コラム

情熱が守ったマセラティのヘリテージ。モデナに新生「マセラティミュージアム」、その知られざる物語とは

モデナに新生したマセラティミュージアム
モデナに新生したマセラティミュージアム
モデナに新生したマセラティミュージアム
マセラティミュージアム:手前右は250F
モデナに新生したマセラティミュージアム
モデナに新生したマセラティミュージアム
マセラティミュージアム:1台のみのコンセプトカー、チュバスコ
マセラティミュージアム:アルフィエーリ・コンセプト
マセラティミュージアム:幻のメラク・ターボ
マセラティミュージアム:マセラティ・バルケッタのフロントノーズのオブジェ
マセラティミュージアム:マセラティ製バイクの展示も
モデナに新生したマセラティミュージアム
初代マセラティミュージアム
初代マセラティミュージアム
パルミジャーノ工場でのウンベルト・パニーニ

エンスージアストが守る唯一のマセラティ博物館

北イタリアのモデナにおいて、マセラティの歴史を伝える「マセラティミュージアム」が新たな場所でその扉を開いた。一度は散逸の危機にあった珠玉のコレクションが、世界中のファンの情熱と一人の名士の尽力によって守られ、今再びその輝きを放つ。その背景にある、知られざる物語を紐解く。

【画像17枚】世界に1台のみの「チュバスコ」「アルフィエーリ」も!「マセラティミュージアム」珠玉のコレクションを見る

移転リニューアルの背景にある「込み入った事情」

2025年6月6日~8日にスポーツカーの聖地たる、北イタリアはモデナにて開催されたモーターヴァレーフェストに合わせて、通称「マセラティミュージアム」(Collezione Maserati Umberto Panini)が、モデナサーキットの咆哮も間近に聞こえる絶好のロケーションにオープンした。マセラティブルーに彩られたファシリティへのアプローチにはマセラティ・バルケッタのフロントノーズのオブジェも飾られ、ここがただならぬこだわりの地であることをほのめかしてくれる。

モデナ通のエンスージアストたる貴殿なら、あれっと思ったかもしれない。このマセラティミュージアムは以前から存在したのでは、と。そう、実は当地から程近い距離に、確かにこのマセラティミュージアムは存在した。しかし、昨年の秋以来、旧ミュージアムはしばしの休眠に入っていたのだ。

そしてそれには幾つかの込み入った事情があったし、その背景はマセラティのヒストリーに大きく関わることでもある。そのちょっと興味深い経緯に関して、筆者も少々関与していたこともあり、ぜひそのビハインドストーリーを皆様とここに共有したい。

デ・トマソ家が下した苦渋の決断とコレクションの危機

時計の針を1965年に戻そう。オルシ家の経営時代、まさにマセラティ・ミストラルやピエトロ・フルアのデザインした初代クアトロポルテなどがラインナップされていた頃、モデナのマセラティ本社工場敷地内にマセラティミュージアムが設けられ、歴史的に価値ある個体が集められた。その数は時を経るにつれ増加し、筆者が頻繁にファクトリーを訪れ始めた1980年代後半には、アッセンブリーラインの隙間にもそれらがぎっしりと並んだ。

そのコレクションの中には、ティーポ61バードケージ、250F、200Sをはじめとして、あの世界一美しいマセラティと称されたA6GCS/53ベルリネッタ・ピニンファリーナや幻のメラク・ターボなどのプロトタイプ、そして歴代レースを戦った希少なエンジンたちも含まれていた。

ところがアレッサンドロ・デ・トマソは1993年、突如病に倒れた。契約に基づきフィアットがマセラティの経営を握り、1996年後半にこのコレクションの所有者であったデ・トマソ・ファミリーがそれらをブルックスのオークションに出品するという情報が流れた。デ・トマソからマセラティの株式を引き継いだフィアットはこのコレクションの引き取りを断ったため、デ・トマソ・ファミリーもそれらを持ちきれなくなり、売却することになったのだ。

