フルモデルチェンジで世界統一車名「ヤリス」に改名したトヨタ・ヴィッツ
トヨタの中心車種、ヴィッツは昨2019年秋にフルモデルチェンジを行った。その際、改名して世界統一車名「ヤリス」になったことはご存知の通り。知っていた人以外には聞き慣れない車名だが、海外では初代ヴィッツがデビューしてから使われており、ようやく日本がそれに合わせたカタチとなる。そこで、新車試乗記では伝えきれない内容をお伝えする「ニューモデル情報通」の第2回は、ヤリスの歴史を、スターレット時代中心におさらいしたい。
源流は、国民車「パブリカ」 そして「スターレット」が登場
ヤリスの源流をたどると、1961年発売の大衆車、初代パブリカ(P10/P20系)に行き着く。パブリカは「パブリック・カー」の略で、1955年に通産省(現、経済産業省)が発表した「国民車構想」に基づいて開発された、シンプルな大衆車だった。発売時の価格は38.9万円。参考までに、同じく当時の国民車で大衆車の「スバル360」は37.5万円だった。パブリカのエンジンは、小さく簡潔な空冷2気筒700ccエンジンで、のちに800ccまで拡大している。なお、カローラの登場はそれよりも後、1966年のことである。
その後、バプリカは1969年に2代目(P30/P50系)にフルモデルチェンジ。初期には空冷エンジンを残したが、メインはカローラ系の1L/1.1L水冷OHV4気筒に発展。ボディも大きくなり装備も立派になった一方で価格は下がり、「1000ドル(=36万円)カー」とも呼ばれた。発売後3年経った1972年のマイナーチェンジでは内外装を大掛かりに変更、1977年まで製造された。
この2代目パブリカからは、ある上位車種が派生している。それが「スターレット(P40/P50系)」だ。そのため、当初は「パブリカ・スターレット」を名乗っていた。当初のスターレットのキャラ付けは、意外なことにセリカのようなスポーティモデルだった。2ドアクーペのみでデビューしたこと、セリカの「フルチョイスシステム」を簡略化し、数種類の内外装と3種のエンジン、5MT/4MTを指定範囲内で組み合わせる「フリーチョイスシステム」を採用していたのも、それを物語っていた。登場同年に4ドアセダンを追加したが、その際車名を単なる「スターレット」に変更した。
「KP」と呼ばれ、今なお愛される2代目
スターレットと聞いて、「KP(ケーピー)」を思い浮かべる人も多いだろう。P60系・2代目スターレットは1978に登場。この段階でスターレットと併売のパブリカは消滅し、スターレットがトヨタのボトムラインを支えることになった。エンジンは昭和53年規制をクリアした1.3L のOHV、4K-Uを搭載。当時の最先端を行く3ドア/5ドアハッチバックのボディを持っていたが、FF化に慎重だったと言われるトヨタは2代目スターレットをFRのまま発売。リアサスに至っては4リンク式の固定軸という保守的な設計だった。しかしこれが幸いし、車重が軽く構造も簡潔・入手も簡単なFRとして、後年も人気を博すことになる。その後1980年にマイナーチェンジしてヘッドライトを角形に、さらに82年もフェイスリフトを行い、ポジションランプをヘッドライト脇に移動。70年代〜80年代のデザイントレンド変化に対応した。
時代に合わせて進化していったスターレット
スターレットがFFになったのは1984年。3度目のフルモデルチェンジでP 70系になったときだった。6年8ヶ月ぶりのフルモデルチェンジということもあり、パワートレーンを含め設計を完全に一新。広くなった室内、クリーンなデザインの内外装、パワーアップした1.3Lエンジンも好評だった。この代のスターレットといえば実用的な仕様の「ソレイユ」が有名だが、当初は特別仕様車で、のちにレギュラーモデルに昇格している。スポーティな「Si」など走りを意識したグレードを用意したほか、1986年にはターボエンジンも搭載され、この後3代に渡り「スターレットといえばターボ」というイメージを作った。1.3Lターボエンジン「2E-TELU」は加給圧をスイッチで切り替えることが可能で、ローモード91ps、通常では105ps(のちに110ps)の最高出力を誇った。
