コラム

「A110」の故郷を旅する。仏ディエップで味わう絶品帆立貝とハートのチーズ、そしてアルピーヌへの愛

アルピーヌの本拠地「ディエップ」ってどんな街?

2025年に創業70周年を迎えるアルピーヌ。その聖地、フランス北部の港町ディエップが今、ファンの熱い注目を集めている。A110の生産工場があるだけの街と思われがちだが、実はフランス屈指の水揚げ量を誇る帆立貝やハート形のチーズといった美食、そしてカナダとの深い歴史で結ばれた魅力的な観光地でもあるのだ。記念すべき年にこそ知りたい、ディエップの知られざる素顔と、街に息づくアルピーヌへの愛を現地からレポートする。

【画像14枚】新旧A110のモニュメントから名物グルメまで。アルピーヌ創業70周年に沸く聖地ディエップの今を見る

事故と盗難未遂にも屈しない。A110モニュメントに宿る「アルピーヌの街」の矜持

今年2025年はアルピーヌが創業した1955年から70周年記念。アニバーサリー・イベントといえば工場のある地元に現オーナーやファンが集まるのはお約束だが、それにしてもアルピーヌの工場がある以外にディエップって何かあるのか? 正直いって、何度かディエップを訪れているにもかかわらず、筆者の認識はその程度だった。

アルピーヌ工場は街の競馬場の向かいにあって、近くのランナバウト(フランス語でロン・ポワン)脇には、ピストンからにょっきり生えるように頭を出した創業者ジャン・レデレのちょっとキッチュな胸像、そして街の入口といえるロン・ポワン・デ・カナディアン(なぜ“カナダ人”が地名か、後述する)には、新旧のA110が置かれたモニュメントがある。以上がこの街で、エンスージアストやクルマ好きにはお約束のポイントだ。

余談だが、後者のロン・ポワンでは3年前、酔っ払い運転のフルゴネットが突っ込む事故があって、新A110の実物大模型(とはいえ実車のアルミボディ)が大きく損傷。だが翌年のアルピーヌWRC制覇50周年記念イベントのために急遽、新しいA110実物大模型が補充された。つまりディエップ市と工場がそれだけ、「アルピーヌの街」としての矜持にこだわっているのだ。

さらに余談だが、旧い方のA110模型も無傷ではない。こちらは2015年のある夜中、なんと盗難されかけて、賊がFRPのドンガラと気づいたか途中で諦めたかしたらしく、近くの道端に放置されていた。もとより市と県が折半した予算で、AAA(アルピーヌ旧社員の会)の監修の元にフランスのボディメーカーが実現したFRPボディは、2017年に新A110が復活する以前から飾られていた。かくして修理された上で、今の姿を保っているのだ。

公認ガイドと巡るディエップ入門。港で味わう名物の帆立貝

そして今回の70周年記念イベントの取材には、まさに「ディエップ入門」というべき観光ガイドコースが組み込まれていた。案内役はノルマンディの公認ガイド、“Dans les pas de Lora(ローラと同じステップで)”を営むローラさんだ。

まずディエップ(Dieppe)の由来だが、英語のdeepと同じ語源で、スカンジナビアや英国を経由してきたヴァイキング系の入植者が、船を着けやすい場所ということでそう呼んだらしい。実際、今日もディエップは別名「4つの港をもつ街」といわれ、漁港と商業港、北海フェリーの港、ヨットの港がある。海産物は色々と獲れるところだが、ディエップ特産といえば帆立貝で、フランス全土の2割近い水揚げ量があるとか。

そのため街の名物としてまず挙がるのは、「帆立貝のリエット(繊維質をやや残したペースト)」だ。リエットは元々は保存食で大抵、肉を材料としたものが多い。エシャロットや白ワイン、クリームやバターも使われているとはいえ、貝のものは珍しい。かもめ除けの屋根がついた魚河岸で、パンやバゲットに塗ってそのまま食す。すると貝柱のスジをちょっとだけ感じながら、帆立貝特有の風味とうま味が口いっぱいに広がる。ちょっとクセになる味で、冷蔵庫がアテにできて夏でなければ持ち帰りたかったぐらいだ。

