LE VOLANT モデルカー俱楽部

コンパクトカー誕生より前には、フルサイズもミッドサイズもなかった!…そこにはただ、無があった(言いすぎ)【アメリカンカープラモ・クロニクル】第52回

1964年型ポンティアックGTO
amt製1/25スケール・プラモデル「’62ポンティアック・テンペスト・コンバーチブル」
amt製1/25スケール・プラモデル「’62ポンティアック・テンペスト・コンバーチブル」
amt製1/25スケール・プラモデル「’62ポンティアック・テンペスト・コンバーチブル」
amt製1/25スケール・プラモデル「’62ポンティアック・テンペスト・コンバーチブル」
amt製1/25スケール・プラモデル「’62ポンティアック・テンペスト・コンバーチブル」
amt製1/25スケール・プラモデル「’62ポンティアック・テンペスト・コンバーチブル」
amt製1/25スケール・プラモデル「’62ポンティアック・テンペスト・コンバーチブル」
amt製1/25スケール・プラモデル「’62ポンティアック・テンペスト・コンバーチブル」
amt製1/25スケール・プラモデル「’62ポンティアック・テンペスト・コンバーチブル」
amt製1/25スケール・プラモデル「’62ポンティアック・テンペスト・コンバーチブル」
amt製1/25スケール・プラモデル「’62ポンティアック・テンペスト・コンバーチブル」
amt製1/25スケール・プラモデル「’62ポンティアック・テンペスト・コンバーチブル」
amt製1/25スケール・プラモデル「’62ポンティアック・テンペスト・コンバーチブル」
amt製1/25スケール・プラモデル「’62ポンティアック・テンペスト・コンバーチブル」
amt製1/25スケール・プラモデル「’62ポンティアック・テンペスト・コンバーチブル」
amt製1/25スケール・プラモデル「’62ポンティアック・テンペスト・コンバーチブル」と「’63ポンティアック・ボンネヴィル・コンバーチブル」の比較
1961年型ビュイック・スペシャル・デラックス
amt製1/25スケール・プラモデル「’64ポンティアック・テンペストGTO」
amt製1/25スケール・プラモデル「’64ポンティアック・テンペストGTO」
amt製1/25スケール・プラモデル「’64ポンティアック・テンペストGTO」
amt製1/25スケール・プラモデル「’64ポンティアック・テンペストGTO」
amt製1/25スケール・プラモデル「’64ポンティアック・テンペストGTO」
amt製1/25スケール・プラモデル「’64ポンティアック・テンペストGTO」
amt製1/25スケール・プラモデル「’64ポンティアック・テンペストGTO」
amt製1/25スケール・プラモデル「’64ポンティアック・テンペスト・ルマン・コンバーチブル」
amt製1/25スケール・プラモデル「’64ポンティアック・テンペスト・ルマン・コンバーチブル」
amt製1/25スケール・プラモデル「’64ポンティアック・テンペスト・ルマン・コンバーチブル」
amt製1/25スケール・プラモデル「’64ポンティアック・テンペスト・ルマン・コンバーチブル」
amt製1/25スケール・プラモデル「’64ポンティアック・テンペスト・ルマン・コンバーチブル」
1963年型シボレー・インパラSS
1964年型シボレー・シェベル・マリブSS
1962年型シボレー・シェビーⅡノヴァ
1962年型シボレー・コルヴェア・モンツァ・スパイダー
amt製1/25スケール・プラモデル「’63ポンティアック・ボンネヴィル・コンバーチブル」
amt製1/25スケール・プラモデル「’63ポンティアック・ボンネヴィル・コンバーチブル」
amt製1/25スケール・プラモデル「’63ポンティアック・ボンネヴィル・コンバーチブル」
amt製1/25スケール・プラモデル「’63ポンティアック・ボンネヴィル・コンバーチブル」
amt製1/25スケール・プラモデル「’63ポンティアック・ボンネヴィル・コンバーチブル」
