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新たな覇者の登場、それとともに消えた男は果たして敗者か!?1/24で広がる豊穣な世界の行方は…【アメリカンカープラモ・クロニクル】第43回

1984年〜1987年 バプテスマ

ジョージ・トテフはどこへ行ってしまったのか――

ゼネラル・ミルズが放出し、アーテルが買収したmpc社長の地位に、ジョージ・トテフの姿はなかったと結んだ本連載第42回。今回はまずその謎を紐解いていこう。

【画像70枚】テレビ放送と絡み合って勢いづくレースカーのキットたちを見る!

ゼネラル・ミルズが自らのコアビジネスと相乗効果の薄い、mpcをはじめとするホビー事業各部門を放出したいとの意向を内々に示す頃までに、ジョージ・トテフは膨大なプラモデル金型を資産としてかかえるmpcと、ペイント・バイ・ナンバーという紙ものホビーを主力商品とする比較的身軽なクラフトマスターとのより明確な切り分けをほぼ終えていた。

もう少し踏み込んでいえば、クラフトマスターはその名を「クラフトハウス」とあらためており、選択と集中、つまり事業範囲の限定を改名することで明示的なものとした。個別に売却されるホビー各部門の性格をよりはっきりとさせ、売却プロセスをよりスムーズに運ぶためである。

ジョージ・トテフはクラフトハウスの代表としてゼネラル・ミルズを離れた。かつてmpcを創業して大いに盛り立て、ゼネラル・ミルズにその手腕を買われて、同社のホビー部門のうち斜陽の位置にあった鉄道模型メーカー・ライオネルの業績回復にむけて社長を兼任、ホビー企業経営のエキスパートとして輝かしいキャリアを重ねる一方、ジョージ・トテフはまるで一台の私的なドラッグスターを組み立てるように、クラフトマスター/クラフトハウスの軽量化・先鋭化に余念なく取り組んできた。

本連載第4回にごく軽くふれたとおり、クラフトハウスはホビーのことなら企画立案から製造、OEM、輸出入を含む流通その他にわたり詳細かつ実践的なノウハウを保有する、非常にコンパクトな会社に仕上がった。

コストに対する収益率がたいへん良好なペイント・バイ・ナンバーをひとまず主力商品に据える同社は、いざ買収にのぞむ値踏みの場にあっては、買いやすくてうまみのある企業として映った。少なくとも買収後になんらかのテコ入れを必要とするような、いわゆるターンアラウンド企業と見做されることは決してなかった

再利用がどんどん難しくなるという厄介な性格を持つプラモデル金型、それ自体を資産と見做して活用する具体的な術にも長けた企業は限られているが、アメリカンカープラモ市場を統一したいという具体的なビジョンを持つアーテルは、mpcの売却先としてこれ以上は望めないほどであると本連載第42回では述べた。

ジョージ・トテフはこれまで守り育ててきたmpcを看板ごとアーテルに譲りわたし、きわめて身軽に、粛然と次なる庇護の下へとたどり着いた。旧リパブリック・パウダー・メタルズ、通称RPMである。

1970年代からテレビのスポーツニュース番組に取り上げられていたドラッグレーシングに対し、NASCARの全国規模での本格的なテレビ進出は1979年のデイトナ500全国中継が契機となった。この高視聴率を受け、NASCARは家庭に視聴層を獲得し、エンターテインメントとしての価値を高めていく。モノグラムはこの流れを見きわめ、まっさらの新金型によって「テレビのヒーロー」を続々とキット化し、新たな需要を開拓した。

RPMの名は、アメリカンカープラモをはじめとするホビーの世界において、1984年にホビー向けペイント製造の最大手として知らぬ者のなかったテスターを買収したときにはじめて顕在化したといっていい

