お遍路さんが無数の足跡を刻んだ道
太平洋に大きく突き出た室戸岬を回って四国の海岸線をなぞるように走る土佐浜街道。この道は遍路のために拓かれていった信仰の道である。街道の要所要所には幕末の志士たちの銅像が立ち、男たちの見つめていた海が目の前に大きく広がる。
この道の起源は、塩の道でも、参勤交代の道でもなく、信仰の道である。
弘法大師(774-835年)が四国をめぐり、霊場八十八か所を定めたのは42歳の時と伝えられる。ただし、全長1200kmにおよぶ巡礼道が整備されていったのは室町以降。庶民が盛んに訪れるようになったのは、さらにのちの江戸時代後期からといわれる。
四国八十八か所は、その道筋の大半が海岸線の辺鄙な土地を通っているため『辺路』と呼ばれ、やがてそれが空海の灌頂名『遍照金剛』にちなんで『遍路』の文字を当てるようになっていった。西国三十三か所や板東三十三か所など、国内にある他の巡礼道を遍路と呼ばないのはそのためだ。
現在、クルマやバイク、自転車なども含めると、四国八十八か所を回るお遍路さんの数は年間推定30万人にのぼる(そのうち歩き遍路は約5000人)。納経帳を持ち、参拝した札所で朱印をいただくというスタイルは、巡礼という神聖な宗教行事に日本人好みの娯楽的要素をちゃっかり組み込んだもの。いわばスタンプラリーの元祖と言っていいかもしれない。
阿波(徳島)23か所、土佐(高知)16か所、伊予(愛媛)26か所、讃岐(香川)23か所の札所をめぐり、四国をぐるっと一周する遍路は、国ごとにそれぞれ特徴がある。土佐の遍路の別名は『修行の道場』。札所と札所の間隔は平均で20km以上あり、阿波最後の23番札所・医王山薬王寺から土佐最初の24番札所・室戸山最御崎寺までの道のりはなんと82km。肩慣らしとでもいうべき『発心の道場』、15分も歩けば次の札所に着ける阿波の遍路道から一変し、長く厳しい行程を強いられることになるのだ。
遍路道ができるまで、室戸岬へ通じる道はなく、このあたりは人跡未踏の地だった。そんな岬の洞窟にひとり籠もりきり、厳しい修行をしたのが若き日の弘法大師である。
大地が尽き果て、目の前にあるのは無限に広がる海と空だけ。そこで19歳の青年僧がひたすら念仏を唱え続けていると、ある夜、口の中に明星が飛び込み、その刹那に宇宙の真理を悟ることになる。この経験から、のちに彼は空海を名乗るようになったという。
室戸岬から最御崎寺に向かってスカイラインを駆けあがれば、その空と海の大きさはいつでも実感できる。