amt製1/25スケール・プラモデル「’63ポンティアック・ボンネヴィル・コンバーチブル」
amt製1/25スケール・プラモデル「’63ポンティアック・ボンネヴィル・コンバーチブル」
amt製1/25スケール・プラモデル「’63ポンティアック・ボンネヴィル・コンバーチブル」
amt製1/25スケール・プラモデル「’63ポンティアック・ボンネヴィル・コンバーチブル」
amt製1/25スケール・プラモデル「’63ポンティアック・ボンネヴィル・コンバーチブル」
amt製1/25スケール・プラモデル「’63ポンティアック・ボンネヴィル・コンバーチブル」
amt製1/25スケール・プラモデル「’63ポンティアック・ボンネヴィル・コンバーチブル」
amt製1/25スケール・プラモデル「’63ポンティアック・ボンネヴィル・コンバーチブル」
amt製1/25スケール・プラモデル「’63ポンティアック・ボンネヴィル・コンバーチブル」
amt製1/25スケール・プラモデル「’63ポンティアック・ボンネヴィル・コンバーチブル」
amt製1/25スケール・プラモデル「’63ポンティアック・ボンネヴィル・コンバーチブル」
amt製1/25スケール・プラモデル「’63ポンティアック・ボンネヴィル・コンバーチブル」
1960年型マーキュリー・コメット4ドア・セダン
1960年型マーキュリー・コメット4ドア・セダン
メビウスモデルズ製1/25スケール・プラモデル「’61ポンティアック・ベンチュラ」
メビウスモデルズ製1/25スケール・プラモデル「’61ポンティアック・ベンチュラ」
メビウスモデルズ製1/25スケール・プラモデル「’61ポンティアック・カタリナ」
モノグラム製1/24スケール・プラモデル「’64ポンティアックGTO」
モノグラム製1/24スケール・プラモデル「’64ポンティアックGTO」
モノグラム製1/24スケール・プラモデル「’64ポンティアックGTO」
モノグラム製1/24スケール・プラモデル「’64ポンティアックGTO」
モノグラム製1/24スケール・プラモデル「’64ポンティアックGTO」
モノグラム製1/24スケール・プラモデル「’64ポンティアックGTO」
モノグラム製1/24スケール・プラモデル「’64ポンティアックGTO」
モノグラム製1/24スケール・プラモデル「’64ポンティアックGTO」
モノグラム製1/24スケール・プラモデル「’64ポンティアックGTO」
モノグラム製1/24スケール・プラモデル「’64ポンティアックGTO」
モノグラム製1/24スケール・プラモデル「’64ポンティアックGTO」
モノグラム製1/24スケール・プラモデル「’64ポンティアックGTO」
モノグラム製1/24スケール・プラモデル「’64ポンティアックGTO」
モノグラム製1/24スケール・プラモデル「’64ポンティアックGTO」
モノグラム製1/24スケール・プラモデル「’64ポンティアックGTO」
モノグラム製1/24スケール・プラモデル「’53コルベット」
モノグラム製1/24スケール・プラモデル「’53コルベット」
モノグラム製1/24スケール・プラモデル「’53コルベット」
モノグラム製1/24スケール・プラモデル「’53コルベット」
モノグラム製1/24スケール・プラモデル「’53コルベット」
モノグラム製1/24スケール・プラモデル「’53コルベット」
モノグラム製1/24スケール・プラモデル「’53コルベット」
モノグラム製1/24スケール・プラモデル「’53コルベット」
モノグラム製1/24スケール・プラモデル「’53コルベット」
モノグラム製1/24スケール・プラモデル「’53コルベット」
モノグラム製1/24スケール・プラモデル「’53コルベット」
amt製1/25スケール・プラモデル「’64ポンティアック・テンペストGTO」
1960年型シボレー・コルヴェア500
1950年型シボレー・スタイルライン・デラックス・ベルエア
1964年型ポンティアックGTO

