誰もが知る有名なメーカーが出していたのに、「あまり知られていないクルマ」をご紹介する連載、その名も【知られざるクルマ】。前回・前々回と、「アメリカに渡ったフランス車」をご紹介したが、第9回では、テーマをもう少しゆる〜くして、「排気量と関係ないインフレ車名」をもらっちゃったクルマたちを選んでみよう。なお、「アメリカに渡ったフランス車」の続きはまだあるので、改めて記したいと思う。
一応、選定のルールを……。
クルマの数だけ車名があり、その数は膨大である。しかも「固有名詞」や「英数字」を用いるなど、命名方法もバラバラだ。英数字を車名に持つクルマの中には、単純に排気量を表したり、もしくは排気量を2桁や3桁で示したり、あるいは「シリーズ名」を示すものが多いが、中には排気量と全然関係のない「インフレ車名」を持っていたクルマがあった。
そもそもエンジンが大きなクルマだと、車名に「5000」などと付与されても、間違ってはいない。1960年代の「マセラティ5000GT」が、その一例だ。もしくは、シボレー/GMCのトラックに昔与えられていた「5000」「7500」「9500」などのシリーズ名もインフレ車名ではあるが、こちらも除外する。あと、「日産・スカイライン2000GT」のように、車名+排気量表示のうち、「2000GT」がグレード名という場合も除く。そこで今回は、この3条件を省いて、インフレ車名をいくつか記していこう。
ポンティアック6000は、6000ccじゃない!
ところで、アメリカ車の車格を大まかに分けると、下からスモール・サブコンパクト・コンパクト・インターミディエート・フルサイズという順番になる。コンパクトといっても日本のコンパクトとは概念が違い、1970年代ではボディが日本の3ナンバーサイズ以上で、エンジンは、車種によっては3.8Lもあった。そのため「中間車種」となるインターミディエートも、軽く全長5mを超えていた。省燃費化が叫ばれるようになった70年代後半に入ると、アメリカ車全体で車体とエンジンのダウンサイジング、FF化が進み、GMのインターミディエートも、1982年のフルモデルチェンジで「Aボディ」に進化。全長を50cm以上(!)削って4.8mほどに抑え、駆動方式もFFとなった。
いろいろなブランドを傘下に持つGMでは、ブランドごとに兄弟車を用意するのが常だったため、Aボディでも「シボレー・セレブリティ」、「ビュイック・センチュリー」、「オールズモビル・カトラス・シエラ」、そして「ポンティアック6000」を作り分けていた。
ポンティアックはスポーティブランドという位置付けだったが、登場当初の6000にはさしてその特徴が出ていなかったこともあり、1983年になって「STE(スポーツ・ツーリング・セダン)」というスポーティバージョンを追加した。6灯ライトを持つ2分割グリル、サイドサポートを強めたフロントシート、スポーティサスペンションなどを持ち、1984年には車両の各種情報を表示するデジタル・インフォメーションやデジタルメーターも備わり、スペシャル感を強くしていった。
キニナル6000という車名だが、6000に積まれたエンジンは直4 ・2.5L、V6・2.8/3.1L、V6・4.3Lディーゼルだったので、排気量は関係なかったことがわかる。なおこの時期、ポンティアックにはスモールカーの「T1000/1000」、サブコンパクトの「J2000/2000(のちにサンバードに改名)」などの数字車名があった。T1000は1.6Lクラス、J2000は1.8/2.0Lクラスで、こちらも車名と排気量の関連性はなかった。
まさしく「知られざるインフレアウディ」……その名も「5000」
アウディA6のご先祖「100」の初代(C1)は1968年に登場し、北米市場でも発売を開始した。その後1976年にフルモデルチェンジを受けて、ガソリンエンジン車初の直5エンジンを積んだ2代目(C2)になった。その際も北米での販売を継続したが、車名を「5000」という超インフレ数字に変更している。イメージチェンジや5気筒エンジンの印象付けの意味があったのだろうか。
