コラム

ポルシェ復活の鍵は「職人技」から「カイゼン」への転換だった。技術を超える“哲学”の重要性【清水和夫が語る“ポルシェ”と“哲学”_02】

1980年のポルシェ928生産風景。
ポルシェの創業者、フェルディナント・ポルシェ博士(1875年~1951年)
ポルシェの創業者、フェルディナント・ポルシェ博士(1875年~1951年)
1893年、当時18歳の若きフェルディナント・ポルシェ。
1900年のパリ万博で発表されセンセーションを起こしたローナー・ポルシェ。4つのインホイールモーターを備えるEVだった。
1900年にローナー・ポルシェで運転手の隣に座っているフェルディナント・ポルシェ。
1903年、ローナー・ポルシェ“ミクステ”に乗るフェルディナント・ポルシェ。
1910年のプリンツ・ハインリヒ・レースではフェルディナント・ポルシェがオーストリア・ダイムラーをドライブして優勝を飾っている。
1922年のタルガ・フローリオでのフェルディナント・ポルシェ(レーシングカーのノーズ部の奥)。
1924年のタルガ・フローリオにて、ダイムラー社在籍時代のフェルディナント・ポルシェ博士(右)と、当時テストドライバーだったアフフレート・ノイバウアー(左、後にメルセデスのレース活動を統率)。
フェルディナント・ポルシェ(左)は1931年シュトゥットガルトにポルシェ設計事務所を設立。写真は1937年、エンジン技師のヨセフ・カレス(右)と。
1937年、フォルクスワーゲンのプロトタイプ「W30」とフェルディナント・ポルシェ。
1940年、フォルクスワーゲンのプロトタイプとフェルディナント・ポルシェ。
第二次大戦中、フォルクスワーゲン(ビートル)をベースにフェルディナント・ポルシェが開発した水陸両用車のシュビムワーゲン。写真は1942年。
1944年のシュトゥットガルトのフェルディナント・ポルシェの事務所。
1949年、フェルディナント・ポルシェ(左)とレーシングドライバーのヘルベルト・リンゲ。
1950年シュトゥットガルトにて、左からレオポルト・イェンツケ技師、フェリー・ポルシェ、フェルディナント・ポルシェ。
1950年9月7日、オーストリアのグロースグロックナー山をフォルクスワーゲンでドライブした、フェルディナント・ポルシェ(左)とハラルド・ワーグナー(右、後にポルシェの販売部門を率いる)。
1915年に撮影された、フェルディナントポルシェの2人の子ども。右は娘のルイーゼで1904年生まれ。右は息子のフェルディナント・アントン・エルンスト・ポルシェで1909年生まれ、通称フェリー。
1912年、3歳の息子フェリーを肩車するフェルディナント・ポルシェ。
1934年のフェルディナント・ポルシェ(左)と、息子のフェリー・ポルシェ(右)。
1948年グミュントにて。右からフェルディナント・ポルシェ、息子のフェリー・ポルシェ、エンジニアのエルヴィン・コメンダ。
1950年、フォルクスワーゲン・ビートルの図面を前に議論するフェルディナント・ポルシェ(手前)と息子のフェリー・ポルシェ(奥)。
1950年にエンジン開発を議論するフェルディナント・ポルシェ(右奥)とフェリー・ポルシェ(右手前)。
1949年のフェルディナント・ポルシェ(中央)と2人の孫。右はフェルディナント・ピエヒ(ルイーゼの子で1937年生まれ)、左はフェルディナント・アレクサンダー・ポルシェ(フェリーの子で1935年生まれ、通称ブッツィ)。
フェルディナント・ポルシェ夫妻と孫たち。上段左はエルンスト・ピエヒ、上段右はルイーゼ・ピエヒ。下段左からフェルディナント・ピエヒ、ゲルハルト・アントン・ポルシェ、フェルディナント・アレクサンダー・ポルシェ。
ポルシェ356/2クーペの中に乗っているのはフェリー・ポルシェ。奥の左はフェルディナント・ピエヒで、クルマ手前はその弟のハンス・ミヒャエル・ピエヒ。
フェルディナント・アレクサンダー・ポルシェはフェリー・ポルシェの長男で、創業者フェルディナント・ポルシェの孫にあたる。911のデザインを手掛け、ポルシェデザインを設立。
1958年、ポルシェ356Aカレラ・ハードトップとフェリー・ポルシェ。奥はその息子のフェルディナント・アレクサンダー・ポルシェ。
初代ポルシェ911(901)の開発チーム。手前でクルマの脇に立つフェリー・ポルシェと、その奥にフェルディナント・ピエヒとフェルディナント・アレクサンダー・ポルシェ。
1963年、初代ポルシェ911(901)とフェルディナント・アレクサンダー・ポルシェ。
1963年にデザインオフィスで仕事をするフェルディナント・アレクサンダー・ポルシェ。
1964年、ポルシェ911をチェックするフェリー・ポルシェ(左)と長男のフェルディナント・アレクサンダー・ポルシェ(右)。
1963年頃、ポルシェ初代911(901)の718/2エンジンの前で議論するフェルディナント・ピエヒ(左)と叔父のフェリー・ポルシェ(右)。
1968年ル・マンでのフェルディナント・ピエヒ。
1969年、ポルシェ917 LHとフェルディナント・ピエヒ(左)。
1969年ジュネーブでポルシェ917がワールドプレミアされた際のフェルディナント・ピエヒ(右)。
1969年オーストリア・ツェルトベクにてクルト・アーレンスが乗るポルシェ917 KH。後ろにフェルディナント・ピエヒの姿も。
1979年、ポルシェ928Sの前で70歳の誕生日を祝われたフェリー・ポルシェ。
1980年のポルシェ928生産風景。