Roundup:2 ナッシング・ニュー・アンダー・ザ・サン

僕たちは、なんでも事後の世界に生きている。予定され、告知されていること以外については期待の抱きようもなく、すでに起きてしまった変化は動かしようもない。とくに滅んでしまったものの委細や、成立してしまったものの起源は、しっかり思い出すこともむずかしい。

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かつてハードトップという車のスタイルがあった。それは閉じているのに開いている、公園のガゼボ(あずまや)のような存在だった。青々とした芝生のように不測の雨に祟られることもなく、強い日差しに灼かれることもないが、そこからの眺望はとてもひらけていて、風は心地よく通り、人をそれとなく豊かな気持ちに誘うところがあった。

デトロイトはかつて、ハードトップに高値をつけた。広々とした窓を通り抜ける風に値段をつけたといってもいい。直前に未曾有の戦争があったから、吹き抜ける風、ひらけた眺望にはまだ格別の価値があった。

コンバーチブルは青い芝生そのもので、公園のイメージリーダーになりこそすれ、訪問客は「でも雨が」「でも日差しが」と言いよどんではなかなか手を伸ばそうとしないが、ハードトップなら大丈夫。ときには雨もよいものですよ、とセールスマンはやんわりたたみかけることができた。

戦後すぐの時代は、デトロイトにとってめまぐるしいアセンブリープラントの拡張期である。数をさばいてなんぼの大売り出し。ここに差別化の勾配はまだなくて、車のサイズもおおむねひとつ。デトロイトはここからさまざまなイメージを作出していった。1950年代前半のことである。コンバーチブルとハードトップ、これがクーペ/セダンという馬車由来の差異にあたらしく加えられた最初の「価値の勾配」だった。

ハードトップの始まりは1949年型ビュイックのリビエラとされる。GMは同年中にシボレー以外の他ブランドにも同種のボディーを展開し、翌年型でシボレーにもベルエア(写真)の名で導入した。セダンやクーペからBピラーを省いたものというのがハードトップの概略だが、本来は、コンバーチブルやフェートンの幌をスチール製・固定式としたもの(戦前からこれは存在していた)、またはそれを模したものであり、そのための2つの特徴、すなわちボディーとトップに境目があること、トップがボディーと同色でないことが、写真のベルエアでも示されている。ピラーの有無は副次的な事柄なのだ。

アメリカンカープラモ――デトロイト発祥のアニュアルキットが生まれたのは1958年、微妙な時代だった。車はまだワンサイズ・フィット・オールで、少なくともデトロイトはまだそのつもりでいた。なにもかもが伸張する時代だったから、車はとにかく大きく、豪華だった。

お客様はこの広々した空間で、ぞんぶんにおくつろぎいただけます。どうぞ脚を伸ばしてください。するとほら、窓からはこんなに美しい眺めが。よどみなくなめらかにそう語るセールスマンが気にしていたのがほんとうは何だったかといえば、セダンとハードトップの価格差をめぐる攻防だった。

具体的に引いてこよう。1955年式シボレー・ベルエア、4ドアセダンが1,885ドル、ハードトップは2,016ドル。コスト差は40ドル未満に過ぎなかったが、上代差は131ドルだ。1957年式フォード・フェアレーン500、同じV8エンジン搭載でも、セダン2,225ドルに対してコンバーチブルは2,613ドルもした。388ドル!

