フィアット

「フィアット500」だけではない。自動車の歴史を変えた巨匠、ダンテ・ジアコーサの真価に触れる。

その偉大すぎる功績を振り返る

ダンテ・ジアコーサ生誕120周年を記念し、イタリア・トリノ市にあるステランティス・ヘリテージ・ハブ(ミラフィオーリ工場内)では、モビリティの概念そのものに革命をもたらしたとも言われるエンジニア、ダンテ・ジアコーサの展覧会を、2025年7月から9月中旬まで開催する。

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RRの歴史的名車をデザインし、FFの基本レイアウトを確立した天才

日本においては、何と言ってもフィアット500(1957-1975年、いわゆるヌォーヴァ500)のデザイナー/設計者として知られるジアコーサだが、彼の偉大な功績は勿論それだけにとどまるものではない。この展覧会はその業績を知ることのできるよい機会と言えるが、この記事においても、まず簡単ながらそれについて振り返っておこう。

ジアコーサは1905年、ローマに生まれた。トリノ工科大学に学んだのち、1928年フィアット入社。1946年に自動車技術局長に任命され、1960年代末に至るまでフィアットの主要モデルの開発を指揮。ジアコーサの最初の大ヒット作は“トポリーノ”の愛称で知られる1936年の500で、戦後これに1400、1900、カンパニョーラが続いた。

1955年の600ではリアエンジン・レイアウトを導入し、ムルティプラでは多用途なコンパクトカーの道を切り開いた。1957年には、戦後イタリアを埋め尽くした大衆自動車化の象徴、二代目500(ヌォーヴァ500)を登場させている。その後も、1800、1300-1500、124、128(フィアット初の前輪駆動車)などを次々とデザイン。

この128において、ジアコーサはエンジンとミッションを横置きにする方式を採用。このレイアウトはジアコーサ方式の名で呼ばれ、以後今日に至るまで世界各国のFF車の基礎となった。なお、フィアットとの共同開発によるアウトビアンキ・プリムラ(1964年)がイタリア初の前輪駆動・横置きエンジン搭載車とされるが、これは128の設計を応用しつつそれより先にデビューさせたものである。

ジアコーサはフィアットでの勤務に加えトリノ工科大学で約20年間教鞭を執り、62件の特許を取得、国際工学協会での要職も歴任。エンジニアリング面でのビジョンに長けただけでなく、美的感覚に優れ(デザイン=設計を担当したのみならず、造形を行うスタイリストでもあった)、さらに人文主義的な教養をも兼ね備えた人物であった。

1970年、社長顧問任命直後にフィアットを退社。以後は回想録の執筆などに専念し、1996年、トリノにて91歳で逝去。ジアコーサはかつてこう記している。「『設計する』とは、困難を評価し、本質的な問題を特定し、それらを最もシンプルかつ完全な方法で解決することでもある」。それは、何世代にもわたるエンジニア、デザイナー、そしてイノベーターたちへの伝言と言えるだろう。

工場敷地入り口からヘリテージ・ハブ全体で行われる特別展

トリノの歴史的なミラフィオーリ工場、トリノのプラヴァ通りにあるオフィチナ81で開催されるこの特別展では、敷地の入り口に初代“トポリーノ”フィアット500や600ムルティプラ、128など10台の車両が展示されるほか、ヘリテージ・ハブ全体でジアコーサの他の傑作が紹介される。

これらの中には、フィアット600を生んだプロトティーポ100など、博物館の主要なテーマ別エリアの外にあるため、訪問者にあまり知られていないものもあるという。この展覧会は2025年9月中旬まで開催されるが、展示車両のいずれもが、天才デザイナー、ダンテ・ジアコーサの類まれな功績を反映したものだ。

この取り組みを通じてステランティス・ヘリテージは、単にデザイナーと言うにとどまらず、精密さと人間主義を融合させ、工業界の範疇を超える大きな世界に足跡を残した人物に、敬意を表するものだとしている。また、前述のメイン展示10車種(写真ギャラリーも参照)からは残念ながら漏れているが、今年2025年はフィアット600誕生から70周年であることも記憶しておきたいものである。

この特別展は、ヘリテージ・ハブの通常入場券購入で鑑賞可能とのこと。

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LE VOLANT web編集部

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