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ネッカーズルムの「アウディ・フォーラム」にて、「アウディ100」と「A6」の歴史を紹介する展示を4月30日まで開催
「アウディ・トラディション」は、「アウディ・フォーラム ネッカーズルム」において、「アウディ100」によってアッパーミッドサイズレンジに躍り出たアウディの歴史を紹介する新しいエキシビションを開催する。2025年4月30日(水)までの期間中、アウディ・フォーラムの2階では、1968年のアウディ100を皮切りに、8世代にわたるCモデルシリーズから合計17の展示品が来場者を待っている。
アウディ100は4世代にわたり、「ゴールデン・ステアリングホイール」を5回、「カー・オブ・ザ・イヤー」を2回、自動車ジャーナリストによる「ワールド・カー・オブ・ザ・イヤー」を1回受賞している。このシリーズの成功は、アウディ100の累計販売台数320万台が物語っている。
1968年に初公開された初代アウディ100は、その開発が極秘裏に開始されたことから、エキサイティングなストーリーがあった。フォルクスワーゲンAGは1960年代半ばに「アウトウニオン」社を買収し、インゴルシュタットに本拠を置く同社に新型車の開発を禁じた。当時、アウトウニオンのテクニカルディレクターを務めていたルートヴィヒ・クラウスは、その命令を無視して既存のモデルだけに取り組んだ。
【写真12枚】ブランドのアッパーミッドレンジへの躍進を可能にした「アウディ100」
彼は、1965年に第二次世界大戦後に生産された”最初のアウディ”で再登場したばかりのアウディ・ブランドに、ミッドレンジ・モデルを加えたいと考えていた。当時、インゴルシュタット工場の生産ラインからは「VWビートル」が次々と出てきており、クラウスはこれが独立したアウトウニオンが生き残る唯一のチャンスだと考えた。彼の勇気は報われ、アウディ100の研究に対してヴォルフスブルクから許可が下りた。
生産は1968年に開始されたが、インゴルシュタットの生産能力はあっという間に限界に達した。そのため、アウディ100の生産は1970年にネッカーズルム工場に移された。アウディは最初のシリーズで80万台を販売した。その後、3世代にわたって生産が続けられ、完全亜鉛メッキボディ、最適化されたエアロダイナミクス、高効率エンジンなど、数々の革新的技術によって、アウディが主張する「Vorsprung durch Technik (技術による先進)」が証明された。
1994年以降、「アウディA6」はアウディ100のサクセスストーリーを継承している。ネッカーズルムには、アウディ100の9車種とアウディA6の8車種が展示されており、展示の最後を飾るのは2024年からの「アウディRS6 アバントGT」である。キュレーターのシュテファン・フェルバー氏によると、17台の車両はそれぞれ特別な特徴を持っているという。
祖先の系譜を築いた「最初の1台」に加え、「世界を駆け巡る1台」「ゆとりの偉業」「長い1台」「傾斜した1台」「つながった1台」、そして「至高の1台」――後者は、展示されている約60年のモデルシリーズの歴史を締めくくるアウディRS6 アバントGTである――を知ることができる。2025年3月4日(火)午後2時、新型アウディA6 アバントが世界に向けて公開される。