アメリカンカープラモはデトロイトのセールスマンと基本的に同じ務めを果たすよう要求されていたから、ハードトップとコンバーチブルばかりが製品化されるのは当然のことだった。

コンパクトカーの誕生はフルサイズの誕生でもあった

1960年、デトロイトにもアメリカンカープラモにも変化が起きた。コンパクトという車格が登場し、そのプラモデルもまた同時に登場したのである。フォードからはファルコン、ホイールベースは109.5インチ。シボレーからはコルヴェア、ホイールベース108インチ。プリマスからはヴァリアント、ホイールベースは106.5インチ。

3モデルともデトロイト・ビッグスリーの大衆車部門からの登場であり、いずれも「手狭? いやいや、そんなことはないんです――」という販促シナリオを穏健に維持していた。(唯一マーキュリーから登場したコメットだけがホイールベース114インチ。大いに売りたかったがうまく運ばずに潰えたエドセルを、小さく胚にしてラインナップにすべり込ませるディアボーンの執念がわずか5インチに宿っていたが、それはまたべつの物語として伏せておこう)

一連のコンパクトの登場によって、デトロイトにひとつのレトロニムが生まれることになった。「フルサイズ」である。ホイールベース110インチに満たない車をコンパクトと名指す以上、より大きな車を「ふつう」「いつもの」と片づけるわけにはいかない。

フルサイズ――その全体には一切の欠損・不足がないことを暗に匂わせるこの命名が、わずか数年ののちに、アメリカンカープラモを含めたデトロイトに熱っぽい混乱を引き起こすことになるが、ここではアメリカンカープラモ(デトロイト・アイアンではなくデトロイト・プラスティックス)がおこなった「処理」に軽くふれておこう。

amtフォード・ファルコン(品番1060)、SMPシボレー・コルヴェア(品番7060)、SMPプリマス・ヴァリアント(品番9060)、そしてamtマーキュリー・コメット(品番3060)はことごとくキット化され、価格は「フルサイズ」の1ドル49より10セントもお得な1ドル39。

ただし、1960年にアニュアルキットとして登場したフォード・サンダーバード、シボレー・コルベット、ビュイック・インヴィクタに新機軸として付属するようになったエンジンパーツはこれらコンパクトに用意されることはなく、「ご予算が許すのであればやはりフルサイズがおすすめです」というデトロイトのセールストークをあからさまに代弁するかたちとなった。付け加えれば、歴史的惨敗が確定し、ただの消化試合の様相を呈した’60エドセルにも、やはりエンジンパーツが付くことはなかった。

1960年型としてデビューしたシボレーのコンパクトカー、コルヴェア。ホイールベースは108インチで、これはファルコンとヴァリアントの中間の数値だが、全長は3車種中一番短い。日本では「アメリカはこれでコンパクト笑」と嘲笑されがちなボディサイズ(全長はS40クラウンより少し短い程度)だが、「コンパクト」という語があくまで「凝縮された」という程度の意味である点は意識しておくべきだ。コンパクトカーとは、バブルカーや軽自動車、あるいはミニやビートルのような、ミニマム・トランスポーターではない。また、それに類する車両はアメリカにも少数ながら存在したのである。

もう一点「いまだからこそ」注目すべきは、登場した4タイトルのコンパクトのうち、シボレー・コルヴェアとプリマス・ヴァリアントは4ドアセダンとして登場した、ということである。

いまでこそ4ドアセダンのプラモデルは「スポーティーではない」「自動車競技の花形ではない」「甚だ野暮ったい」と断じられがちであるが、これは親しいフォードだけをスマートに見せようとするamtの内幕が露呈したものとも、ラインナップ全体に「ないものはない」ことをひとまず達成してみせる配慮であったとも読むことができるし、コルヴェアの珍しいリアエンジン配置、ヴァリアントのフォワードルック的異形を魅力的にみせるにはどうしても4ドアセダンである必要があったとも解釈できる。

われわれは「なんでも事後の世界」を生きているという冒頭のパラグラフを思い出してほしいが、コンパクト-フルサイズ、2ドア-4ドア、クーペ-セダン、ハードトップ-コンバーチブルはいずれにせよ、1960年を境として急速に充実し、ときに鋭く対立するようになったわけである。

選別と淘汰がやがて明瞭に

少なくともデトロイト・プラスティックスの世界において、露骨な選別と淘汰があきらかになるのは1964年のことだった。1961年から1963年にかけては、その胚が静かに分裂するときだったと表現できるだろう。

