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映画「サイコロ城の秘密」を取り上げる~南フランス・イエールへの旅【GALLERIA AUTO MOBILIA】#006

様々な断片から自動車の広大な世界を管見するこのコーナー。今回は、フランスの1920年代を代表する要素が全部揃った映画『サイコロ城の秘密』を取り上げたい。この中ではマレ・ステヴァンのアール・デコ建築、シュルレアリスムという前衛芸術運動とともに、ヴォアザンこそ1920年代を代表するクルマであったことが伺える。

イエールへの旅

今年のミッレミリアを終えた後、南仏のイエール訪問を思い立った。そこにはマン・レイの映画『サイコロ城の秘密』の舞台となったロベール・マレ・ステヴァンの建築があるはずで、いつかは訪ねてみたいと思っていた。ネットでその建築の現況についての情報を入手すると、すぐに出発すれば午後にはイエールに到着できるが、あいにく本日は休みで、明日水曜ならば午後1時から見学が可能なことがわかった。

シトロエンC3でオートルートのA8からA57を平均時速140キロで走って、まもなく到着。料金所のゲートを出ると、まっすぐ伸びる街路には大きなパームツリーが美しく並び、高級なリゾート地であるようだった。地中海に突き出た半島の根元であり、その先にはイエール諸島という島々がある。また半島の真ん中には大きな塩田の湿地帯が広がっており、その両側に道があるという興味深い風土だった。
そう言った俄か知識をツーリスト・インフォーメーションで得ると、町の地図を貰ってホテルに赴いた。荷物を置いて、町の散策に出る。迷路のような細い道が面白くて、足の赴くままに歩く。傾斜のあるところを登っていく。時には、滑り落ちそうなほどきつい勾配もある。 “Chateau”という案内版を見かけたので、そちらへ登って行った。ほぼ一番高いところにお城はあるようだ。もう城壁だけで、城は崩れてしまっているようだった。城壁にそって東に歩いて行くと、あっけなく今回の目的だった建築の前に出た。やはり門は閉まっていた。

ヴィラ・ノアイユ。フランスきっての名門ド・ノアイユ家の別荘だ。パリの宮殿のような邸宅には、ティッツィアーノやゴヤなど巨匠たちのコレクションが飾られていたが、当主のシャルル・ド・ノアイユ子爵は現代の新しい芸術のパトロンとなっていた。そこで、1920年代にル・コルビュジエやペリアンやプルーヴェらとともにモダニズムの建築家として名を馳せたロベール・マレ・ステヴァンに別荘を作らせたのだ。完成したのは1923年。城に続く古い修道院の廃墟の上に建てられた。新しい芸術に関心の高かったシャルル・ノアイユは、マン・レイを気に入っていたので、彼を夏の間この別荘に招いて、自由に映画を撮らせたのだった。

マン・レイはアメリカのフィラデルフィアでロシアから移民した両親の間に1890年に生まれた。感受性の強い子供で、高校を卒業する頃から様々な展覧会を見て歩くようになり、やがてニューヨークでフランスから来訪中のマルセル・デュシャンと出会った。1921年にパリに行く。デュシャンの紹介で住処を定め、ジャン・コクトーの紹介でパリの有力者と知り合う。もともとは画家だったが、異国での生計のために写真を生業とするようになる。当時のファッション・リーダーだったポール・ポワレの撮影を一手に引き受けるようになり、またガザティ公爵夫人、ド・ボーモン伯爵ら貴族の肖像写真や、シュルレアリストたちを主とする芸術家たちの肖像写真を撮った。

未来派から始まった20世紀の芸術運動は、ダダを経てシュルレアリスムに至るまで、自動車という新しい時代の乗り物と、そのスピードを大いに称揚した。ダダを代表する画家ピカビアはイスパノスイザやドラージュなどの大型のスポーツカーを愛好していた。またブルトンが好意を寄せていた画家アンドレ・ドランはブガッティT43やT35グランプリを乗り回していた。マン・レイはドランのブガッティを見て、どんな彫刻作品よりも美しい、と述懐したものだった。
マン・レイの最初の映画は、パトロンの夫人が運転するメルセデスのレーシングカーで高速走行中に羊の群れと出会って急ブレーキをかけたときに着想された。『サイコロ城の秘密』は、マン・レイの愛車ヴォアザン・ルミノーズで彼が助手のボワファールと一緒に出発するところから撮影が始まっている。どうやら一晩のうちにイエールまで走りきったらしい。

僕が最初にこの建築に興味を抱いた時はまだ20代で、その頃よく立ち寄った京都三条の芸術系洋書屋メディア・ショップで、廃墟となったこの建物の写真集を見つけたのだった。とても欲しい本だったが、若造には高価過ぎた。だが入手できない分よけいに強く記憶に焼きついた。その建物がなんであるのかは知らないままだったが、後年になってマン・レイの映画『サイコロ城の秘密』を見た時に記憶と結びつき、ヴィラ・ノアイユであることが判明したのだった。しかし、その時にもまだマレ・ステヴァンの名前は知らなかった。ル・コルビジェについて本を書くことになり、パリに残る彼の建築を探訪しているうちに好ましい建物に出会い、それがマレ・ステヴァンの設計した建物だったので、それから彼について調べているうちにやっとヴィラ・ノアイユも彼の作品であることが分かったのだ。
翌水曜日の午前中は半島の方までドライブして塩田の湿地帯という荒々しい風土を眺め、午後にヴィラ・ノアイユに向かい、開いた門のなかに足を踏み入れた。思えば、ここに来るまでには長い年月がかかった。とても長い旅だった。

Text:岡田邦雄/Photo:青柳 明/カーマガジン458号(2016年8月号)より転載

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