旅&ドライブ

茶屋から眺める富士は今も昔も変わらない(山梨県・御坂峠)【絶景ドライブ 日本の峠を旅する】

二代目の手によって営業再開した峠の茶屋

最近、 急速に数を減らしているのが峠の茶屋である。新トンネルの開通で御坂峠の天下茶屋も 一時廃業したが、約10年の時を経て復活。太宰治を愛する文学ファンや富士の眺めを楽しむ人で今も賑わっている。

昭和初期に国道8号として開削された御坂峠の道。御坂隧道から北の冬季閉鎖は4月下旬に解除予定。

太宰治が『富嶽百景』のなかで、風呂屋のペンキ画のようだとこき下ろしたのが、御坂峠からの富士の眺めである。
『まんなかに富士があって、その下に河口湖……(中略) 。近景の山々がひっそり蹲(うずくま)って湖を抱きかかえるようにしている。私は、ひとめ見て、狼狽(ろうばい)し、顔を赤らめた。……(中略)どうにも註文どおりの景色で、私は、恥ずかしくてならなかった』
甲府盆地と河口湖の間は、現在、国道137号で結ばれている。長いトンネルで御坂山の中腹をまっすぐに抜けていく快適な道だ。

御坂峠・天下茶屋の名物は、ほうとうと自家製の甘酒。

中央自動車道の一宮御坂ICから南に向かうと、その新御坂トンネル手前で左へそれる細い道がある。これが御坂峠に続く国道137号の旧道(県道708号)で、くねくねと曲がりくねった山道を登り切ると、コンクリートの苔むした御坂隧道の入口が現れる。そして、この薄暗く、勾配があって先を見通せない全長396mの古いトンネルを抜けると、 「いきなり!」といった感じで富士の姿が目に飛び込んでくる。
甲府盆地側は手前の山にさえぎられて富士の姿はほとんど拝めない。それだけに、この出会いには一瞬息を呑むほど感動する。

約10年間の休業期間を挟み、今年で創業83年を迎える天下茶屋。営業時間は朝9時から日没まで。冬季休業期間以外は定休日なし。

甲斐国と相模国を結ぶ鎌倉往還最大の難所、御坂峠に自動車道のトンネルができたのは昭和6年(1931年)のことだった。以来、御坂山の鞍部を越える標高1520mの旧峠に代わり、御坂隧道の河口湖側出口(標高1300m)が御坂峠と呼ばれてきた。
鎌倉往還というのは非常に古い道で、「神坂(みさか)」に由来する名前からも想像が付くように、日本武尊が東征の際、ここを越えたという伝説も残っている。また、御坂隧道ができた時に付けられた国道番号は1桁の「8」というもの。極東でソ連と対峙していた戦前の日本にとって、首都圏から日本海側へ抜ける途中にある御坂峠は、今からは想像できないほど重要なルートだったのだ。

天下茶屋の名物はほうとう(写真はきのこほうとう鍋1,410円)。太宰の滞在した茶屋の名物がほうとう(放蕩!?)というのも何かの縁か。

ところが、昭和42年(1967年)に御坂山の標高1000m付近を一直線に貫く有料道路のトンネルが完成すると、峠を行き来するクルマは一気に減少する。
「猫一匹通らんようになってしまったんですよ、ハハハ……」
こう話すのは峠に建つ天下茶屋の二代目社長、外川満さんである。

天下茶屋の2階は太宰治文学記念館になっていて、ゆかりの品々を展示中。茶屋を利用した人は自由に見学できる(入場無料)。

先代の父が御坂峠に茶屋を開いたのは、隧道開通から3年目の昭和9年のこと。マイカーとか、ドライブなどという言葉さえ存在しない時代だったが、甲府と富士吉田の間には路線バスが毎日10便近く運行され、おかげで店もけっこう繁盛していたらしい。
「昔は未舗装の悪路でしたから、クルマも、人も、必ずここでひと休みしなければならなかったんです。路線バスも20分くらいは停車していたと思いますよ」
天下茶屋は新しいトンネルの開通にともなって廃業。現在の店はその10年ほど後に二代目の手で再開されたものだ。

新御坂トンネルができるまで甲府と富士吉田の間を往復していた路線バス。太宰治もこのバスを利用して麓の町まで出かけていた。

小説ではけなしつつ太宰が愛した富士の眺め

記念館には太宰治が使用していた机や火鉢を展示。部屋は復元されたものだが、床柱などは創業時のものをそのまま使用している。

天下茶屋は旅館ではなかったが、昔は旅人に請われると二階の八畳間を一夜の宿として提供することがあった。夕食は家人が食べるのと同じありあわせのもの。ところが、富士の眺めは素晴らしいし、素朴なもてなしもいいということで評判になり、いつしか下界の暑さを逃れて長期逗留する文人墨客が増えていくことになる。そんなひとりが、昭和13年秋、先輩の井伏鱒二に連れられてやってきた太宰治である。

天下茶屋の二代目、外川満さん自慢の愛車がこの2台。半世紀も前のボルボ・アマゾンや ハンバーがセル一発で目覚めるのにはびっくり!

