LE VOLANT モデルカー俱楽部

ただひとつのことだけ知っています かつて私には言葉がなかったが 今は語れるということです【アメリカンカープラモ・クロニクル】第50回

2025年 手紙

トーマス・ロウ率いるプレイング・マンティスがラウンド2に改組したのは、2005年のことでした。第2ラウンド――長い長い第1ラウンドを倒れることなく乗り切ったファイターだけが挑む場の名を冠したこの会社は、はじめはただの新興eコマースに過ぎないと思われていました。

【画像101枚】決して沈黙しているのではなかったアメリカンカープラモたちを見る

デトロイトのアニュアルキットが誕生した1958年に産声を上げ、アメリカンカープラモ・スロットカー・ダイキャストミニカーといったオートホビーを専門に扱うカタログ通販業者として全米に名を馳せた「オートワールド」の事業と看板を買収するところから身を起こしたわけですが、それはまるで、一時は「ココ・シャネルの好敵手」とまで呼ばれながら1954年には活動停止に追い込まれていたエルザ・スキャパレリのブランドが、2007年から2013年にかけて、まったく縁もゆかりもない資本によって「化けて出た」ようなものだと思われていたかもしれません。

オートワールドは実際、1991年にカタログ通信販売事業を休止したきりになっていて、その名は多くのアメリカ人にとってとてもなつかしいけれど、古い古い名前になっていました。

「車も銃も通販できる」「そのカタログは聖書の次に国民に読まれている」とまで呼ばれ、アメリカを通信販売大国たらしめていた有名なシアーズ・ローバックでさえ、1995年に「生活の聖書」であったカタログの発行を停止していたわけですから、トーマス・ロウ/ラウンド2によるオートワールド買収なぞは、かつて虎だった毛皮をどっかの野良猫が買った――そんな滑稽譚程度に思われたわけです。

ところが、実態はまるで異なりました。オートワールド創業者、オスカー・コベルスキーは、これまで発行した年次カタログ・アーカイブと、雑誌に出稿したおびただしい広告アーカイブをすべて保管していました。そこには人々の記憶から蒸発してしまったアメリカンカープラモの歴史のすべてが、仔細に、生々しく記録されていたのです。

ラウンド2がオスカー・コベルスキーから買ったのは「アカシック・レコードの次に読み甲斐のあるアメリカンカープラモの百科全書」とも呼ぶべきものだったのです。トーマス・ロウは、狡猾な蛇にそそのかされたわけでもなく、エヴァのように軽はずみな欲望からでもなく、意を決してから知恵の実を芯まで食べてしまったといえるでしょう

ラウンド2は猛然と、デトロイトが失ってしまったもののすべてを「回収」しはじめます。ラウンド2の名の下に、amt、MPC、リンドバーグ、ホーク、ポーラーライツといった老舗ブランドの看板と金型が集められ、2012年にはついに、レーシングチャンピオンズの放出資産すらも獲得してしまいます。2000年、アメリカンカープラモを決定的に荒廃させた張本人の財産を、日本のタカラトミーの手から買い取り、再生させるという説話のような構図がここに完成したのです。

「アメリカ人の人生に第二幕はない」――だがアメリカンカープラモには2ラウンド目があった

ラウンド2は欲望に取り憑かれたただの「買い集め屋」ではありませんでした。オートワールドから引き継いだ知識にのっとり、ブランドを殺さず、むしろその意味をていねいに仕分け、ひとつひとつの名前にふさわしい文脈を新たに与えていきました。

かつてのクライスラーのように、ラウンド2の名を直接冠する商品を出すことなく、amtにはamt、MPCにはMPC、それぞれにふさわしい再販商品と新金型商品を考え、生み出していきました。彼らの手つきには迷いがありません。「ライセンスはこう扱った方がいいよね」「タイヤはいままでで最高のものを用意しよう」「このキットには新しいこんなホイールが必要だ」「デカールはこうした方がいいぞ」――これを支えていたのは、オートワールド資料の精緻な読解でした。

もちろんここにはジョン・ミューラーやティム・ボイドといった「賢人」たちの手厚い協力もありました。これはひとえに、ラウンド2が投機的な欲望からなどではなく、アメリカンカープラモという「語り」の継承によって運営されていることの証明でした。ラウンド2は、その語りのアーカイブをビジネスの指針にまで昇華させた初のアメリカンカープラモ・マニュファクチャラーだったのです。

