コラム

【メルセデス・ベンツの歴史】なぜ米国進出のパートナーはピアノメーカーだったのか? ゴットリープ・ダイムラーとスタインウェイ家の物語

日本では2011年に名古屋市内のメルセデス・ベンツ楠で、スタインウェイピアノの演奏とメルセデス・ベンツ展示会のコラボレーションが行われた。
1836年、家具職人のハインリッヒ・エンゲルハルト・シュタインヴェグが自宅のキッチンで作り上たピアノがスタインウェイの始まりとなった。
1836年、ハインリッヒ・エンゲルハルト・シュタインヴェグが自宅キッチンで製作した最初のグランドピアノ(キッチンピアノの愛称)。
1853年にアメリカでハインリッヒは息子たちと共にSteinway & Sonsを設立。写真は1858年当時。
1888年ウィリアム・スタインウェイとゴットリープ・ダイムラーの出会いにより、ダイムラー製品をアメリカでライセンス生産する「ダイムラー・モーター会社」が設立。定置型及び船舶用エンジンの生産を行う条項も契約に含まれていた。
スタインウェイグランドピアノ(モデル:B-211)。
スタインウェイグランドピアノの意匠刻印(STEINWAY & SONS NEWYORK AMBURG)。
世界最高峰のオーケストラ・ウィーンフィルの本拠地、ウィーン楽友協会全景。Photo: Shoichi Yatsu。
2019年ニューイヤーコンサートの大ホールでのリハーサル風景(別名:黄金の間)。Photo: Shoichi Yatsu。
ゴットリープ・ダイムラー(1834~1900年):世界初のガソリン自動車(4輪車)を発明した人物の一人。
1886年、世界初のガソリン自動車:ゴットリープ・ダイムラーの4輪車。
1888年、ダイムラーのエンジンを搭載したビスマルク宰相のボート、マリー号。
1901年、35PSのメルセデス・シンプレックス。
スリーポインテッドスターのエンブレム(1909年)。
スリーポインテッドスターのエンブレム(1909年)。
スリーポインテッドスターとメルセデスの組み合わせロゴ(1916年)。
左:スリーポインテッドスターのエンブレム(1909年)、右:スリーポインテッドスターとメルセデスの組み合わせロゴ(1916年)。
1890年にダイムラー・エンジン会社を設立(カンシュタット)。
ライバル同士であるダイムラー社とベンツ社の両社は1926年に合併し、会社名がダイムラー・ベンツ社、車名はメルセデス・ベンツとなった。写真は合併時のPRポスター。
ライバル同士であるダイムラー社とベンツ社の両社は1926年に合併し、会社名がダイムラー・ベンツ社、車名はメルセデス・ベンツとなった。写真はダイムラー社のスリーポインテッドスターとベンツ社の月桂冠。スリーポインテッドスターはマスコットに使用されている。
日本では2011年に名古屋市内のメルセデス・ベンツ楠で、スタインウェイピアノの演奏とメルセデス・ベンツ展示会のコラボレーションが行われた。

ピアノの名門スタインウェイとメルセデスの深い絆

今や世界のピアニストが最も信頼するピアノメーカーの一つ、スタインウェイ&サンズ(Steinway & Sons)と、世界初のガソリン自動車(4輪車)を発明した一人であるゴットリープ・ダイムラー(Gottlieb Daimler)との間には深い絆、そして友情が存在していた。初めにピアノの最高峰スタインウェイ&サンズの歴史を紹介し、次にゴットリープ・ダイムラーとのその深い絆と友情を紹介しよう。

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家具職人の情熱から世界の頂点へ。ピアノの王様「スタインウェイ」の誕生

スタインウェイ&サンズの歴史は、一台のグランドピアノ「No.1ピアノ」がドイツ中東部のザクセン州ゼーゼンで誕生した1836年に始まる。製作者はドイツ人のハインリッヒ・エンゲルハルト・シュタインヴェグ(英語:ヘンリー・エンゲルハート・スタインウェイ)で、1797年生まれの家具職人である彼こそ、スタインウェイの創立者である。

