もう一周したくなる!? 珍しい一方通行の峠道
海に向かって大きく裾を広げる島原半島の雲仙岳は、有史以来、何度も噴火を繰り返し、大きな災害を引き起こしてきた。しかし、雲仙岳は災いだけでなく、さまざまな恵みももたらし、今も島原のシンボルとして人々から愛され続けている。その雲仙岳の新たな最高峰、平成新山へと肉薄する道が仁田峠である。
仁田峠は全国でも珍しい一方通行の峠道である。
もともとこの道は長崎県が管理する有料の観光道路(仁田峠循環道路)で、途中には人家が一軒もない。だから一方通行でも特に不便はなかったわけだ。2009年4月に無料開放され、雲仙市の市道となったあとも、この形態はそのまま引き継がれている。
峠への入り口は雲仙岳の南西麓にあり、国道57号からの分岐を折れると昔の料金所がすぐに見えてくる。そこからしばらくは木々に囲まれた急勾配の登り坂で、タイトターンを繰り返しながら高度を上げていく。道幅はせいぜい1.5車線といったところ。対向車が来ないとはいえ、山道に慣れないドライバーはちょっと苦労するかもしれない。
起点から3kmほど走ると雲仙岳の南側斜面に出て、視界は大きく開けてくる。右手に見えるのは島原湾で、天気がよければ対岸の熊本市街や阿蘇の山なみまで一望にできる。さらに稜線に沿って大きなカーブを描きながら1kmほど走ったところにあるのが第二展望所。この駐車場の先にある左コーナーを抜けると、いきなりといった感じで、噴火跡も生々しい巨大な山塊が目の前に姿を現す。
まだ記憶に新しい方も多いだろうが、雲仙岳の噴火が活発になっていったのは平成2年(1990年)のこと。当初、溶岩ドームと呼ばれていた隆起は、やがて主峰・普賢岳(標高1359m)を超える高さにまで成長し、のちにこれは平成新山(標高1486m)と名付けられる。
日本に数ある山の中でも平成新山ほど新しいものはない。また、誕生からの成長過程がこれほど克明に映像で記録されている山は、おそらく世界でも類を見ないだろう。つまり仁田峠というのは、今もときどき噴煙を上げる「出来たてほやほや」の山に接近遭遇できる貴重な峠道なのである。
第二展望台からロープウェイ乗り場(第一展望台)のある仁田峠までは2km弱。この前後がルートのハイライトで、そこを過ぎると道は再び鬱蒼とした木々に覆われた谷筋へ下っていく。そして、狭いヘアピンカーブをいくつか抜けると、あっけなく終点の国道389号に出てしまう。
仁田峠循環道路の全長は8.2km。国道389号と国道57号で結ばれる峠の入口と出口の間も3.5kmほどしかない。一周12km足らずの周回コースだから、迫力あふれる雲仙岳の姿に釣られて、ついつい「もう一周!」したくなってしまう。
計り知れない恵みももたらしてくれる火山
有史以来、何度も噴火を繰り返してきた雲仙岳だが、人的被害が最も大きかったのは「島原大変肥後迷惑」と言い伝えられる江戸時代の災害である。
今から200年以上前の寛政4年(1792年)、普賢岳の噴火と地震により、島原城の西にそびえる眉山が崩壊し、城下は土砂で埋め尽くされてしまった。さらに崩れ落ちた土砂は海に達すると津波を引き起こし、これが幅20km足らずの島原湾のなかを何度も行ったり来たりした。この「島原大変……」はその名の通り島原半島だけでなく、対岸の熊本や天草諸島にも甚大な被害をもたらし、記録によると亡くなった人の数は1万5000人にも達したという。
「平成の噴火が始まったばかりの頃は、雲仙観光の目玉がまたひとつ増えたと、喜ぶ観光業者さえ多かったとですよ」
こんな打ち明け話を聞かせてくれたのは島原市役所に勤める人だった。ところが周知の通り、普賢岳の噴火活動は予想を超えた規模になり、翌1991年には報道陣も巻き込んだ大火砕流により47名の死者・行方不明者を出すことになる。そして、5年にもおよぶ噴火で道路や鉄道は埋め尽くされ、2600棟あまりの建物も被害を受けた。もちろん観光業界も大打撃を受け、島原半島を訪れる観光客の数は、いまだに噴火前のレベルに戻っていないという。