だからこそラウンド2は、かつてどこかが「苦し紛れ」に出してしまったキットでさえも、その理由を発掘し、ととのえて、堂々と再販してみせます。

1964年のアニュアルキットにその名を残すことができなかった幻のオールズモビル・442を新金型によってキット化したことや、追えども追えども手に入らない蜃気楼とまで呼ばれたMPC ’71ダッジ・デモンをやはり最高水準の新金型で甦らせた一件はいずれもまぐれ当たりではありませんでしたし、MPCの気の迷いのようなサイクル・シリーズをトリック・トライク・シリーズとして新装再販してのけたときも彼らは真剣そのものでした。

記憶を単なる懐古にせず、歴史として再定義する意志が、そこには確かに燃えていたのです。

彼らにとって、再販とは過去の焼き直しではありません。むしろ「これがどうして再び出るのか」をユーザーに問うことで、過去と現在をつなぐ物語を彼らは立ち上げようとします。ラウンド2が提示しているのは、まさにその回路なのです。

失われた時間と、語られなかったできごとが、再販というかたちでふたたび関係を持ちます。その瞬間、アメリカンカープラモは単なる商品であることをやめ、関係性のオブジェ――12時を過ぎてなお魔法の解けないカボチャの馬車になっていきます。

「絶版キットだからもったいなくて作れない」、そんな態度にうずくまるユーザーに、彼らは新しいダッジ・デモンを黙って差し出して、「これを作ってもいいし、そっちを作ったっていいじゃない?」と暗に語りかけます。いつもフレンドリーで、どちらかといえば言葉すくないラウンド2が発信するメッセージは、じつのところかなり過激です。死蔵するな、語り直せ、記名しろ、ふたたび関係せよ――彼らはこれらを短く「エンジョイ!」(愉しんで!)と表現するのです。

最も個人的なものが最もクリエイティブ

一方、2008年創業のメビウスは、ラウンド2のような資産の横綱取りとは異なる文法でその名を刻んできました。アメリカンカープラモの世界において、メビウスはデビュー作にして最大の衝撃を放ってみせた稀有な存在です。フランク・ウィンスパーが指揮したその最初の三連撃――そのひとつハドソン・ホーネット。それは彼の父マッティ・ウィンスパーが愛し、ドラッグストリップをともに駆け抜けたマシンでした。だからこそキットのディテールのすべてには、きわめて私的であたたかい敬意が宿っていたのです。

2011年、インターナショナル・ローンスターやクライスラーC-300に続いてメビウスモデルズが送り出した第3弾、1953年型ハドソン・ホーネット(品番1200)。本文にある通り、メビウスとしては1954年型をやることこそが目的であっただろう。しかしフランク・ウィンスパーはいきなりそこから始めるのではなく、この1953年型を、そして1952年型のレース仕様を、という周到さを見せた。そこには、映画『カーズ』で1951-1953年型ホーネットとそのストックカーレースでの活躍に再注目が集まっていることへの、強かな計算が含まれていたものと思われる。

同時に、彼のドク・ハドソンには「デトロイトの息がかかった場からは絶対に登場することはない」というきわめて鋭い批評もまた宿っていました。まだアメリカが若く泥臭かった1952年、ハドソン・ホーネットは、当時最強と目されていたオールズモビル・ロケット88をもってしても追い抜くことができない「非デトロイト」の怪物だったのですから。

かつてボルジア家のようだったデトロイト・アニュアルキット体制がすっかり過去の歴史となり、よりフラットな語りが自由に展開できるようになった21世紀にまことふさわしいハドソン・ホーネットをぶっ放すや、メビウスの「おしゃべり」は怒濤の勢いのまま止まらなくなります。

キットがなかったフォード・Fシリーズ・ピックアップをみるみる体系的に補完し、モパーBボディーの穴を手際よく埋め、メビウスは成功に次ぐ成功だけをどんどん手にしていきます。万人が共感しているわけでもないのに、彼らは「僕にとってはまだ語るべき内実があるんだよね」といってまるで口と手を止めようとしない。