もう一つの名物、ハートのチーズ「ヌーシャテル」とカナダとの深い絆

またディエップは自然区(日本でいう三河とか上州といった感覚に近い)としてはペイ・ドゥ・コーとペイ・ドゥ・ブレーの中間。名物チーズといえば、ハートの形をしたヌーシャテル(Neufchâtel)だ。これはカマンベール同様、牛乳を材料にやや硬めの外皮と柔らかい中身をもつ白カビチーズ。なぜハートの形をしているかといえば、百年戦争で英国に占領されていた時代、若い娘たちが兵士に愛情や恭順を示すためにそうしたという説もあれば、単に昔から枠型がハート型をしていたという説もある。均等に切り分けるのが難しいため、地元の人々にはそれぞれ一家言あるのだとか。

昔は井戸があったという広場は、「Place du Puits salé(塩辛い井戸の広場)」と呼ばれている。この辺りからサン・レミ教会へ向かうと、第2次大戦中にカナダ人兵士がここで斃れた、といった石板が目につく。確かに1942年の8月、ディエップでは連合軍の上陸作戦が失敗に終わり、その時の連合軍の多くを占めていたのがカナダ兵士だったのだ。

でもディエップとカナダの関わりはそれだけではない。先の教会から砂浜へ向かう途中にあるトゥレル門は、百年戦争期に要塞化された街の7つの門のうち、唯一今日も残るものだ。その内側には「LES FILLES DU ROY(王の娘たち)」と記された石板が掛けられている。1663年から1673年の間、ルイ14世の治世下で当時“ヌーヴェル・フランス”と呼ばれていたカナダはケベックへと、入植者たちと結婚するために770人以上の若い女性が、ディエップの港から出立したのだとか。こうした史実を踏まえていくと、皆が皆その子孫でなかろうとはいえ、ディエップで戦死したカナダ人兵士の悲劇性がより浮かび上がってくる。

地元で愛され続ける「ディエップの魚」。人情が走らせた非ワークスA310

ショーウィンドウに新旧アルピーヌのステッカーを掲げて、盛り上げてくれる商店もそうだが、ディエップは小さな港町に独特の律儀さ、情の通わせ方がある。海際の防波堤まで来てローラさんがオヤツにと、出してくれたフランボワーズのタルトには、ちょっと滲んでしまったがアルピーヌのロゴがあしらわれていた。しかもよく見れば……丸の下半分がレタリングになるのは1950年代からのいちばん古いロゴだが、上半分は最新のAアローになっているという、芸の細かさだった。

ちなみに数日後、市内で行われたパレードランで、毎度のことだが大注目を集めたアルピーヌがある。1977年のA310グループ5こと「ポワソン・ディエポワ(ディエップの魚)」だ。これは当時、ディエップ工場の隅で放置されかけていたグループ5プロトタイプを、品質検査のエンジニアでアマチュアドライバーだったベルナール・ドゥキュールが買い取り、ディエップ市の商工会議所のスポンサードを得てル・マン24時間に出走したというもの。ディエップの海産物をプロモートするための仕着せが、これだったのだ。すでにA442開発に予算をかけていたルノー・アルピーヌからは援助を得られなかったが、ワークス兼テストドライバーだったマウロ・ビアンキが少なからず開発に手を差し伸べ、ル・マンにはジャン=リュック・テリエがドライバーの一人としてステアリングを握った。

じつは実車ではなく忠実に仕立てられたオマージュ車だが、人情味溢れる「非ワークスカー」のエピソードに、地元の人々はいつまでも熱狂し続けているというわけだ。

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フォト=南陽一浩/K. Nanyo
南陽一浩

AUTHOR

1971年生まれ、静岡県出身、慶應義塾大学卒。ネコ・パブリッシング勤務を経てフリーランスのライターに。2001年より渡仏し、パリを拠点に自動車・時計・男性ファッション・旅行等の分野において、おもに日仏の男性誌や専門誌へ寄稿し、企業や美術館のリサーチやコーディネイト通訳も手がける。2014年に帰国して活動の場を東京に移し、雑誌全般とウェブ媒体に試乗記やコラム、紀行文等を寄稿中。2020年よりAJAJの新米会員。

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