C2は角形ヘッドライトだったが、当時まだヘッドライトが汎用のシールドビーム以外用いることができなかった北米市場に合わせ、丸目4灯で登場しており、大きな5マイルバンパーと合わせ、いかにも北米仕様という姿を持っていた。その後、角形ヘッドライトに変更された際は、ターボエンジンを得てデビューした100の上位版「200」がベースとなった。それを受け、1980年になって5000にもターボ版が投入された。
1983年に100がフルモデルチェンジして3代目(C3)になった時も、北米向けは5000の名を継続した。しかし、アウディ5000が起こした事故をアメリカのマスコミが扇情的に伝え、それで生じたマイナスイメージを払拭するため、1988年頃になって本国と同じ100/200という車名に戻されている。
え、そうだっけ? と勘違いさせる「微妙なインフレ車名」
ポンティアック6000、アウディ5000ともに、「このクルマの見た目ではそんなに大きなエンジンは積んでいないな」という雰囲気が漂っているのだが、中にはインフレ数字車名が「排気量」でもおかしくなさそうな車種があった。それが「VWサンタナ3000」だ。「サンタナ3000」までが一式で「車名」である。サンタナといえば、かつて日産座間工場でノックダウン生産していたことで知られる。元々は、ハッチバックとワゴンボディのみで、セダンを有していなかった2代目パサートの「セダン版」がサンタナだった。しかもサンタナは中国やブラジル、そして日本で現地生産が行われた、「世界戦略車」でもあったのだ。
本国と日本では1988年ころに生産を終えたものの、ブラジルでは2006年まで、そして中国では2012年まで、独自の進化を遂げながら販売が続いたサンタナ。その中国サンタナは、1995年に「サンタナ2000」へと車名も変わり、さらに2004年には「サンタナ3000」となったが、エンジンは直4の1.6/1.8/2Lで、3000という数字とは何も関係がなかった。でも、近代化されて車体サイズも4.7m近くまで拡大したこのサンタナを見ると、3000ccのエンジンを積んでいそうな気もする。
なお、サンタナ3000はこのあとさらに改良を行い、2008年になって最終的進化系の「サンタナビスタ」となって生産を終えている。
サーブ9000はインフレ車名ながらも「意味があり、わかりやすい」?
最後にお送りするのが、乗用車の車名でもっとも数字が大きいのでは? という「サーブ9000」である。900の上位車種として1984年に公開された9000は、大型車の需要があまり大きくないメーカーが協業して上位モデルを生み出すことで開発コストを抑えようというプロジェクトによって誕生し、「フィアット・クロマ」、「ランチア・テーマ」、「アルファロメオ164」を兄弟に持っていた。なお以前にもサーブは、ランチア・デルタを「サーブ・ランチア600」として北欧で発売したことがあり、両者には少なからず縁があった。
9000のエンジンもむろん9000ccあるはずもなかったが、サーブの場合、バリエーションとして900の廉価版「90」、メイン車種の「900」、そしてこの「9000」を揃えていたため、車名にも法則性や意味があり、車種展開の把握をしやすくする一助となっていた。
第9回はこんな感じで車種を絞らずに、テーマで車種を集めてみた。次回もテーマを決めて、知られざる車種についてまとめてみたい。
この記事を書いた人
1971年生まれ。東京都在住。小さい頃からカーデザイナーに憧れ、文系大学を卒業するもカーデザイン専門学校に再入学。自動車メーカー系レース部門の会社でカーデザイナー/モデラーとして勤務。その後数社でデザイナー/ディレクターとして働き、独立してイラストレーター/ライターとなった。現在自動車雑誌、男性誌などで多数連載を持つ。イラストは基本的にアナログで、デザイナー時代に愛用したコピックマーカーを用いる。自動車全般に膨大な知識を持つが、中でも大衆車、実用車、商用車を好み、フランス車には特に詳しい。