すべては社主フランク・ウィンスパーや参謀デイブ・メッツナーの個人的動機であるはずのものが、商品としての普遍性をかたっぱしから獲得してしまう――メビウスはその初めの一歩から、ずっとこのことを証明し続けています。どう見ても奇跡に映るのですが、それは語るべき者が名を名乗り、堂々と語りさえすれば、届く人には必ず届き、その数は決して少なくないのだという、文化の根本にかかわるまことにシンプルな証明になっています。

メビウスはアメリカでもっともモダンな技術力を持っていますが、それ以上に、「市場のどこで、誰の祈りが滞っているのか」を見つけ出し、そこにさっと手を差し伸べることができるという一点にかけては、ラウンド2に勝るとも劣らない際立った冴えを見せるのです。オートワールドのアーカイブは彼らの手許にはないはずなのに――メビウスは「耳がいい」のです。

激しい風、地震、火災が立て続けに襲うなか、か細い導きの声をしかと聴き分ける預言者エリヤのエピソードが列王記・上19:12に記されていますが、メビウスの文化的聴力ともいうべき感覚にはこの譬えがしっくりきます。こう書くとむずかしく聞こえるでしょうが、先に述べた「メビウスのおしゃべり(語り)が止まらない」とあわせて考えてみるとどうでしょう。

そう、メビウスには「秘密」がないのです。アメリカではアメリカンカープラモ趣味の言説ターミナルといえるモデルカーズマガジン・フォーラムのような場がいまも活発に機能しています。メビウスはそこで、考えていることをすべてしゃべってしまうどころか、今後の製品化リストをあっさりと公開し、フィードバックを細かくチェックしているのです。メビウスが読んでいないスレッドはありませんし、くちばしを突っ込んでいないトピックはほぼ存在しません。

レベルがやる時 彼らはいない 彼らがやる時 レベルはじっと見つめる 

2007年にモノグラムの名を完全に消滅させ、幾度かのオーナー変更を経ながらも存続してきたレベルは、ラウンド2やメビウスとはまるで違うその「他者性」によって独特の位置を保ち続けています。1/25スケールという共通フォーマットを採りながらも、デトロイトで培われた「実車の1インチは模型の1ミリ」(本連載第1回をお読みください)ではない、あくまでも除算による「1/25スケール」をレベルは採用することで、かつてのアニュアルキットとは異なる座標軸を自らのプロダクトに与えているのです。

これを言い換えれば、レベルは「デトロイト訛り」を決して話そうとしない――だからこそレベルは、’68シボレー・シェベルのようなテーマを、amtのいまも生き残る元アニュアルキットにまったく遠慮することなく新金型でぶつけてきます。そこに妥協はなく、むしろ「別の正統」として堂々と提示されるのです。

少々ふてぶてしいくらいにみごとな仕事ぶりが、21世紀のレベルの身上です。amtとレベルの’68シェベルをお持ちでない方は、いい機会ですから買ってきて、作り較べてごらんになるといい。あなたがアメリカンカープラモ・クロニクルの熱心な読者であればあるほど、レベルのことがちょっと小憎らしく思えてくるはずです。

レベルはデトロイト出身ではない。だからこそ沈黙したまま、ラウンド2の一挙手一投足を観察し、メビウスの止まらないおしゃべりに耳を傾けています。

かつて来日公演の記者会見の場において「ローリングストーンズがこれほど長く最高の状態を維持していられるのはあなたのおかげだと言われていますが、どうですかチャーリー」と記者から水を向けられたドラマーのチャーリー・ワッツが、腕組みしたままにこりともせずマイクに顔を近づけて「くだらん」と言い放ったことがあります。

レベルの他者性とは、そんな他者性です。言葉を選ぶラウンド2、おしゃべりが止まらないメビウス、彼らと同じテーブルに着くプレイヤーでありながら沈黙を守るレベルは、ポーカーフェイスの重い仮面の下にいつも強力な切り札を隠しています。もはや失敗などしないし、できるはずもないのです。

私の今日までの歩みが、アメリカンカープラモについて語っていた

現在のアメリカンカープラモには、この3社の関係にさらなる「変数」が加わっています。モノグラムの古い金型を引き継いだアトランティスがあり、正真正銘のプラウドリー・メイド・イン・テキサスをひっさげてアメリカンモータースポーツ一本勝負に挑み続けるサルビノスJRモデルズがある。多士済々とはこのことです。ここには半世紀以上に及んで活動し続けるアメリカンカープラモという「運動」の緊張関係があります。

