巨大古墳が物語る強大な地方国家の存在
大きな桃がどんぶらこ……と流れてきた桃太郎の昔話。その鬼退治の舞台とされるのが吉備国である。温暖で肥沃な大地、そして、製鉄文明をもつ古代国家は、なぜか古事記や日本書紀には記述がほとんどない。吉備路をゆけば、謎を秘めた古代のロマンに出会える。
日本各地に伝わる桃太郎伝説。その総本家とでもいうべきが、岡山県総社市に残る鬼ノ城である。この古代の山城を根城としたのは温羅(うら)という鬼神。百済から飛来した妖術使いといわれ、略奪や人さらいなど、里の人々にさまざまな悪事を働いていた。そこにヤマト王朝が派遣したのが吉備津彦命(きびつひこのみこと)という皇子。彼は家来とともに温羅を討ち取り、みごと『鬼退治』を果たすのである。
当時の吉備国は、畿内のヤマト王朝と拮抗する強大な地方国家のひとつで、その領域は備前・備中・備後・美作(みまさか)の4国(現在の岡山県全域と広島県の東側半分など)におよんだ。中心地は備中国分寺などがある岡山市西部から総社市のあたり。3本の川が瀬戸内海へと注ぐ肥沃な平野である。
吉備国の強大さは、この地に点在する巨大古墳が雄弁に物語っている。そのひとつ、造山古墳は国内4番目の規模をもつ前方後円墳で、全長は360m(最大の仁徳天皇陵は480m)に達する。ただ少し不思議なのは、奈良や大阪の天皇陵が厳重に立ち入りを禁止され、遺跡調査さえできないのに対し、このあたりの古墳は誰でも自由に出入りでき、上まで登れば総社平野一望の眺めも気軽に楽しめる。この違いはどこから来ているのだろう?
鬼ノ城ビジターセンターのスタッフから、こんな話を聞いた。「桃太郎伝説は、ある意味、体制側から見た勧善懲悪の物語なんですよ。もし温羅が吉備津彦命を返り討ちにして、覇権を握っていたら、まったく違う伝説が残っていたのでしょう」
桃太郎伝説とはつまり、日本という国家の原型を築きつつあったヤマト王朝が、自分たちの覇権を正当化するため、世間に広めたプロバガンダだったのかも知れない。