伊豆半島の山深さもたっぷりと味わえる
天城山の主峰、万三郎岳は標高が1406mあり、日本百名山のひとつにも数えられている。伊豆というと海をイメージする人も多いだろうが、その内陸に連なる山々はけっこう険しく、しかも山が海岸線まで迫っているため、陸上交通の発展を阻んできたのだ。
仁科峠へと続く県道59号も、伊豆の山深さを味わうには絶好(!?)の道だ。とくに西伊豆町側から登っていく区間は、昔の林道の雰囲気がそのまま残っていて、道幅は狭く、乗用車同士のすれ違いにも苦労する。そのうえ鬱蒼とした木々があたりを覆い、海の気配を感じられないため、まるで信州や紀伊半島の山奥を走っているような気分になってしまう。
展望が開けるのは県道410号との合流点から仁科峠の少し北、風早峠までの2kmほどの区間。このあたりは風の通り道となっているため、視界をさえぎる高い木が育たず、一面をクマザサに覆われた稜線からは富士山はもちろん、駿河湾越しの南アルプスまで一望にすることができる。
もし狭い山道を走らずにこの絶景を楽しみたいなら、宇久須から県道410号で仁科峠をめざすのもいいだろう。こちらは県道59号の約半分、12kmほどの道のりで標高900mまで駆け上っていく急勾配のワインディングとなるが、県道59号よりは道幅が広いのでいくらか走りやすい。また、風早峠から湯ヶ島温泉へ下る区間も道路状況はあまり良くないので、県道411号(西天城高原道路)と県道127号(旧・西伊豆スカイライン)で修善寺へ抜けるのが安心。北に向かって走れば遠くの富士がみるみる迫ってくる。
昭和35年(1960年)、仁科と湯ヶ島を結ぶ林道が県道に昇格する際、ひとつの騒動が持ち上がった。お隣の賀茂村から峠の名前にクレームが付いたのである。
仁科峠は当時の賀茂村(現・西伊豆町)と天城湯ヶ島町(現・伊豆市)の境界に位置していて、のちに県道410号となる宇久須からの道もすでに開通していた。
「賀茂村の人にしてみれば、なんでよその村が勝手に名前を付けて、石碑まで建てているんだということだったのでしょう。しかし、旧・仁科村には堤村長の尽力で道路ができたという思い入れがあるから譲れないわけで……」
藤井さんはこう言って笑う。
結局、この問題は西伊豆町と賀茂村の間で覚え書きを交わし、「当面は現状維持」ということで双方が手を打ったのだという。
昭和と平成の市町村大合併を経て、峠の名称問題ばかりでなく、土と肥い、賀茂、安良里(あらり)、宇久須(うぐす)、田子(たご)、仁科といった黒潮文化の痕跡をとどめる昔の村名はすべて消えてしまった。しかし、仁科峠の名とその石碑はめでたく末代まで残ることになったのである。