社長退陣の表明時には「クルマ屋の限界」という発言も
2022年1月26日、トヨタ自動車は創業家出身で10年以上も社長の職務を務めた豊田章雄氏がその座を退き、レクサスおよびGRの責任者であった佐藤恒治氏が社長に就任。豊田章男氏は代表取締役会長となることを発表しました。トヨタ自動車の社長交代は今後のトヨタ自動車にどのような影響を及ぼすのでしょうか?
そもそもトヨタ自動車は自動車産業から始まった企業ではありません。豊田家の企業としての歴史は、1890年に豊田佐吉が豊田式木製人力織機を完成させ特許を出願したときにスタートしたといえるでしょう。
その後1911年に豊田自動織布工場を設立、1926年には豊田自動織機製作所(現・豊田自動織機)を設立、繊維産業として栄えていきます。
そうしたなか佐吉の長男である喜一郎は自動車産業に興味を持ち始め、1930年に小型エンジンを試作。1933年には豊田自動織機内に自動車部を設置、1934年には臨時株主総会にて自動車事業進出を正式に決定します。
さて、現代のトヨタ自動車です。2019年12月に豊田章男氏は「モビリティカンパニーへのフルチェンジを行う」というスピーチをしました。そして2023年1月の社長退陣を表明した際には「クルマ屋の限界」という発言を行っています。
またトヨタ自動車としての動きではありませんが、豊田章男氏は自動車工業会の会長として、2019年の東京モーターショーにおいて従来のモーターショーとは異なるフューチャーエキスポなどを併催し、減少を続けていた来場者数を増加に転じさせました。さらには2023年は東京モーターショーではなく、インダストリアルショーとして全産業を巻き込んだイベントへの転換を打ち出しました。その後、インダストリアルショーはジャパンモビリティショーへと名称変更し、工業ショーから移動のためのショーとなりました。
93年前。布を織っていた会社が、小型エンジンの試作を行い、その4年後には自動車事業に乗り出すことを決定したのです。
あっという間に、新しい事業へと触手を伸ばしたその歴史から考察するなら、豊田章男氏が宣言したとおりトヨタ自動車がモビリティカンパニーに変わるのに長い時間は要さないでしょう。クルマ屋の限界という言葉の持つ意味は、「私が社長ではモビリティカンパニーになれない」ということなのかもしれません。
その一方で、豊田章男氏は自動車産業に関わる550万人の労働者にも注目しています。550万人の労働者を置き去りにして、自動車産業からの変貌はあり得ないでしょう。トヨタ自動車が自動車産業からの脱却を行うときには、日本の自動車産業自体がモビリティ産業へと変わるパラダイムシフトが起こるときとなるはずです。