ちなみにアレッサンドロ・デ・トマソ自身はマセラティのヘリテージの価値を高く理解しており、前述A6GCS/53ベルリネッタ・ピニンファリーナのレストレーションの予算を捻出したのも彼であった。しかし、デ・トマソ・ファミリーも経済的な余裕がなかった。私たちはコレクションの散逸という突然のニュースに驚くばかりであった。

チーズとカードで知られる「パニーニ家」による救済劇

しかし、その動きを察知した世界中のマセラティスタ達はさっそくコレクションの流出を何とか阻止すべく、署名運動を開始した。もちろん筆者も、日本をはじめとするスポーツカー人脈に連絡し、集めた署名をFAX(!)で送ったものだ。その運動は功を奏し、結果的にはオークションハウスへの運搬直前に、モデナの名士であるウンベルト・パニーニがモデナ市と共に、コレクションを引き取り、自らの敷地内に自動車博物館を建造し、これらの宝物を展示するという素晴らしい結末となった。これが初代ミュージアムであり、それは何とモデナ近郊の牧場の中にあった。マセラティがおいしそうに見えたのか、入り口を乳牛が占拠するなんていうこともあったのだ。

マセラティスタ達の熱意に応えてコレクションを守ったのは故ウンベルト・パニーニ率いるパニーニ・ファミリーであった。かつてサッカー選手などのトレーディングカードブームを作った立役者(PANINIマークの付いたカードを覚えておられる方もいるだろう)でもあり、有機認証を取得した牧場経営にも取り組み、オンブレ(Hombre)ブランドのパルミジャーノ・レッジャーノ(チーズ)ビジネスをも始めたモデナの名家である。当主のウンベルトはモデナを愛す起業家であり、マセラティのヘリテージのためにこのコレクションが如何に重要なものであるかを理解していたから、この緊急事態に素早く動くことができ、土地を提供し建物も用意した。

しかし時代と共にミュージアムを取り巻く環境も変化してきた。パニーニ・ファミリーはボランティアでミュージアムを運営し、予約制でビジターを受け入れ、入場料を取ることはなかった。しかし、ビジターの数が増えると共に、カレンダーに従ってオープンしてほしいという声も多くなった。そして、パニーニ家の問題として件の牧場を第三者へと売却することが決まったのだ。そんな経緯で、今回、新たなサービスを提供する財団を組織し、モデナサーキット近隣に新しいファシリティを設立することが叶ったのだった。

アルフィエーリからMC20まで、必見の展示内容

このような少し複雑な歴史を持つミュージアムであるが、今もパニーニ・ファミリーの当主であるマテオが変わらずミュージアムの運営を行っている。新ミュージアムは、これまで同様、マセラティ社が長年所有したA6GCS/53ベルリネッタやバードケージなど希少な個体が展示されているほか、一台のみが存在するアルフィエーリ・コンセプトなどマセラティスタ必見のモデルも加わった。さらに新しいところではMC20のプロダクション第一号車も見ることができる。ちなみに以前はマセラティブランド以外のモデルの展示も行われたが、今回のリニューアルで、それらは整理され、一台のリジェを除いて展示されていない(これはマセラティエンジン搭載のモデルという例外)。また、マセラティ製バイクの展示も興味深い。

モーターヴァレーフェスタと時期を合わせてのオープンであったが、新生マセラティミュージアム初日から多くのビジターを迎え大盛況であった。皆様もモデナを訪れる機会があれば、訪問することを強くお勧めしたい。

これまでと異なり、カレンダー通りの常時開館となり、事前予約も不要。詳細はウェブサイトを参照のこと。モデナ市街からは自動車(タクシー)で20分ほど。

■Collezione Maserati Umberto Panini
https://www.paninimotormuseum.it/

【画像17枚】世界に1台のみの「チュバスコ」「アルフィエーリ」も!「マセラティミュージアム」珠玉のコレクションを見る

注目の記事
注目の記事

RANKING