小さく圧縮した羽根枕がふたたび元の大きさに戻るように、デトロイトは1961年、自らの手で小さくした車をふたたび、じわじわと大きくしはじめた。ゼネラルモーターズ・Yプラットフォームと呼ばれた、揃って112インチのホイールベースを持つ通称シニアコンパクト――ビュイックのスペシャル/スカイラーク、オールズモビルのF-85/カットラス、そしてポンティアックのテンペスト/テンペスト・ルマンがそれである。

たった3インチの伸張をめぐるGMの思惑に、シボレーを除いて各部門よく足並みを揃えたかに思えたが、ビュイックとオールズモビルはオールアルミ製V8エンジン、ポンティアックはちょうどV8エンジンを縦に割いたようなスラント4気筒エンジン(トロフィー4)と、パッセンジャーフロアを真っ平らにしてしまうロープドライブと呼ばれる文字どおりの新機軸を同じ112インチに詰め込んで、「目新しさ」ではない、ほんとうの革新をそれぞれが独自に追求しはじめた。見せかけだけのきらびやかさがデトロイトに大やけどを負わせてからほんの数年のこと。

ここには共通して、車を軽く、しかし大きくしようという意志があった。アメリカにおいて信仰に近い様相を呈しているV8エンジンの大出力は、いまでこそ「ただ過剰である」とも断じられるが、1960年代を迎えたばかりのこの頃はまだ、大きく重い車には大出力V8が「必要」で、小さな車にはそれ自体重くパワフルなエンジンは「不必要」であるというごく筋の通った分別があった。

シニアコンパクトという即座には理解しがたい、奥歯になにかはさまったような物言いはやがて、われわれが当たり前のように名指しするインターミディエイト(中型車)へと結実する。1964年に展開されたGMの「新」Aプラットフォームに代表されるそのサイジングは、ホイールベース110インチを間違いなく超え、120インチには決して到らないものと定義づけることができた。

象徴的だったのは、粘り強くコルヴェア・コンパクトの練り上げを続けるシボレーが、その一方でホイールベース115インチ――インターミディエイトとされたレンジのまさに中央値を体現するシボレー・シェベルを市場に投入したことだった。シェベルに漂うのはその絶妙な大きさからくる奇妙な懐かしさだった。ちょうど9年前、大規模な販売キャンペーンが展開されてアメリカに「真の戦後型自動車」というひとつの型を与えた’55シボレーとまったく同じ寸法だったのである。

これまで正確さの基準線をホイールベースというわかりやすい位置に置き続けてきたデトロイト・プラスティックスだが、アニュアルキットにはじめてあらわれた制度疲労は、皮肉にもこのホイールベースに起因するものだった。

1961年から1963年、すなわちデトロイト・アイアンによる「シニアコンパクト再伸張」の時代、デトロイト・プラスティックスは忠実な「現実の記述」であろうとする構えに限界を迎えていた。次第に増えていくホイールベース、すなわち共用できない金型の増加がイニシャルコストの壁にぶち当たり、破綻したのである。

実のショールームが実現できなかった「デトロイトの新作ならなんでもある!」夢のショールーム構築を、デトロイト・プラスティックスはあっさりと諦めてしまった。では、どの車をキット化するか――ここで採られた冷たい選別が、一時は実践的な夢想家を目指そうとしたデトロイト・プラスティックス(いや、ここではamtと名指すべきか)を、デトロイト・アイアンの規範に従属的な雇われカウボーイにしてしまった。

amtは「時代のサイズ」であることが人気をあつめたトライファイブ・シェビーの再来たるべき’64シボレー・シェベルのパッセンジャーカー版を、エンジンパーツの欠けた、すなわちエンジンフードがボディーと一体成型されたプロモスタイルでいびつにキット化した。エンジンフードをきちんと別体化し、エンジンパーツを当然備えたフルディテールキットとしては、シェベル・ワゴンとエルカミーノが選ばれてしまったうえ、フード下に収まるエンジンはあくまで6気筒、V8エンジンは不穏な「おまけ」として用意されるにとどまった。