昭和19年生まれの外川さん自身に太宰の記憶はまったくない。しかし、茶屋を切り盛りしていたご両親は太宰のことをよく記憶していて、いろいろな想い出を聞かせてくれたそうだ。そのとき太宰は29歳。母上に言わせると、大地主の息子で、東京帝大に学び、すらりと背の高い新進作家は「ここらの田舎じゃ、まったく見かけない若者だった」とのこと。今風に言うなら「オーラが違う」といったところだろうか。
ちなみに、 『富嶽百景』に登場する「おかみさん」は外川さんの母、「娘さんは」は叔母がモデルになっていて、10歳離れた長兄は太宰にとても可愛がられ、よく手を引かれて散歩などに出かけていたという。

昔ながらの姿をとどめる御坂隧道は国の有形文化財に登録。「富士には月見草がよく似合ふ」と刻まれた文学碑は、昔の峠道(トンネル脇の遊歩道)を少し登ったところに建っている。

ほんの一週間の予定が、 「何が気に入ったのか知りませんけど……(外川さん談) 」 、太宰の滞在は3カ月におよび、寒さの厳しくなった11月、ようやく峠を下って甲府の下宿へと移り住んでいく。そこで書き上げたのが太宰作品のなかでも中期の代表作とされる『富嶽百景』なのだった。
『実際の富士は、鈍角も鈍角、のろくさと拡がり……』という富士の頂角の話で始まる短編のなかで、太宰は富士山のことを『風呂屋のペンキ画』とか、 『芝居の書割(かきわり)』などと軽蔑し、時には富士よりも道端の月見草を誉めたたえたりしている。しかし、その行間からは悠然たる富士への畏怖の念、さらには憧れや愛おしさがあふれんばかりに滲み出てくる。

国道137号はかつての鎌倉往還で「御坂みち」の名もある。

『富嶽百景』は旅行中の若い女性ふたりに記念写真のシャッターを頼まれるシーンで終わっている。
『私は、ふたりの姿をレンズから追放して、ただ富士山だけを、レンズいっぱいにキャッチして、富士山、さようなら、お世話になりました。パチリ……』
小説の中では富士山にも、若い女性旅行者にも、終始アイロニカルな(皮肉っぽい)男を演じていた太宰だったが、実際に彼が撮った写真には、富士をバックにふたりの女性がきれいに写っていたことものちに判明している。

御坂峠とともに、富士の眺めの素晴らしさで知られる県道703号・三国峠。近くのパノラマ台は絶好の撮影ポイントとして知られる。

御坂峠3Dマップ

◎所在地:山梨県笛吹市/富士河口湖町◎ルート:国道137号/県道708号◎標高:1300m◎区間距離:30.8km(一宮御坂IC-河口湖畔)◎高低差:950m◎冬季閉鎖:12月上旬-4月下旬

【A】みさか桃源郷公園(みさかとうげんきょうこうえん)

甲府盆地を一望する桃の里
周囲を桃畑に囲まれ、南アルプスや八ヶ岳連峰、甲府盆地を一望にできる公園。花の見頃は例年4月20日前後だが、標高の高い場所では5月の連休まで楽しめる。●入場無料(8:30-20:00・季節により変動)/笛吹市御坂町尾山650/055-262-1120

【B】白須うどん(しらすうどん)

看板のない民家風うどん店
噛んでも噛んでも押し返してくるような弾力をもつ極太麺は、吉田うどんならではのもの。メニューは「あったかいの(かけ)」と「つめたいの(つけ)」の2種類のみで、ともに350円。●11:00-15:00/日曜定休/富士吉田市上吉田3296-1/0555-22-3555

白須うどんは店内も一般の民家そのもの。玄関で靴を脱いで座敷に上がり、仏壇の前でいただく。

ご主人みずからが打ち、茹で上げる極太麺。これが風味豊かなダシやキャベツの甘みと絶妙にマッチ。

【C】忍野八海(おしのはっかい)

富士の雪解け水が湧き出す
山中湖の北に広がる忍野村には、富士の伏流水が生んだ池が8つあり、これらを「忍野八海」と呼んでいる。写真の湧池の湧水量は毎秒2.2トン。周囲には水飲み場や銘水で打つそば店なども点在。●忍野村忍草/0555-84-4222(忍野村観光協会)

【D】鳴沢氷穴(なるさわひょうけつ)

夏でも涼しい氷の洞穴
活発な火山活動を繰り広げてきた富士山の周辺には熔岩洞穴が点在している。そのひとつ、鳴沢氷穴は内部の年平均気温が3℃。奥は1年を通じて氷に覆われている。●入場料350円/8:30-18:00(季節により変動)/鳴沢村8533/0555-85-2301

【E】休暇村富士(きょうかむらふじ)

ペンキ画ではなくホンモノ!?
富士山の眺めが自慢の宿。のんびり湯に浸かりながら、まるで絵に描いたような富士を拝むことができる。●1泊2食付12,660円(平日1室2名利用時の1名分)から/日帰り入浴料800円(富士宮市お住まいの方は650円、11:00-14:00/火曜定休)/富士宮市佐折634/0544-54-5200

アクセスガイド

御坂峠に最も近いのは中央道・一宮御坂ICで、調布ICからは約90km(通常料金2,610円)、インターから峠までは約20km。名古屋方面からは新東名を新富士ICまで走り、河口湖側から峠をめざすと約250km。山麓から富士の眺めを一日たっぷり味わいたいなら、太陽の動きに合わせて東麓→南麓→西麓の順に巡るのがお勧めだ。

銘水の多い富士山麓。道の駅・富士吉田の湧き水もそのひとつで、多くの人が水汲みにやって来る。

 

 

掲載データなどは2016年7月末時点のものです。実際におでかけの際は、事前に最新の情報をご確認ください。
LE VOLANT web編集部

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