テスター自身は、RPMに買収されるはるか前、1969年から1970年にかけて、プラモデル会社としては最古参のホーク、ならびに本連載第20回で大きくその存在を取り上げたIMCを買収し、「プラモデル・キットの製造も可能ながら、ホビー向け副資材の製造・販売をコアとするケミカル企業」として完成の域にあった。アメリカでプラモデルを趣味とする以上、ユーザーの好みが飛行機であろうと車であろうと、テスター・ペイントや接着剤の世話にならない者はいない。

テーマの流行り廃りに関係なく安定した右肩上がりの販売成績を上げ続けるテスターを、建築用塗料や接着剤、特殊コーティングやシーラントを総合的に扱うRPMが買収したという事実は、ごく自然の成り行きとしてホビーの世界に受け止められて特段の話題にもならず、むしろより本格的なケミカル開発を可能にする後ろ盾を得たことでテスターはいよいよホビー副資材において一強の色彩を強めていくものと好意的に解釈された。

RPMはレーガノミクスがアメリカ市場を覆うよりはるかに早い段階から「ニッチかつ利益率の高いメーカー」を買収し多角化する方針を打ち出して急成長を遂げた、建材・塗装・補修市場の巨人であった。BtoBからDIY向けまで幅広い領域を網羅しながらも、強力なブランドを持つ「ニッチのトップ」企業を狙い撃ちに買収することで、それぞれは小規模だが高収益の製品群を傘下に蓄積、ポートフォリオの拡充を下支えとして長期にわたる成長を揺るぎないものとしていた。

RPMの企業買収方針はきわめてはっきりしたもので、つとめて明示的だったといってもいい。「低ボリューム・高マージンのニッチ市場に特化した企業を狙う」「買収後も既存の経営陣にすべての業務を継続させる」「新規製品販売に左右されない安定した事業を重視する」「傘下に既存の製品ラインとの補完性を重視する」「収益構造を厳しく審査し、ターンアラウンド企業には決して手を出さない」「高利益率を維持するため、ニッチ製品で40パーセントの粗利益率を目指す」「業績が低迷した非コア事業はすみやかに売却する」。

全体の経営は完全な分権型であり、買収した企業に大きな自主性を与えるハンズオフ戦略を徹底して採用、各子会社は独自の市場戦略やオペレーションを保持することができる。株主への配当はきわめて安定しており、高配当率がつねに維持され、投資家から全幅の信頼を得てきた優良企業である。

巨大企業の傘の下で何を仕掛けるのか――その答えはまだ少し先の話
クラフトハウスはこうした中でも抜きん出て「小さな会社」としてRPMの巨大な傘の下に収まった。ペイント・バイ・ナンバーというささやかな創造性を売る広義のホビー企業だが、プラモデルや鉄道模型の開発・展開に輝かしい実績のあるトップが据わっており、すでにRPM傘下にあるテスターが保有するホークやIMCの資産の再活用、あるいは新展開について確かな助言を与えうるという相乗効果も期待された。

なんならテスターを外注先として、なにもないところからまったく新しいプラモデルを開発することもできる。いわばRPMは、クラフトハウスと名乗るジョージ・トテフを買い、ゼネラル・ミルズ時代以上に行き届いた「自由な環境」を与えたわけである。

ここで読者に思い起こしてほしいのは、1986年、アメリカにおいてセンセーショナルな人気を博した飛行機のプラモデル――テスターの1/48スケール、F-19ステルス戦闘機のキットである。あくまでそのデザインを「仮説」としながらも、本物のF-117ナイトホーク・ステルス攻撃機に先んじて登場した「レーダーに映らない未来の戦闘機」のプラモデルに全米は驚き、SF映画など後続の文化的事象は抜きがたい影響をこうむった。

当時の販売価格は9ドル50、初年度の売り上げは50万個、キットの話題がアメリカ下院議会やロッキード社会長の口からも飛び出すに到り、その売り上げは初年度の最大6倍にまではね上がったといわれている。