グランドピアノは、1700年頃にイタリアのバルトロメオ・クリストフォリによって発明され、その後急激に発達したものの、楽聖ベートーベンの時代になっても、彼の音楽にとって満足できるものにはなっていなかった。しかし1836年、ハインリッヒは自宅のキッチンで最初のピアノを造り上げた(キッチンピアノの愛称)。作曲家ロッシーニは、「スタインウェイピアノの音は、雷鳴や嵐のように力強く、春の夜のナイチンゲールがさえずる様にメロディアスである」と語っている。

その後、ハインリッヒはピアノ製作の新たな可能性を求めて息子たちと共にアメリカに渡り、名前も英語に改めドイツ語の「Steinweg(シュタインヴェグ)」から「Steinway」にし、「スタインウェイ」の名称が誕生。そして1853年息子たちと共に「Steinway & Sons」の商標で会社を設立。1855年には三男ヘンリーJr.の設計による総鉄骨フレームに弦を交差させて張ったスクエアピアノを、ニューヨーク・クリスタル・パレスで開かれた博覧会に出品し、高品質が認められ金メダルと特別賞を受賞。創業してわずか2年にして、一躍アメリカ中に「スタインウェイ&サンズ」の名前が知れ渡った。

129の特許と「最高のピアノ」への哲学。世界基準を築いた革新の精神

さらに、ヨーロッパからもスタインウェイのピアノが要望され、1875年にはロンドンに支店、1880年にはハンブルクに工場を新設。これがドイツ製スタインウェイピアノの誕生である。特に四男ウィリアム・スタインウェイは、1876年に創立者の跡を継いで初代社長として会社を率い、しかも幅広いルネサンス的教養人、革新的経営者として商才豊かであった。彼は音楽への愛を喚起するため、人気を博していたピアニストを招きコンサートツアーを企画、また著名な音楽家達の推薦状を会社のPRに利用。ニューヨークとハンブルグという2つの故郷から、全世界へ向けてスタインウェイピアノの生産が始まり、現在までに61万台ものスタインウェイが世界の第一線で愛用されている。

特筆すべきは、創業以来129の特許でピアノ造りに革命を起こし続け、「可能な限り最高のピアノ」という哲学と匠の技で、一台一台がオリジナルの芸術品として造り続けられている事である。今日、世界の演奏会で音楽愛好家の心を美しい響きで満たすことができるのも、ハインリッヒの情熱と創意、完璧を求める精神が生んだ名品であるからだ。

特に、世界最高峰のオーストリア・ウィーン楽友協会で毎年開催されているニューイヤーコンサートでもスタインウェイのピアノは愛用されている。スタインウェイピアノの響きを愛する人々に「イニミタブルトーン(比類なき響き)」と称される名品を生み出し、正に「名品に心あり」といえる。

陸・海・空の夢を追った発明家、ゴットリープ・ダイムラー

ダイムラー・エンジン会社の「メルセデス」(車名)がフランスだけでなく、ベルギー、ハンガリー、そしてアメリカでも目覚ましい売れ行きを示した背景には、ドイツの盟友スタインウェイの後押しがあった。

ゴットリープ・ダイムラー(1834~1900年)は、あらゆる交通手段に自動的に動かせるシステム、即ちエンジン製造に熱意を燃やしていた。1872年、彼はすでにこの業界ではエキスパートに達しており、ドイツ・ガス・エンジン製造会社のテクニカル・マネージャーに迎えられた。この会社で彼は運命の出会いとしてヴィルヘルム・マイバッハにめぐりあい、大いにダイムラーの軽量高回転エンジンの構想を推進することができた。

ついに1883年12月16日、初のガソリン・エンジンの開発に成功。ダイムラーはマイバッハの協力により、このエンジンを1885年11月10日に初めて2輪車に搭載。これが世界初の2輪車、今でいうオートバイ。次いで1886年には最初の4輪車にこのエンジンが載せられ、世界初のガソリン自動車の誕生となった(カンシュタット)。さらに、モーターボートにもこのエンジンが取り付けられた。1888年8月12日には、ライプツィヒの書籍販売業・ヴェルフェルト所有の飛行船に4PSエンジンを搭載し、カンシュタットを飛び立ちコルンヴェスゼイムまでの4kmを飛行し無事着陸した。