危機からの復活と、ポルシェを支える「哲学・信念・文化」

モータージャーナリスト清水和夫氏が、深く魅了されてきた「ポルシェ」という自動車メーカーの「哲学」について存分に語る連載をスタート。ポルシェというクルマのステアリングを握る前に、創業者から受け継がれてきて今もなお宿っている、確固たる哲学を理解しておきたい。今回は第3世代にあたるフェルディナント・ピエヒによる復活劇を振り返る。

【画像39枚】写真で見るポルシェの信念。創業者からピエヒに至る3世代の歩みを見る

危機からの復活劇と「トヨタ生産方式」

前編では、創業者ポルシェ博士から孫のピエヒへと続く天才の血統と、911神話の幕開けまでをお話ししました。しかし、その栄光の裏で、ポルシェは深刻な経営危機に直面していました。

オイルショックやアメリカの厳しい安全・環境規制のあおりを受け、深刻な経営危機に陥ります。924や928といったFRモデルでアメリカ市場の攻略を図るも失敗し、一時は倒産の淵に立たされました。

1979年、ポルシェ928Sの前で70歳の誕生日を祝われたフェリー・ポルシェ。

1979年、ポルシェ928Sの前で70歳の誕生日を祝われたフェリー・ポルシェ。

この危機的状況からポルシェを救ったのが、何を隠そう、日本の「トヨタ生産方式」だったのです。日本びいきだったピエヒは、ポルシェの非効率な生産体制を改革するため、トヨタ生産方式の専門家をドイツの工場に招きました。

それまで現場の職人技に頼って設計の不備をカバーしていた旧来のマイスター制度の限界を乗り越え、「カイゼン」を取り入れたことで、ポルシェの生産性は劇的に向上しました。この改革の成功が、空冷から水冷へのスムーズな移行を可能にし、その後のポルシェの成長の最大の原動力となったのです。

現代に生きる「哲学」の重要性

ポルシェ博士からフェリー、そしてピエヒへと受け継がれてきた創業家の物語。それは単なるサクセスストーリーではありません。そこには、時代を生き抜くための「哲学と信念」があります。

私は、これからの自動車メーカーの競争において、この哲学を持つ企業こそが強いと確信しています。トヨタやホンダ、そしてもちろんポルシェもそうです。哲学という確固たる柱と、時代に合わせた技術やマーケティング。その両輪があって初めて、企業は勝ち残ることができるのです。

初代ポルシェ911(901)の開発チーム。手前でクルマの脇に立つフェリー・ポルシェと、その奥にフェルディナント・ピエヒとフェルディナント・アレクサンダー・ポルシェ。

初代ポルシェ911(901)の開発チーム。手前でクルマの脇に立つフェリー・ポルシェと、その奥にフェルディナント・ピエヒとフェルディナント・アレクサンダー・ポルシェ。

もう一つ付け加えるなら「企業文化」でしょうか。単に哲学があって、技術に優れていても事業をして成功するとは限りません。ユーザーや社員と一緒に人生を豊かにするブランドとしての文化も必要でしょう。その意味ではレースと量産車をデカップリングしない企業活動に、人々は惹きつけられるのだと思います。

ポルシェの物語は、単なる一社の歴史にとどまらず、哲学がいかに企業を強くし、困難を乗り越える原動力となるかを教えてくれる、壮大な叙事詩と言えるでしょう。その哲学を感じながらステアリングを握るとき、ポルシェというクルマは、また違った顔を見せてくれるはずです。

【画像39枚】写真で見るポルシェの信念。創業者からピエヒに至る3世代の歩みを見る

【ル・ボラン編集部より】
この連載のフルバージョンは2025年8月26日発売の『ル・ボラン』本誌10月号にて掲載されています。そちらでは紙でしか読めない秘話も多く盛り込んでいますので、ぜひお読みください。

■タイトル:ル・ボラン579号 2025年10月号
■定価:1500円(本体1364円+税10%)
■発行年月日:2025年8月26日
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【画像39枚】天才ポルシェ一族の軌跡。ローナー・ポルシェ、ビートル、917……歴史を刻んだ名車と創業者一族の姿を見る

※この記事は、清水和夫氏の談話を元に一部でAI(人工知能)を原稿整理の補助として活用し、加筆・修正したものです。最終的な編集責任は当編集部にあります。
フォト=ポルシェ/Porsche AG
清水和夫

AUTHOR

1954年生まれ東京出身。1972年にモータースポーツを始め、卒業後プロのレースドライバーとなる。その後、モータージャーナリストとして活動を始め、自動車の運動理論や安全技術を中心に多方面のメディアで執筆・講演活動を行う。ITS、燃料電池車、環境問題に留まらず各専門分野に整合した総合的に国際産業自動車産業論を論じるようになる。雑誌『ル・ボラン』では長年にわたり「清水和夫のダイナミック・セイフティ・テスト【DST】」を連載中。
■自動車関連映像専門サイト「StartYourEngines」
https://www.startyourengines.net

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