「とはいえ、地元で雲仙の山を恨むような人はあまりおらんでしょう」とその人は言う。誰もが火山のもたらす恵みもまた、計り知れないほど大きいことを知り尽くしているからである。
南島原駅近くの景勝地、小さな島々が点在する九十九島は「島原大変……」の時に眉山から転げ落ちた巨岩の残骸である。島原の町を潤す豊かな湧水群も、このとき生まれたもの。雲仙の名湯をはじめとする半島各地の温泉地も、もちろん火山活動の副産物にほかならない。
さらに言えば、平成の噴火による被害から島原の中心地を守ったのは、何を隠そう「島原大変……」の原因となった眉山である。この山が堤防の役割を果たして火砕流や土石流の流れを変えてくれたおかげで、島原市街は火砕流や土石流の直撃をまぬがれることができたのだという。
むしろ、今回の旅で不気味に感じたのは、火山活動を続ける雲仙岳より諫早湾の方だった。雲仙の山なみをバックに、まるで海の上を駈け抜けるような全長8kmの堤防道路は、実に気持ちのいい道である。しかし、堤防の内と外とでは海の色があまりにも違っていた。しかも、異変が起きつつあるのは、一見きれいに見える堤防の外の有明海だという。
仁田峠3Dマップ
◎所在地:長崎県雲仙市◎ルート:市道小浜仁田峠循環線◎標高:1067m◎区間距離:約8.2km◎高低差:312m◎冬季閉鎖:なし(夜間通行止め)
【A】熊本フェリー(くまもとふぇりー)
島原湾を30分で渡る!
島原~熊本間には高速フェリー“オーシャンアロー”が1日6~7便運航していて、わずか30分で対岸に渡れる。このほか九商フェリー(所要時間60分)も運航。●3,700円(乗用車4-5m+運転者1名、平成31年4月20日から料金改正で3,980円に)/096-311-4100(熊本港)/0957-65-0701(島原港)
【B】姫松屋(ひめまつや)
天草四郎も食べた兵糧食
島原のお正月やお祝いの席には欠かせない具雑煮は、島原の乱(1637年)における兵糧食が起源。島原城大手門前の姫松屋では地元食材をたっぷり使った具雑煮(980円)が味わえる。●11:00-19:00/第2火曜など定休/島原市城内1-1208/0957-63-7272
【C】島原武家屋敷(しまばらぶけやしき)
通りの中央を湧水が流れる
島原城の築城時に作られた下級武士の住宅が数多く残るエリア。約400mにわたって続く通りの中央には湧水を引き込んだ水路が流れている。大半は今も一般住居だが、公開されている建物もある。●見学自由(無料駐車場あり)/0957-63-1111(島原市商工観光課)
【D】土石流被災家屋保存公園(どせきりゅうひさいかおくほぞんこうえん)
大自然の猛威を記憶する
道の駅「みずなし本陣ふかえ」に併設された公園で、普賢岳の噴火によって被害を受けた家屋を保存・展示している。平均2.8mの土砂で覆い尽くされた家々の無惨な姿に、あらためて大自然の猛威を思い知らされる。●入場無料/9:00-17:00/0957-72-7222
【E】伊勢屋旅館(いせやりょかん)
露天風呂と料理が自慢
島原半島西海岸の小浜は、温泉と夕陽の素晴らしさで知られる町。この伊勢屋旅館はその両方を同時に楽しむことができる宿だ。展望露天風呂「茂吉の湯」からは橘湾の海が一望。現在は建て替えリニューアル中で、2019年10月にグランドオープン予定/雲仙市小浜町北本町905/0120-742-139
アクセスガイド
長崎道・諫早ICから仁田峠までは、国道57号などを通って約40km/1時間20分。島原半島を海岸沿いにぐるっと一周するとトータルの走行距離は100kmあまり。ほぼ半日がかりのルートになる。島原湾の対岸、熊本方面からはフェリーが便利。高速フェリーのほか、料金のリーズナブルな一般のフェリーも運航している。