












60年前に起こった決定的な転換
2025年夏、アウディ・ブランドは復活から60周年を迎える。その転機となったのは、1965年に登場したF103シリーズである。このモデルは、第二次世界大戦後の困難を乗り越え、今日のアウディの礎を築いた極めて重要な存在と言えるだろう。また、アウディというブランドが一度は消え去っていたことを知る人も、今では少なくなったかもしれない。ここでは、F103の歴史的意義やアウディ・ブランドの変遷について振り返ってみたい。
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そもそもアウディの起源とは?
アウディの歴史は、1899年にアウグスト・ホルヒが設立した「ホルヒ&チエ」に遡る。しかし社内の意見対立から彼は会社を去り、1909年に新たな自動車会社を立ち上げた。それが「アウディ自動車工業」である。ちなみに、「アウディ」とは創業者の姓「ホルヒ」(ドイツ語で「聞く」の意)をラテン語に翻訳したものであった。
1932年、世界恐慌を背景に、アウディ、DKW、ホルヒ、ヴァンダラーの4社が合併し、「アウトウニオン」が設立された。この4社の団結を象徴するのが、現在のアウディのエンブレムである4つの輪、「フォーリングス」である。アウトウニオンのもと、各ブランドはそれぞれが特定の市場セグメントを担うこととなった。
第二次世界大戦後、アウトウニオンはザクセン州の拠点をソビエト軍に接収・解体されるという危機に直面するが、元従業員らが西ドイツのインゴルシュタットで事業を再開し、1949年に新生アウトウニオンを設立。戦後の復興期には、DKWブランドの2ストローク・エンジンを搭載したオートバイやバンが会社の再建を支えた。1958にはダイムラー・ベンツAGがアウトウニオンの株式の88%を取得、翌年には完全な子会社となった。
しかし、1960年代半ばになると、2ストローク・エンジンは時代遅れとなり、DKWブランドの販売台数は低迷、会社は再び経営危機に陥いる。この困難な時期、1965年に同社はフォルクスワーゲンの傘下へと移った。転機となったのは、1960年代初頭に当時の親会社であったダイムラー・ベンツが開発した4ストローク・エンジンであった。
F103の登場とアウディ・ブランドの再確立
1965年8月13日、戦後初のアウディとなるモデルが生産ラインから送り出された。社内コードでは「F103」と呼ばれるこの新型車は、2ストローク・エンジンのイメージが強いDKWブランドと決別し、四半世紀ぶりに「アウディ」の名を冠して市場に登場した。当初は特定のモデル名を持たず、単に「アウディ」として販売されたこのモデルだったが、搭載エンジンの出力から「アウディ72ps」とも呼ばれている。
このアウディ72psは、前述の通りダイムラー・ベンツから受け継いだ4ストローク・エンジンを搭載していた。直列4気筒OHV、排気量1696ccのこのエンジンは、11.2:1という比較的高い圧縮比を採用していたのが特徴である。当時のガソリン・エンジンとディーゼル・エンジンの中間的な圧縮比ということで、「ミディアムプレッシャー・エンジン(ドイツ語でMitteldruckmotor)」と称した。
この72psのボディはDKW F102からその基本を引き継いだものであったが、丸みを帯びていたフロントノーズはスクエアかつシャープな造形へと改められ、それだけでなくヘッドライトも丸型から角型となり、ブラック基調のグリルと相まって、モダンな外観となった。また、それまでの3気筒から4気筒へとエンジンが変更されたことを受けて、車体が100mm延長されており、さらにラジエーターをエンジンの左側に斜めに配置していたのであった。
F103は市場に好意的に受け入れられ、その後、アウディ80、アウディ・スーパー90、アウディ75、アウディ60といったバリエーションが展開された。こうして形成されたモデルファミリーの中で最も多く生産されたのは60で、シリーズ総生産台数416,852台のうち60/60L(60の豪華版)が216,987台を占めている。
F103シリーズは1972年まで生産され、完全新開発のアウディ80にその座を譲ったが、1965年から1972年の7年間にわたる成功は、アウトウニオン社を経営危機から救い、フォルクスワーゲン・グループ内でのアウディ・ブランドの独立性を確固たるものにした。F103は単なる1台のモデルではなく、技術的・経済的な転換点となり、その後のアウディの発展の礎を築いた歴史的な1台だったのである。
なお、社名が正式にアウディ(AUDI AG)となったのは、F103の登場から20年後、1985年のことであり、今年はその40周年にもあたる。「技術による先進」を掲げ、内燃機関から電気への移行を進めている現在のアウディだが、必要とあらばパワートレインにおける変革を厭わないという意味で、F103の精神は今も受け継がれているとも言うことができるだろう。
【画像12枚】これがアウディ中興の祖!「F103」、そしてそのベースの「F102」をとくと見る!