




























































3年越しのプロジェクトで日本からル・マンへ水素バスが到着
夏至に最も近く、初夏の瑞々しい緑が美しいフランスの夏の週末に、世界で最も有名なル・マン24時間耐久レースが開催され、今年も公開車検の日からウキウキしながら取材へ向かいました。公開車検は街の中心地で開催されるのですが、車検を受けるレーシングカーは、各チームのトランスポーターや牽引車、大会事務局が用意したレッカー車で待機場所まで持ち込まれます。
【画像60枚】ル・マン騒然!フランスの街に現れた「右ハンドルのGR水素バス」を写真で見る
公開車検に現れた「謎の右ハンドルバス」
そのレーシングカーの積み出し・積み入れ作業でさえル・マン24時間レースのアトラクションのひとつと言えるでしょう。私も毎年同じ風景を見ているものの、翌年にはまた見たくなるというル・マンマジックにかかってしまっています。そんな公開車検の会場では、車両が車検を受けている間にそのチームに所属しているチーム監督とドライバーの公開トークショーや、チームの記念撮影もありますので、早朝から場所取りをして2日間に渡る車検を全て観察している熱心なファンの方々がたくさんいらっしゃいます。
さて、そんなル・マンの公開車検の2日目、トヨタGazooレーシングの到着を待っていたところ、「ん?」と一瞬目が点になる出来事が目の前で起こりました。近未来的なデザインのボディにデカデカとGRと記載されたバスが目の前に停車するではありませんか、それも右ハンドル!?
一体何が起きたのかよく分からないので、丁度バスから降りて来られたGRのスタッフの方に伺ってみたところ、水素を燃料とした燃料電池バス(以下水素バス)、それも日本から持ち込まれたと聞いてとても驚き、なんだかテンションが上がってワクワクが止まりません。
日本の水素バスが秘める可能性
レースウィークにはル・マンのイベントコーナーの『水素ビレッジ』でこの水素バスが展示される上、猛暑のオアシスとなるファンの休憩コーナーとして活用されるそうで「ぜひ遊びにいらしてください!」とトヨタGazooレーシングのみなさまのご厚意に甘えて、『水素ビレッジ』がオープンする時間に早速足を運んでみました。
水素、燃料電池に熱い情熱を注ぐトヨタ自動車のご担当者の方々にお話を伺ってみました。「ホンダとトヨタで提携をして水素バスを使って災害救済地に行き、バスから小型バッテリーに充電して、避難された方々に使って頂く事を想定しています」とご説明を頂き、災害大国日本ですから、災害を想定して開発されている事に感心しました。
また「バスの座席は休憩室のような仕様になっていて、日本のスーパー耐久選手権へ持って行って、会場にいらっしゃったファンの方にちょっと休んで頂けるスペースとなっているんですよ」と。外国に長年住む私には、日本のレースではそんなに最先端な事が行われている事にまさに目から鱗! 私の住むミュンヘン市では、BMWの開発車両やUberタクシーでトヨタのミライが走行しているのをたまに見掛けるくらいで、水素バスはまだ見掛けた事がありませんでした。
このように水素の燃料電池バスやミライを使ってイベント会場自体をカーボンニュートラル、もしくはゼロエミッションでという形で運営しようという試みで、スーパー耐久選手権で開催されている富士24時間耐久レースのキャンプ場や、スーパーフォーミュラのイベント会場に停車して、水素を活用したよりクリーンなエネルギーへの取り組みや未来の資源として提唱されているのだそうです。このGRの水素バスからは9kW×2で合計18kWの電気を外部給電できるそうで、スーパー耐久のレースの現場では小型バッテリーも積んでいて、それにコイルから充電してバッテリーを配る等、様々な試みが行われているようです。スーパー耐久シリーズやスーパーフォーミュラのファンの方は、レース会場でこのGRの水素バスを実際にご覧になった方がいらっしゃるかも知れませんね。WEC(世界耐久選手権)の富士戦のイベント会場でも同様にカーボンニュートラル化を目指しての取り組みを展示していたところ、ACOのフィオン会長の目に留まり、ル・マン24時間レースの会場でも是非! というリクエストがあり、その実現へ向けての準備が始まりました。
前例なき水素バス輸送の舞台裏