4代目スターレット(P80系)は1989年に登場。P70系に比べ、質感を高めた内外装デザイン、豊かになった装備、ガソリンエンジンの出力向上など、全体的に大きなクオリティアップを果たしている。P80系ではキャラ付けをより明確に行い、ターボモデルは「GT」という勇ましい名称に変わった。エンジンはDOHCになったが、2モードターボは継承。最高出力はローで125ps・標準で135psまでアップしていた。
最後のスターレットは、1996年発売の5代目(P90系)である。スポーツモデルはより走りを追求、ノーマルモデルはより快適性や経済性の向上を目指したモデルになり、それぞれ「グランツァ」「ルフレ」と改称。スターレットが本来持つ、スポーティで経済的なベーシックカーという性格を深めた。また衝突安全ボディ「GOA」、エアバッグ・ABSの全車採用など、安全面も大きな進化を遂げていた。
新たなコンパクトカーの価値を生み出したヴィッツ
そして初代ヴィッツは1999年に出現。スターレットの実質的な後継モデルである。型式はP10系で、スターレットとの繋がりを感じさせる。ボディサイズは全長約3.6mに小型化、エンジンも1Lへと小さくなり、Aセグメント車として登場した。ヴィッツは単なる安価なエントリーカーではなく、上位車種並みの快適性や操縦性を持つ「世界戦略車」でもあり、スターレットからの車名変更は、世界レベルのコンパクトカーを目指した意気込みの表れと言えた。日本だけでなく、欧州を中心に世界でもヒット作となり、日本カー・オブ・ザ・イヤーと欧州カー・オブ・ザ・イヤー両方を受賞している。主力エンジンは直4・1Lと1.3Lで、スポーツグレード「RS」には1.5Lも搭載した。
6年後の2005年、ヴィッツは2代目にフルモデルチェンジを行なってP90系(SCP90)へ。初代の正常進化版だが、ボディは大型化してスターレット並みの3.8mほどに戻った。エンジンも1.3Lを主力としたためBセグメントにステップアップしている。特徴的なデザインを上手に引き継ぎ一体感のある外観を持つ。衝突安全性も向上していた。
2010年には3代目ヴィッツが登場。2020年まで10年間にわたって発売され、ロングセラーモデルとなった。その間、幾度か大きめのマイナーチェンジを行っており、最終的にはかなり派手なマスクを得ている。2017年にはハイブリッド版もラインアップしてバリエーションを充実した。
駆け足だったが、ヤリスがデビューするまでのヴィッツ〜スターレット〜パブリカの歴史をたどってみた。どの世代も、買いやすく乗りやすいエントリーカーだったために、多くの人の「自動車歴」に、何かしらの記憶を刻んでいるのではないだろうか。筆者は、P80型スターレットのレンタカーが思い出深い。免許を取って間もない頃、4速MTのソレイユをよく借りていた。軽量で十分なパワーがあり、ただ運転するだけでも、とても楽しかったのを昨日のように思い出す。
初代ヴィッツのように、「コンパクトカーの原点」に立ち返って開発された新型ヤリス。20年以上使われてきたビッグネーム・ヴィッツからヤリスへの変更は、世界で同じ名称を使うことによるイメージの統一だけでなく、スターレットがヴィッツに変わったときのようなクルマが一新されたことを感じさせる。新しい車名・ヤリスも、これから先も愛され続けるに違いない。
この記事を書いた人
1971年生まれ。東京都在住。小さい頃からカーデザイナーに憧れ、文系大学を卒業するもカーデザイン専門学校に再入学。自動車メーカー系レース部門の会社でカーデザイナー/モデラーとして勤務。その後数社でデザイナー/ディレクターとして働き、独立してイラストレーター/ライターとなった。現在自動車雑誌、男性誌などで多数連載を持つ。イラストは基本的にアナログで、デザイナー時代に愛用したコピックマーカーを用いる。自動車全般に膨大な知識を持つが、中でも大衆車、実用車、商用車を好み、フランス車には特に詳しい。