デトロイト・アイアンがシェベルの展開開始にあたって用意した11モデルを、パッセンジャーカー(エンジンなし)、ワゴンとクーペユーティリティー(いずれもV8エンジンがひとつ余る)の3モデルに絞り込んだうえ、かさむコストをどうにか客の購買行動に転嫁しようと、もっとも魅力ある前者にわざわざ欠落を盛り込んでまで、amtは「好きなものだけをつまみ食いさせない」仕掛けをつくった。

もはやデトロイトのすべてをキット化することはかなわない。何がヒットするかを事前に正しく予見することもかなわない。ニューモデルには未来があるかどうかわからない。絞り込めば失敗できず、幅をもたせればどれかが余ってしまう。

デトロイト・プラスティックスは1964年という時代を、われわれが生きる「なんでも事後の世界」と同じように生き、そして「失敗したくない」「できるだけ悩みたくない」ことばかりをしきりに思いわずらっていた。判断の責任と結果の負担を外部に委ねたがる衝動は、今日われわれがアルゴリズムにいだく甘い依存心と響き合うものだ。

第18回ではお見せできなかった1964年型ポンティアック・テンペスト・ルマンのキットを、今回はお目にかけよう。当時のアニュアルキットは通常コンバーチブルが先に発売され、数ヶ月遅れてハードトップがリリースされていた。ハードトップのテンペスト・ルマンのキットは、箱天面にそのバッジが描かれている通りGTOのキット化であったのだが、コンバーチブルの時点ではただのテンペスト・ルマンであった。その人気に気が付いたamtが、ハードトップ発売時にGTOへと細部を改修したのである。品番は5624。

われわれの生きる「なんでも事後の世界」は、ものごとを判断する責任がことあるごとに自分自身へと帰ってくる再帰性の時代である。過去の判断の根拠がすっかり忘れられ、未来の判断の根拠がまるで見いだせないとき、人は疲弊して考えることを放棄したくなるものだが、1964年、疲弊の兆候があらわれたデトロイト・プラスティックスは、コンパクトの決定版であるフォード・マスタング、インターミディエイトの決定版ともいえるポンティアック・GTOがあらわれて、即座に人気が沸騰することによって、一時的とはいえその悩ましさから解放されることとなる。

ポニーカーとマッスルカー(註:当時は雑誌などで『スーパーカーとジュニアスーパーカー』と呼ばれてもてはやされていた)という新しい名指しが、過去のむずかしい判断の連続を忘れさせ、未来がこのまま順当にやってくることを期待させる響きを持っていたためだ。

しかしすぐに、新たな悩みが誰もを襲う。太陽の下、新しいものなど何もなく、その悩ましさもまた古いものだ——多彩であればあるほど、そのほとんどがマスタングでもGTOでもないもの、すなわち売れ残りになる。マスタングもGTOも、太陽ほど永遠には輝かない。親であるデトロイト・アイアンの寵愛と期待に応えることをやめてしまった不肖のせがれは、悩むことをやめたいばっかりに、あちらこちらをさまよっては、また同じ悩ましさに出会う。

アメリカンカープラモは、この逃れられない悩ましさを60年以上も生きている。

 

※今回、amt 1/25「’62テンペスト・コンバーチブル」、「’63ポンティアック・ボンネヴィル・コンバーチブル」、メビウスモデルズ1/25「1961ポンティアック・ベンチュラ」、モノグラム1/24「’64ポンティアックGTO」、「’53コルベット」の画像は、アメリカ車模型専門店FLEETWOOD(Tel.0774-32-1953)のご協力をいただき撮影しました。ありがとうございました。

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写真:秦 正史、畔蒜幸雄

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