2023年にはWECやル・マンにおいて水素カーが2026年から参戦可能となる事が発表され、また2018年からはル・マンのイベント会場に『水素ビレッジ』が誕生した事もあり、遂にこのGRの水素バスをル・マンに持って行こう! という事になったのは良いものの、輸送方法を探るところから始まったのだそうです。大型バス、それも水素バスを輸送できる船がなかなか見付からない上、どの船会社さんも水素バスの輸送経験が全くなく、安全性への懸念を示されたり……。様々な調整に手間取り、やっと3年越しで日本からル・マンへこのGR水素バスが到着しましたが、サルトサーキットへやって来るまでには長期に渡るみなさまの努力と信念の物語が隠されていたのですね。
輸送前に水素を車両からほぼ抜いて安全面を十分配慮し、通関も含めて海路で約2ヶ月間もの時を掛けてヨーロッパの港へやってきて、その後は港から牽引されてトヨタ・ヨーロッパのあるベルギーの拠点へ持ち込まれてメンテナンスや点検整備をしっかりと終えて、晴れて今年のル・マン24時間レースの会場でお披露目となりました。このGR水素バスに関わったみなさまにとっては、本当に感慨深かった事でしょうね。
フランスで「試験車」として走る意義
この水素バスに着けられているのは、ベルギーナンバーではなくフランスナンバー。そもそも日本のバス、それも水素バスに外国のナンバー登録が簡単にできるのでしょうか?「この水素バスは、日本ではいわゆる試験車ナンバーを取得しているのですが、フランスで登記する際にもそのような手続きを事前に済ませました」と。試験車として走行するとあり、しっかりと走行データを収集する目的もあるのだそうです。
実は東京都内を走る都バスの他にも愛知県や四国、九州等で200台程の『SORA』燃料電池バスが既に試験的に実働していると教えて頂き、日本はヨーロッパに先駆けて進んでいると実感しました。まだまだ高額な水素バスですので、市町村の助成金を利用して数多くのバス会社が『SORA』を利用されているようです。
日本は地震や自然災害が多い地形な上、自国で燃料資源がほとんど賄えない事情もあり、今後も南海トラフ地震をはじめ、様々な自然災害が起きる可能性がありますし、その経験を踏まえて自動車メーカーが未来を見据えた事業をしっかりと考案・開発してくださっている事をとても心強く感じました。この水素バスですと、いざ震災が起きた際にはすぐに電源が確保できる災害対策車両と活躍が期待できますね。
このGRの水素バスのステアリングにはトヨタ自動車のマークが入っていますが、そもそもバスを製造されたのでしょうか?「バスの車体そのものはグループ会社の日野自動車と共同開発して製造し、そこに燃料電池のユニットやタンクなどを装着して燃料電池バスに仕上げています」と。現時点では量産化はされておらず、プロトタイプとして日本各地で実働実験走行をしているそうですが、いつの日か、将来的には水素を燃料としたバスが主流になっているのかも知れませんね。
ところで、この水素バスの運転手さんである水素基盤開発部の大場さんに運転免許の事を伺ってみましたところ、日本で取得された大型車両の運転免許は、国際免許証の運転できる車両の項目に記載されて、大型車両も日本と同様に運転できるそうです。
右ハンドルで右側通行とあり、高速道路の合流の際には見え難い事もあるそうですが、ご同乗なさっている同僚の方がフォローしてくださって安全にトヨタ・ヨーロッパのあるベルギーから高速道路を通ってル・マンまで自走で車両を持って来られたそうです。
私もこのバスをル・マン市内の中心地で見てビックリと感動したのですが、現地のGRファンの方々からの反響もかなり大きかったらしく、私と同様に多くのファンからバスについて声を掛けられたというのも頷けますね。
災害救助からファンサービスまで
災害が起きた際には基本的にトヨタ自動車として現地へ向かうのではなく、現場を調査して状況を把握された市町村の要請があった場合に出動をされるのだとか。例えば、最近の大きな震災では能登半島地震の際には、もしも要請があった場合にいつでも出動できるように準備はされていたのですが、道路事情や車両の大きさ、災害地近隣の水素ステーションがあるかどうかという関係で出動の機会がなかったようですが、都心で運行されているような都市型の小型バスの大きさの車両があれば災害地でも小回りが利いて良いな、というアイデアは既に社内で出ているそうです。一般社団法人次世代自動車振興センターによると、2025年6月1日現在、全国152ヵ所で水素ステーションが設置されており、国は2025年内に320ヵ所、2027年までには約500ヵ所に増設する目標を設定しているそうですので、今後の普及拡大に期待できそうですね。
