄され、それに追随するために採った「閉業した模型メーカーの金型を積極的に買い取る」戦略がことごとく裏目に出て、彼らの名声は1980年代にはすっかり地に墜ちた。
![](https://levolant.jp/wp-content/uploads/2025/02/lvw044acpc098.jpg)
1991年にリリースされた、新生リンドバーグによる1/20スケールのダッジ・ステルス(品番72501)。実車は見てお分かりの通り、三菱GTOの北米市場における兄弟車である。’91インディ500の公式キットという当ては外れたものの、リンドバーグのこのスケールに賭ける意気込みは相当なものだった。より詳細な解説はシボレーS-10ピックアップに譲るが、デトロイトと離反することなく、日に日に存在感を高める日本車をテーマに取り込むチョイスの巧みさはジョージ・トテフならではの舵取りといえる。
1960年代というホットロッドとアメリカンカープラモの熱狂的な10年間に際しては、リンドバーグは1/25スケールのボリュームゾーンをあえて避け、ビッグスケールとミニスケールを両輪として果敢に戦ったが、amtの仕掛けた1/25スケールをすっかり世界の中心と認識していた市場の反応は冷たく、同社はそのギャップを埋めるべく、1975年に閉業したパーマー・プラスチックスから多くの金型を買い取って市場に投入しようとした。
しかし時代遅れのマルチピース成型ボディー、難しい嵌合、デトロイトの資料に一切よらないスタイルの悪さといったパーマー製品の低い評価をそのまま引き継いでしまうことはかえって命取りともなりかねない。
リンドバーグ本来の技術と知見を注いだビッグスケール・ホットロッドの力作が、相応のサイズと高価格ゆえに手にも取ってもらえないまま、間に合わせの普及スケール製品だけを見た辛辣な悪評によって「リンドバーグのカープラモは敬遠すべき」とされたのではたまらない。
緑のフェルトが敷きつめられたテーブルに大きく賭ければ賭けるほど、手持ちのチップばかりが減ってゆく。フェルトの向こうに幸運の女神がいると信じればこそ、リンドバーグはいよいよ進退窮まっていた。
Unstrange Bedfellaws――1/20スケールの下に
「雪辱を果たしましょう。私にはそのノウハウがあります」
そうはっきり言い切って差し伸べられたジョージ・トテフの手を、リンドバーグは握り返した。
「どこもやっていないスケールをやりましょう。1/20スケールならば、われわれは勝者になれます。誰よりもうまくやるだけのことです」
ビッグスケール市場に一番乗りを果たした先駆者・開拓者になることを一度は志したリンドバーグとジョージ・トテフは、古い中国の言葉に云う「異榻同夢(いとうどうむ)」の間柄にあった。同床異夢の対義、それぞれ違うソファーに横たわりながら同じ夢を観るという謂である。
時をはるかに遡る1967年10月、ちょうど1/25スケールのアニュアルキットが絶頂と衰退の境にあったまさにそのとき、MPCは初の1/20スケールキットを発表していた。テーマは’68シボレー・コルベット・スティングレイ――奇しくもこれは、amtを離脱したジョージ・トテフが、MPCを創設したときに記念すべき最初のオリジナルキットとして選んだのと同じ「最新鋭のコルベット」だった。
パッケージもMPCアニュアルキットのダイアゴナル・デザインをそのまま踏襲しており、より精密かつ忠実な再現が可能な1/20スケールで、繊細さや再現性に限界があった従来の1/25スケール・アニュアルキットをリファインしてみせようという意図は誰に眼にもあきらかであった。
1/25スケール・アニュアルキット全盛の折、リンドバーグもまたビッグスケールに賭けようと苦心していた。1/8、1/12、1/16――こうしたスケールの物理的な大きさは、精密なディテーリング、テーマのより忠実な再現を容易にし、その高価格はメーカーにより多くの利益をもたらす。キットを完成させた愛好家が味わう誇らしさは、作品の存在感に比例する。
![](https://levolant.jp/wp-content/uploads/2025/02/lvw044acpc097.jpg)
ビッグスケール・アメリカンカープラモの歴史をひもとけば、1961年のモノグラムによる1/8シボレー・スモールブロックV8エンジンまで話は遡る。翌1962年から1965年に同社は1/8カープラモをシリーズ展開するが、1964年に出たリンドバーグのこのTバケット(「ボブテイル“T”」、品番690M)は、その流れに追随するものだった。可動ギミックの豊富さが、当時ビッグスケールに求められていたものを雄弁に物語る。
