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【国産旧車再発見】スペシャリティ軽自動車という新たなジャンルの覇者、1973年製スズキ・フロンテクーペGX

スバル360の登場で軽自動車が市民権を得た1960年代を経て、多様化が進み始めた1970年代の国産車。その流れは軽自動車にも及び、豊かな生活や個性を求めたユーザーに向け、スズキが送り出した高性能2シーター・クーペがこのフロンテクーペだった。

マイクロ2シーター・クーペの咆哮

“戦争が生んだ乗り物”と呼べるかもしれない。第二次世界大戦で敗戦国となり国土が荒廃したドイツ、イタリア、そして日本には共通する乗り物が誕生する。メッサーシュミットやイセッタ、ベスパなど航空機やオートバイの技術から生まれたマイクロカーたちだ。日本でも戦前からオートバイのフレームに荷台を取り付けたオート3輪が普及していたが、交通法規の面からも危険であったことから1949年に軽自動車免許が施行されている。この軽自動車免許は実地試験はなく、講習を受けることで交付される許可証のような制度だった。

この制度が生まれたことで、ラビットスクーターを生産していた富士重工業はスバル360の開発をスタートさせたと言っていい。スバル360は戦後の貧困期を経て高度経済成長の一翼を担う存在として知られる。だが、それより早く軽自動車市場に打って出たのがスズキだ。

スバル360の開発段階に、その骨子に影響を与えたのが当時の通商産業省が提唱した『国民車構想』。発表されたのが1955年で、この年にスズキは各社に先んじてスズライトを発売している。スズライトはその後のフロンテ、そしてアルトに至るスズキの主力車種でもある。時代に先んじていながら、後発であるスバル360の後塵を拝してしまったスズキに、執念のような思いが生まれたとしても無理のないことだったろう。

スバル360は1958年の増加試作型から量産型へと以降すると、庶民の圧倒的な支持を得て年々価格が値下げされていく。スズキもFFだったスズライトをフロンテにモデルチェンジさせて追走するが及ばず、1967年にRRの2代目フロンテへモデルチェンジさせるタイミングで、今度は強敵ホンダN360が発売される。

ご存知のようにホンダN360は、それまで軽自動車の絶対王者だったスバル360から販売台数トップの座を奪う大ヒット作。ヒットの要因は販売価格やスタイルだけでなく、高性能なエンジンにもあった。スバル360などの2ストローク車は坂道に弱く加速も緩慢であり、常に我慢を強いられた。ところがN360の空冷2気筒4ストロークエンジンは31psを発生。同年発売のRRになったフロンテですら25psでしかなく、スバル360に至っては20psで最終のヤングSSでも25ps。いかにN360が高性能だったかを物語る。

N360の出現により、軽自動車はパワー競争の時代に突入する。N360はツインキャブレター装備のTグレードで36psと、1リッター当たり100psを達成。これに各社が追随することになり、スズキは3代目フロンテで、三菱は2代目ミニカで、ダイハツは2代目フェローMAXで、それぞれ高出力エンジンをラインナップすることになるのだ。

高性能化の次に待っていたのはスポーティ化であり、ここでもやはりホンダが先陣を切る。N360をベースに3ドアのクーペスタイルを採用したZ360を1970年に発売する。これにも各社が追随して1971年5月にミニカスキッパーが、同年8月にフェローMAXハードトップがデビュー。そして同年9月に発売されたのがこの稿の主役、フロンテクーペだ。

【写真13枚】コンパクトながらスポーティなクーペスタイルが光る、フロンテクーペの詳細をギャラリーで見る

いずれも35ps以上を発生する2ドアモデルでありながら、このフロンテクーペが抜きん出ていたのは、その出力特性と2シーターに割り切り全高1200mmしかない低くスポーティなスタイルにある。ライバルがいずれもセダンベースであることがうかがえるスタイルばかりであるなか、フロンテクーペは欧米のスポーツモデルに引けを取らない端正なボディ。そして2ストロークエンジンは独創の3気筒3キャブレター方式。数値上ではライバルとの数字は大差ないが、実際に走り出すとフロンテクーペは一歩前に出る俊敏さを備えていた。

この時代のピーキーな2ストローク高性能軽自動車に乗られたことがある方ならば、それらがいかに扱いにくいか理解できるはずだ。特に前期型フロンテクーペはスタートする際にエンジン回転数を3000rpm以上に保っていないと、満足に発進してくれない。低速トルクを犠牲にしてでも高回転でのパワーを重視した結果で、さながらオートバイのように運転しなければならないのだ。だが、そのままアクセルを踏み続けると6000rpmを超えるまで猛ダッシュしてくれる。今でも一般道での流れをリードできるくらいの実力を備えているのだ。

当初は2シーターのみだったフロンテクーペだが、1972年には2+2を追加したのを皮切りに31psや34psの廉価版を追加。さらにフロント・ディスクブレーキを装備する最上級グレードのGX CFが登場。その同年中には2シーターモデルは生産を終了する。フロンテクーペが本格的に売れ始めたのもこの時期で、そのほとんどが2+2モデル。だから今でも市場に残っているのは2+2がほとんどと言っていい。さらに廉価版は部品取りにされてしまうことが多く、現存する多くのフロンテクーペがGX CFだとすら言える。

ご多分に漏れず、やがてフロンテクーペも排出ガス規制の荒波に飲まれていく。1974年には37psだった最高出力を35psまで落としてグレードを縮小。この時期のモデルは低速トルクが厚くなり、スタートも随分と楽になる。続く1975年には小判だったナンバープレートが黄色い大きなものに変わるためバンパーなどのデザインを変更。1976年に生産を終了して1年後、大幅にパワーダウンして排出ガス規制や新規格に適合させたモデル、スズキ・セルボとして生まれ変わるが、そのマイルドなキャラクターは、初代のモデルとはずいぶん異なるものだった。

【Specification】スズキ・フロンテクーペGX(1973年型) 
■全長×全幅×前高:2995×1295×1200mm
■ホイールベース:2010mm
■トレッド(F/R):1120/1100mm
■車両重量:480kg
■エンジン形式:水冷2ストローク34気筒
■総排気量:356cc
■圧縮比:9.5:1
■最高出力:37ps/6500rpm
■最大トルク:4.2kgm/4500rpm
■変速機:4速M/T
■懸架装置(F/R):ウイッシュボーン/セミトレーリングアーム
■制動装置(F/R):ツーリーディング式ドラム/リーディングトレーリング式ドラム
■タイヤサイズ(F&R):5.20-10-4PR
■新車当時価格:45万5000円

Text:増田 満 PHOTO:内藤敬仁 カー・マガジン501号より転載
CAR MAGAZINE編集部

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