このように、ダイムラーは初めから「陸・海・空」のあらゆる種類の乗り物にガソリン・エンジンを普及させようと考えていた。つまり周知の、陸・海・空を意味する「スリーポインテッドスター」が生まれた。先述の通り1886年、ダイムラーはガソリン・エンジン付きボートをフランクフルトのレガッタ・クラブの要請で造りあげ、初めてネッカー川で実験し、1888年にはこのマリー号がビスマルク宰相に引き渡された。そして1890年にダイムラー・エンジン会社を設立。同年、海外と利益関係を結ぶため、ダイムラーの海外進出が始まった。彼はこの海外進出こそ将来、自分の理想を大きく膨らませるカギとなると確信していた。

1889年、ダイムラーはフランスの自動車生産を盛り上げたパナール・ルバッソール社と契約を結び、1891年にはアメリカで高速エンジンとその様々な利用法を広めたニューヨークのピアノメーカー、スタインウェイ&サンズと契約を結び、ニューヨークにダイムラー・モーター会社を設立した。

一方、同じくドイツのマンハイムで1886年に世界初のガソリン自動車・3輪車を発明したカール・ベンツ(1844~1929年)は、1872年にベンツ社を設立し、1890年にはフランスをはじめ国外市場にも進出した(車名はベンツ)。このドイツのライバルである両社は1926年6月に合併し、会社名がダイムラー・ベンツ社、車名はメルセデス・ベンツとなったのは周知の通りである。

運命の出会い。ゴットリープ・ダイムラーとウィリアム・スタインウェイ

さて本題に戻すと、時は1888年。スタインウェイ&サンズの創立者ハインリッヒ・エンゲルハルト・シュタインヴェグの四男、ウィリアム・スタインウェイ社長が故郷ドイツを訪問した際、ゴットリープ・ダイムラーと知り合い、ダイムラー製品をアメリカでライセンス生産する事について話し合いを重ねた。結果、交渉はうまくまとまり、ウィリアム・スタインウェイはアメリカのニューヨーク州ロングアイランドに合弁会社「ダイムラー・モーター会社」を設立。その契約には定置型及び船舶用エンジンの生産を行う条項も含まれた。つまり、ドイツ本国のダイムラー・エンジン会社は欧州自動車メーカーとして初めてアメリカ進出を果たした。

特に、ゴットリープ・ダイムラーのパートナーで天才技術者であるヴィルヘルム・マイバッハが設計した1901年最初の「35PSメルセデス」を初めてニューヨーク向けに出荷したり、ゴットリープ・ダイムラーが描いたオリジナル図面を用いたアメリカ初の本格自動車エンジンライセンスを生産する等、この2社の絆は非常に深いものであった。

ウィリアム・スタインウェイはゴットリープ・ダイムラーの1891年ガソリン・エンジンのアメリカにおける権利を保有し、このエンジンを彼がアストリアで造ったヨットやモーターカーに使用した。

この深い絆を現在に伝えるため、2008年にシュツットガルトのリーダーハレにおいて、メルセデスとスタインウェイはドイツ生まれの世界的ピアニストであるラルス・フォークトを迎えて、120周年記念コンサートを開催した。日本でもスタインウェイのピアノ演奏とメルセデス・ベンツ展示会のコラボが2011年名古屋市内にあるメルセデス・ベンツ楠で行われた。

常に「最高と比類なき製品」造りにこだわり続ける理念は、現在のメルセデス・ベンツとスタインウェイの両会社にも共通し今も脈々と引き継がれている。

【画像20枚】世界初の4輪自動車、伝説の「キッチンピアノ」も。スタインウェイとメルセデスの歴史を貴重な写真で一気に見る

フォト=メルセデス・ベンツAG、Shoichi Yatsu、妻谷コレクション

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