1986年、全米にセンセーションを巻き起こしたキットを、日本でなじみ深いイタレリ箱で紹介しよう。キットの設計・デザインはテスターのジョン・アンドリュースによるもので、「イタレリのオリジナル」は誤解である。彼は入手可能な公開情報と自身の経験にもとづき「90パーセントの正確さで」模型化したと主張、シカゴでのデビューでは話題にもならなかったが、オハイオ州デイトンの新聞記者が大きく取り上げたことで人気に火がついた。冷戦下で過熱する報道のなか、親会社であったRPMは素知らぬ顔で沈黙をつらぬいた。RPMイズムである。

クラフトハウス/ジョージ・トテフのRPM参画はこの「事件」よりあとの1987年であって、この奇抜なアイデアに彼が関与した可能性はまったくない。しかし、通常こうした強い追い風のあるときに企業がとりがちなキット・ラインナップの拡充にテスターが結局踏み切らなかった背景には、モンキーモビルや『デュークス・オブ・ハザード』のジェネラル・リー、あるいはスター・ウォーズのSFキットといった大ヒットをものにしながらも、多くの金型を抱え込んでしまうリスクについて豊富すぎるほどの知見を有するジョージ・トテフの考えが参照された可能性は充分にあり得る。

少なくとも、1980年代という時代にあってなおもプラモデルは力強いホビーであり、市場には金鉱脈のようにチャンスが眠っていることを象徴的に示す事件がRPM傘下において起こった、ということは重要だ。慎重かつ的確に振る舞えば手厚い支援、すばらしい成果、そして高い評価が確実に得られるであろう空気のなかにジョージ・トテフはふたたび身を置き直し、彼は静かに次なる機会をうかがった。

このような次第で、アメリカンカープラモ市場の視点からはジョージ・トテフの名が一時的に不可視のものとなった。モデル・プロダクツ・コーポレーション=mpcの名はアーテルのもとで結局「解体」され、古い金型の活用方法が検討されはじめた。これと同じ頃、斯界で猛烈な勢いと高い支持を得はじめていたのは、AMTアーテルのように大量の旧金型に足を取られることのないレベル・モノグラム連合であった。

レベル、モノグラムの新展開は、いずれもメディアミックス
チーム・レベルとチーム・モノグラムは相互に知見や技術の交換をおこないながらも、前者は1/25スケール、後者は1/24スケールと、それぞれのスキルセットと開発思想に忠実なスタイルを維持しながら新製品の開発・展開をすすめていった。

このとき、チーム・レベルには元mpcの肩書きを持つひとりの男が、それまでのレベルにはなかったタイプの役割を果たしていた。彼の名はトム・ウェストといい、mpcではドラッグレーシング・カーなどのXレイ・ビジョン(透視図)を描く達人として活躍、その評判からNHRAをはじめとした自動車競技の梁山泊やその周辺の雑誌メディアにも幅広く顔の利く、社交的な好人物でもあった。

彼のレベル参画は1984年、ちょうど古巣のmpcに清算の兆候があらわれはじめた頃であるが彼は新天地にやってくるなりその豊富なコネクションを十全に活用して、レベルの倉庫で埃をかぶるままになっていたホットロッド・キットの旧金型活用に新たな道をつけた――ホットロッド・マガジン誌とのタイアップ企画をあっという間にとりまとめ、「ホットロッド界のLIFE」とも呼ばれる同誌の表紙と同じデザインの箱を旧キットにまとわせ、ノスタルジア消費の追い風にあわせて「レベルのヘリテージ」として再販売するアイデアを実現させた。

それまでのレベルにはメディアとの結びつきと支援がまるで足りなかったことを、デトロイトからの流出人材であるトム・ウェストはあっさりと見抜き、さも簡単なことであるかのように解決してしまった。

レベルのホットロッド・マガジン誌とのタイアップ企画キットは当連載でもいくつかすでに紹介しているが、ここではそのひとつ、「カスタム’56フォード・ピックアップ」をお見せしておこう。これは1986年リリースのキットだが、元を辿れば1962年にまで遡る金型である。ボンネットやドアも開閉可能なフル再現モデルで、1962年当時にはストックにも作れる内容だった。このバージョンではカスタム仕様のみ制作可能となるが、エンジン周りのセットアップはパーツの選択肢が減って、むしろストック寄りになっている。

