80年近い歴史をもつフェニックスの並木道
北の青島から走って行くと、突浪川という小さな渓流に沿って、ゆったりしたコーナーを2つ、3つ抜けると、もう堀切峠である。
道路脇の展望台からの眺めは素晴らしく、目の前にはきらきらと輝く日向灘の大海原が広がり、白波に洗われる通称「鬼の洗濯板」が眼下に一望となる。ここから先、道の駅までの約1kmは青い海をバックにしたフェニックスの並木道で、峠道らしからぬトロピカルムードあふれる風景が続く。
若い世代はご存じない……というか、もう若くない筆者も知らなかったのだが、日南海岸一帯は1960-1970年代にかけて空前の新婚旅行ブームに沸いていた。きっかけになったのは昭和37年(1962年)にご結婚間もない皇太子(今上天皇)夫妻が宮崎を訪問したこと。宮崎市の統計によると、ピークの昭和49年(1974年)には市内に宿泊した新婚旅行客が37万組にも達したという。ちなみに全国の新婚カップルの3分の1以上がこの地を訪れていたわけで、当時のホテルや観光地の賑わいぶりを想像するとちょっと怖い(?)気さえしてくる。
このブームの火付け役として知られるのが、宮崎交通の初代社長、故・岩切章太郎氏(1893-1985年)である。日南海岸一帯を南国ムードに仕立て、観光客を呼び込もうというのは岩切氏の発案で、その活動は昭和10年(1935年)頃からはじまったという。
堀切峠をはじめ、宮崎県内のあちこちで見かける立派なフェニックス並木は、当時の部下たちが数々の苦労や失敗を重ねながら大事に育て上げたもの。もともとアフリカ・カナリア諸島原産の木ながら、いまや南国宮崎のシンボルとして県木にもなっている。
昭和62年(1987年)、『日本の道100選』に選ばれた日南フェニックスロードは、この国道220号から国道448号を経て、宮崎県の最南端・都井岬へと至る約90kmの道。堀切峠を訪ねたら、ぜひこのルートも合わせて楽しんでいただきたい。
途中には鵜戸神宮のほか、映画『男はつらいよ』の舞台にもなった風情あふれる油津の港町、さらにちょっと寄り道すれば、南九州の小京都と称えられる飫肥の美しい城下町もある。
日南市から南、国道448号に入ると道幅がやや狭く、タイトコーナーも多くなるが、交通量が少ないので気持ちよく走り続けることができる。国道沿いには小さな入り江や砂浜が数多く点在。いつの時代に名付けられたか知らないが、夫婦浦、幸島、恋ヶ浦といった新婚カップルにおあつらえ向きの地名が御崎馬の棲む都井岬まで続いていく。