1/25スケール市場の過当競争から潔く距離をとり、「ビッグスケールならリンドバーグ」、そう讃えられる未来を信じて同社はラピッドグラフを握り、ドラフティングボードと真剣に向かい合ってきた。
しかし、巨人ゴリアテが小さきダビデを打ち倒す逆転の物語は、MPCにもリンドバーグにも果たせなかった。少なくともこれまでは。少なくとも、お互いがソロプレイヤーでいるあいだは。
1991年、古老の誇りも高きリンドバーグのバッジをつけ、1/20スケールの2台が市場にあらわれた。ダッジ・ステルスとシボレー・S-10ピックアップ、どちらも真新しく、当時のトレンドを体現した2台であるが、このチョイスは同時に「デトロイトの裏事情」を色濃く反映したものだった。
1991年のインディアナポリス500において、名誉あるオフィシャル・ペースカーに内定していたダッジ・ステルスが、「日本出身である」ことをもってバックアップ・ペースカーに格下げされるという土壇場のキャンセル劇があった。
伝統あるアメリカン・スペクタクルの「先導役」を日本車が務め、トラブルがあった際に駆けつける「裏方」をアメリカン・ピックアップが担うという構図を一部の伝統主義者が嫌った結果で、結局公式ペースカーをダッジ・ヴァイパー、公式サポートトラックをダッジ・ダコタとすることで事態はひとまず収束をみた。
非常にセンシティブになったダッジは、問題となった当初の布陣がプラモデルというかたちで「再演」されてしまうことを危惧してリンドバーグにラインナップの変更を迫ったらしく、リンドバーグはピックアップをシボレーへと「調整」し、販売に際してはインディ500関連商品であることをおおやけには謳わない方針を打ち出した。
リンドバーグの変貌とAftermath
‘91インディ500の公式製品であった名残は両キットの鮮やかなレッド成型のみにとどまったが、勘のいい愛好家は、このふたつがリンドバーグ初となる「ディープ・デトロイト」からの正規ライセンス製品であることを察して驚きの声を上げた。
「リンドバーグは本気だ。これまでとはまるで違う」
まったく時を同じくして古い1/25スケールのアニュアルキットがひっそり終焉を迎え、入れ替わりに1/20スケールの新車が新しいアニュアルキットのようにあらわれる。しかもリンドバーグである。
リンドバーグの名に畏敬の念をおぼえるのは、わずかに1/8ホットロッドや1/16ティン・リジー(’10フォード・モデルT)を組み立てたことのあるほんのわずかな愛好家のみという逆境のなか、「リンドバーグなら馬鹿にしたってかまわない」と高をくくっていた大多数はあっけにとられ、これはいったいいかなる素性の品なのかとキットを手に取りはじめた。
新生リンドバーグは、それまで自身の名をひどく傷つけることの多かった1/25スケールのキットも、装いだけを変えて同時展開した。金型はいずれも閉業した元パーマーであったり元パイロ/ライフライクであったりと古いままであったが、こうした臆面もない焼き直しはかえって1/20スケールの新しさをいっそう際立たせた。
当然ながら1/25リンドバーグ・キットはすべてテーマが古く、アニュアルキット的なフレッシュネスがなかった。「ノスタルジーとはポンコツである」とトラバントを指さしてみせるモダンなドイツ人のような自嘲的挑発か、あるいは生まれ変わるために過去のみすぼらしい自分を公然とさらけ出してみせる勇気ある告解か、いずれにせよこれはジョージ・トテフ一流の手厳しい戦略であった。
もう立ち上がることはないと思われたゴリアテの瞼がふたたび開き、ダビデの背中を睨んでいた。
※今回、リンドバーグ1/20「シェビーS-10」、同1/25「’71マスタング」、「’72チャレンジャー」、「’40フォード・クーペ」、MPC 1/20「1970 AMX」、「マクラーレンMk8d」、「リキシャ」、同1/25「USA-1 ベガ」(旧版)、AMT 1/25「リキシャ」のキット画像は、アメリカ車模型専門店FLEETWOOD(Tel.0774-32-1953)のご協力をいただき撮影しました。
※また、ラウンド2復刻版「USA-1ベガ」の画像は有限会社プラッツのご協力をいただき撮影しました。
※匿名希望の読者の方からは、1991年版リンドバーグ・カタログ、リンドバーグ1/20「ダッジ・ステルス」、同1/8「ボブテイル”T”」の画像をご提供いただきました。
ありがとうございました。