一方チーム・モノグラムは、古くはレベルのヘンリー・ブランクフォートが築いたホットロッド・シーンとの結びつき、新しくはトム・ウェストの幅広い人脈をも「自社」の武器として取り込みながら、テレビ中継枠の拡大を追い風に成長を続けるアメリカン・モータースポーツとの関係を急速に深めていった。

1979年、CBSがデイトナ500を史上初めてスタートからフィニッシュまで完全生中継し、それがたいへんな高視聴率を獲得したことを機に、NASCARはもとよりNHRAのプロストックやファニーカーなども含めた各カテゴリーのメディア露出が一気に増加、スポンサーシップの拡大がさらに状況に拍車をかけ、アメリカン・モータースポーツはかつてないほど白熱の度合いを増していた。

こうした動きに合わせ、モノグラムは「まったく新しい」製品群を次々と投入し、従来のファン層だけでなく、新たにテレビ放送でモータースポーツに触れた層も取り込もうとしていたのである。いずれのシーンも過去にamtやmpc、ときにジョーハンが小さく関与してはいくつかのキットを展開してみせたところではあるものの、それらはいずれも「アニュアルキットに由来する妥協の産物」に過ぎない消極的なキットと市場からは評価され、熱心なファンは長らく不満をつのらせていた。

スケールこそ伝統の1/25スケールではないけれど、まったくの新規開発であるモノグラムのキットは踏み込みの深い取材にもとづいた、モダンで組み立てやすいキットとして高い支持を得て、「いまやカープラモといったらモノグラム」と言い切っても過言ではないような空気をアメリカ市場に醸成していった。

思えば筆者を含めわれわれの生まれ育った日本市場において、モノグラム製品の受容がもっとも盛んにおこなわれていた時期は、日本の好景気を背景としたまさにこの頃であり、「1/24スケールこそはカープラモのワールド・スタンダード」「1/25スケールなんてもう終わったスケール」といった本邦に固有の認識は、この当時勢いを増していたモノグラムの展開によって上書きされ植えつけられた「誤解」であったとも考えられる。

アメリカンカープラモはいま現在に到るまでなにも終わっておらず1980年代においてはむしろ新しい状況開始を迎えたばかりであった。新しい状況のすべてはことごとく、かくのごとく過去の因果のうえに成り立っていた。

ゼネラル・ミルズからもmpcからも遠く離れて不可視となったジョージ・トテフ、mpcを後にしてレベルにたどり着いたトム・ウェスト、合流した他社のソースを利用して自社の特異な1/24スケールをエリミネーター(決着をつけるもの)の地位へと押し上げようとするモノグラム――業界再編は、彼らすべてに等しく「洗礼」としてはたらいた。社名、肩書き、多くの新しい名がそれぞれにもたらされたことが、そのなによりの証拠だった。

 

※今回、モノグラム「フォード・サンダーバード#9 ビル・エリオット」、「ビュイック・リーガル#22ボビー・アリソン」、「ポンティアック・グランプリ#43リチャード・ペティー」、「プロストック・サンダーバード ボブ・グリッドゥンズ」、「プロストック・カマロ フランク・アイアコニオ」、「プロストック・サンダーバード リッキー・スミス」、「プロストック・サンダーバード フランク・アイアコニオ」、およびMPC「USA-1 ベガ」(旧版)キット画像は、アメリカ車模型専門店FLEETWOOD(Tel.0774-32-1953)のご協力をいただき撮影しました。
※また、ラウンド2版「USA-1ベガ」の画像は有限会社プラッツにご提供いただきました。
ありがとうございました。

写真:秦 正史(ご提供いただいた画像を除く)

この記事を書いた人

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1972年生まれ。日曜著述家。Bluesky SNSを中心に、stand.fmでラジオ形式のホビー番組「バントウスペース」をホスト中。造語「アメリカンカープラモ」の言い出しっぺにして、その探求がライフワーク。

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