しかし、それは20世紀のそれとはまるで似ていません。はじまりと終わりをそれぞれが打算的に繰り返す「制度」に、アメリカン・プラスチックスはもうとっくに見切りをつけています。「いまのアメリカンカープラモには、もはやかつての輝きがない」などとうっかり口にする人々は、往時の戦争じみたゲームを思い描くばかりで、彼らが互いを異なる存在として認め合い、参照し合う姿に気づいていません。いまや彼らが守るものはアメリカンカープラモというエコシステムなのです。

アメリカンカープラモ・クロニクルは20世紀のことを「歴史」と呼んで閉じることによって、彼らの一部について語る機会を手放しました。歴史に突っ込んだ片足が彼らにない以上、アメリカンカープラモの「いま」をともに生きている誰もが、彼らについて自由に語るべきだと本連載は考えるからです。

誰もその意味するところがわからなくなっていた1/25スケールについて、真実をしっかりわかりやすく語ってみせるところからはじまったアメリカンカープラモ・クロニクルは、すべて日本語で、字数にして18万字ほどを費やして語られてきました。

程度はどうあれこれに付き合ってくれたみなさんは、連載開始前にはまるで意味不明だった(かもしれない)アメ車のプラモデルを「アメリカンカープラモ」として認識し、日本語で呼び、日本語で語ることができる者になっているのではないですか。

いま模型店に並ぶアメリカンカープラモは例外なく、それぞれ確かな物語を身に刻まれて棚に置かれています。それを読み取ることができ、自分の言葉に置き換え、語ることができる者たちはいま、アメリカではなく、ここ日本において確実に増えています。歴史以外の、著者以外の語り手はもういるのです。あなたのことです。

語り直すということは、なにも過去を固定して厳密に組み立て直すことを意味しません。それに近い面倒ごとは、もうアメリカンカープラモ・クロニクルがほぼ済ませました。アメリカンカープラモというジャンルは、これまで語られてこなかった時間にこそ多くの情熱が眠っているんだよ――そんな話を夢中になって伝えるだけで、50回を費やしました。

語りきれなかったことはもちろんあります。でもそんな心残りは、もはや著者ではなくあなたが、あなたの名のもとに語るフェーズに突入しています。落ち穂を拾うのは外国人のルツであるべきなのです。

みなさんのお手許にあるキットたちは、必ずしも新品ばかりではないはずです。黙って死蔵されてきたキットたちがその多くを占めるのではありませんか。そうしたキットたちひとつひとつについて、著者は語ることができません。ふさわしくないのです。

そうしたキットたちは、それを手にしたあなた方によって語られてはじめて「なぜこのキットがだいじなのか」をあなただけに教えてくれるのです。クソキット、ゴミキットと呼んだら最後、そのキットは冷たく押し黙ったままほんとうに不燃ゴミとなるか、よくて死蔵が続くか、あるいはみすぼらしい姿でみたび中古市場を漂うか、そんなみじめな運命しかありません。

模型店や模型雑誌の多くが今日も「あたらしさ」を売っています。そんな商業的言説のちょっとはずれに、きわめて個人的な動機と記名の力で語られるべきものがあるんだ、ということを精いっぱい証明して、アメリカンカープラモ・クロニクル全50回はここにひとまず結びを迎えます。著者はラウンド2のように聞き分けがよくありませんから、最後のメッセージを直裁にぶつけることしかできません。許してくださいね。

死蔵するな。
語り直せ。
記名しろ。
ふたたび関係せよ。

エンジョイしてください。

 

※今回、メビウスモデルズ1/25「1965ダッジ・コロネット・セダン」、「1970フォードF-100カスタム・ショートベッド」、「1965シボレー・シェヴィーⅡギャッサー」、「1965シボレー・シェヴィーⅡノヴァ・レストモッド」の画像は、アメリカ車模型専門店FLEETWOOD(Tel.0774-32-1953)のご協力をいただき撮影しました。ありがとうございました。
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写真:羽田 洋、秦 正史
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1972年生まれ。日曜著述家。Bluesky SNSを中心に、stand.fmでラジオ形式のホビー番組「バントウスペース」をホスト中。造語「アメリカンカープラモ」の言い出しっぺにして、その探求がライフワーク。

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