このGRバスがベルギーからル・マンへ自走で来る際、またル・マン24時間レースのレースウィーク中に水素村のトヨタブースで供給される電力の為に、水素は足りるのかな? なんて余計なお世話を焼いてしまいましたが、大場さんは満面の笑顔で、ル・マンのサルトサーキット近辺では空港の裏側や南門の近くにありますし、フランス国内にも幾つもの水素ステーションがあって事前調査の上で走行されており、全く支障がなかったそうです。日本と同様にいまも電力の大半を原子力に頼っているフランスですから、将来的なエネルギー問題に関しては同じ課題を抱えているのかも知れませんね。
実際にル・マンの空港裏の水素ステーションでやや圧力は弱いものの、このGR水素バスには約2kgの補填をされたそうですが、それに費やされた時間はたったの数分程度! 例えば、ミライを満タンに充填すると約5kg、ほぼガソリン車と同様の時間で充填が終わるんですって。ですから、災害時にもしも災害地周辺に水素ステーションがあった場合には、電気自動車よりも素早く電力供給が可能となると伺い、とても心強く思いました。
ミライが拓く未来のアウトドア
『水素ビレッジ』のトヨタコーナーには、ミライの後部トランクに設置されている電気コンセントから扇風機や電気のクーラーボックス等の電気製品が使用できる例が紹介されていました。もちろん災害時には頼りになる存在になる事は間違いないのですが、昨今のキャンプやアウトドアブームにも対応できるとあり、水素自動車のミライから得た電源で調理をしたり、涼んだりと何にでも利用できますね。
ヨーロッパではコンセントの着いている自家用車を見た事がありませんが、ミライの欧州仕様には元々着いていなかったそうです。昨年に登場したモデルからハイブリッドも含めて220Vのコンセントが付けられていて、1500Wの電力が取り出せるそうで、一晩のキャンプで存分に電気を使用しても問題がないそうです。1500Wあれば、電子レンジやホットプレートも使用できる上、日本だと3~4日は十分に利用できるそうなので、夏のレジャーで扇風機や電動のクーラーボックスも気兼ねなく使用できるという優れもの!
しかし、それに到達するまでには長いご苦労が……。クルマから電気を取り出すという光景はヨーロッパでは見慣れません。その安全性を認めて頂くまでは何年も掛けてご説明をして回り、フランスの消防局の方にご理解頂くにも一苦労だったそうです。しかし、昨年は消防局の方々が毎朝ご自身でミライから引いた電源で淹れたコーヒーを飲みながら、周りの方にも楽しくご紹介頂けるまでになったといい、その事がとても嬉しかったそうです。
未来のエネルギーを体感! 大人も夢中になる「水素ビレッジ」
水素ビレッジの中を走る電動自転車に大きな四角い箱? が搭載されているのが目に留まりました。実はこの四角い箱の正体は冷凍庫なんですって! 昨年に開催されたパリオリンピックではこの自転車に取り付けられた冷凍庫のアイスクリームを配布されていたそうで、このル・マンの『水素ビレッジ』でも炎天下の中で、パリオリンピック同様にアイスを頂けて感動しました。この日は朝から炎天下だった事もあり、冷房が効いた水素バスの中でゆっくりとおいしいピーチアイスを頂いたのですが、テレビで観戦していたパリオリンピックでも同じように燃料電池で冷凍保存されたアイスが会場の皆さんに振る舞われたなんて感動もひとしおです。GR水素バスの冷房が効いた車内でアイスを頂いたお陰ですっかり体力も復活して、水素ビレッジの中をお散歩していたら、なんと日本のKawasakiのバイクがあるではありませんか。これも水素を燃料として走るそうで、日本の技術は誇らしい! と改めて実感しました。色んな展示や実験コーナーはちびっこだけではなく、オトナも夢中。ル・マン24時間レースの合間にこんな社会科の見学・理科の実験が体験できるコーナーがあるのは目から鱗ですし、昨年までの『水素ビレッジ』よりも体験型のブースが増えて、ビレッジ全体の盛り上がりを感じました。
このル・マンの『水素ビレッジ』は数多くのショップや自動車メーカーの展示ブースのある賑やかなエリアを数十メートル下った辺りにあり、ちょっと目に留まり難いエリアにあるのですが、訪れる価値は十分にありました。
今回のル・マンは、レーシングカーやレースを楽しんだのは言う間でもありませんが、フランスで見たこのGRの水素バスを通して、日本を再発見し、日本の未来への期待がとても高まり、ワクワクした気持ちになりました。なによりも私が勝手に思いついてこっそり心の中で呼ばせて頂いている『水素レンジャー』のみなさんの熱い情熱に心を打たれました。