自動車メーカーの技術の粋を集めて開発されるラグジュアリーカーは、その時代を映す鏡と言える。ここではこれまでに登場したモデルの今と昔を振り返ってみる。
時代に合わせて進化するラグジュアリーカー
モータリゼーションの黎明期、それこそ庶民のクルマに移動の道具として最低限の機能しか備わっていなかった時代は、ただ高性能であるだけでもラグジュアリーカーになり得た。依然、マニアの間に残るエンジンの大排気量、マルチシリンダー信仰は、まさにそうした時代の名残だが、長らく揺らがなかったラグジュアリーカーの基本の“き”は、セダンのボディ形態が採用されてきたことだろう。
これは、後席に乗る人の快適性や色々な意味での安全性が重視されるべきショーファーカー、つまりラグジュアリーカーの主流を成立させる上で、かつてはそれしか選択肢がなかったから。いまやクラスを問わず乗用車の主流となっているSUV(昔日のクロスカントリー)、あるいはミニバンなど野蛮な「道具」に過ぎず、やんごとなき人々を迎え入れる環境を作り出すことなど不可能。特に静粛性や乗り心地に関しては、現在の基準をもってしても依然セダンに有利な点が残ることを思えば、ひと昔前の格差は正面から比較などできないほどだった。
現在に至るSUVの高級化、というムーブメントを本格化させた初代レンジローバーやGワーゲンにしても、筆者の知る限りではその範疇から漏れない。確かに当時のクロスカントリーと比較すれば別格の快適性、あるいはオンロードでの乗用車資質を備えてはいたが、だからといって同世代のラグジュアリーセダンと勝負できるほどだったかと問われれば答えはノー。実際、両者の高級車としての人気に火を付けたのは、現代で言うインフルエンサーにあたる著名人の洒落っ気(とメディアの仕掛け)に依るところが大きく、機能としての実像は“局所的”高級という水準に過ぎなかった。
そんなセダン一択だったラグジュアリーカー市況が、何故ここ20年ほどで大きく変化したのかといえば、それは先述した比較にならない格差が急速に縮まったことに求められる。もちろん、厳密に比べれば根本的な違いを指摘することはできるが、SUVにしろミニバンにしろ、いまやセダンに対して極端に快適性が劣るということはなくなった。となれば、室内空間の広さを筆頭とする持ち前の美点がショーファーカーの資質として俄然精彩を放ち始めるのは当然の流れ。上質な移動空間として多機能化が加速している状況となれば、それはなおさらの話だ。
いまや、ラグジュアリーカーであっても相応の社会性が求められるご時世もそれを後押ししている。現代のエコカーで主流となっているのは電気駆動モデルだが、そのハードウェアを搭載する「器」としては天地方向に余裕があるSUV、ミニバンはセダンより都合が良い。また、多機能化についても純粋な快適性だけでなくエンターテイメント性も求められるようになっているだけに、その点でも縦方向の余裕は効いてくる。そうした意味で、現代のラグジュアリーカーに求められる要素の筆頭は、後席乗員のためにどれだけの(快適な)空間を捻り出せるか、という点に尽きるのかもしれない。
ボディタイプ編
●ラグジュアリーカーのスタンダート、セダン
●時代の変化に合わせてボディタイプも多様化
パワートレイン編
●大排気量・多気筒エンジンはラグジュアリーカーの証
●日本初のV8エンジン搭載車
●ラグジュアリーカーにも環境性能が求められる時代に
インテリア・インフォテイメント編
●大型ディスプレイで異次元の映像体験を
●キャプテンシート仕様がトレンドに
●独自のディスプレイ配置でラグジュアリーを演出