信玄と謙信が覇権を競い真田親子が愛した豊かな地
北国街道の通る東信地方は古くから実り豊かな土地だった。寒冷な信州のなかにあっては気候が比較的温暖で、千曲川やその支流の水利にも恵まれていた。そのため、平坦地には田畑が拓かれ、周囲の高原には『御牧』(みまき)と呼ばれる官営牧場も数多く点在していた。
そこに目を付けたのが甲州の武田信玄と越後の上杉謙信である。東信の覇権を争った両雄は、1553年から1564年までの10年あまり、千曲川と犀川の合流点に広がる川中島の平原(現在の長野市南郊)を中心に激戦を繰り広げる。その後、徳川の上田攻めを二度にわたって撃退した真田昌幸・幸村親子の時代を経て、東信地方には平和が戻り、豊かな田園地帯に伸びる北国街道は活気を見せていく。
現在、長野県庁は長野市にあるが、もともと信濃国の国府は国分寺遺跡のある上田市と海野宿の中間あたりに置かれていた。そこから西の美ヶ原山麓に向かって進むと、塩田平の最奥部にあるのが別所温泉である。
鎌倉幕府の執権、北条氏の直轄地だったことから別所(=別荘)と名付けられた信州最古の温泉地には、国宝の三重塔がある安楽寺をはじめ、鎌倉文化を色濃く伝える名刹が点在する。また、上田市街から別所温泉にかけては、今から100年ほど前に建てられた古い建物や木造橋が数多く残り、映画のロケ地としても利用されている。
こうした古き佳き日本の風景が数多く残されているのは、明治の養蚕ブームを最後に、経済成長の流れから取り残されてしまったからかもしれない。しかし、のんびりと旅するにはじつに気持ちのいい土地なのである。