いまも中世の空気が息づいている半島の道
能登には古くからの祭りが不思議なほどたくさん残っているんですよ」
今回の取材でお世話になったランプの宿の当主、刀祢秀一さんはこんな話を聞かせてくれた。
輪島大祭、七尾祇園祭といった規模の大きな祭礼だけでも20近くあり、6月から9月にかけて町ごとに御神灯を担いで練り歩くキリコ祭りにいたっては80カ所以上で催されている。
「伝統的な祭りといっても、もとをただせば都の最新イベントなわけですよ。そこには流行り、廃りがあって、都で流行らなくなったものが全国各地に流れ出していくわけです。ところが、能登は地形が袋小路になっているでしょ。都から伝わった祭りが、よそに流れ出てゆかず、次々と根付いてしまったんじゃないでしょうかねぇ」
祭りに限らず、奥能登地方には京都などでは見られなくなったような古い伝統やしきたりがいまも生き残っているらしい。そのひとつともいえるのが曽々木海岸に残る上時国家である。
この家の開祖は、壇ノ浦の戦いで敗れ、能登国に流刑となった平時忠。大納言の地位まで上り詰め、 「この一門(平家)にあらずば人に非ず」という有名なセリフを放った人物である。
上時国家にはいまも大納言の間という広間があり、他の部屋は自由に見て回れるにもかかわらず、ここだけは柵がしてあり立ち入り禁止になっている。江戸時代、加賀百万石の殿様でさえ、官位が中納言どまりだったため出入りは許されず、そこへ座ることができたのは、村の庄屋をつとめる当主のみだったというからおもしろい。
この半島の道には、スケールの大きな歴史の断片が、人知れず、静かに積み重ねられている。