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オートモビルカウンシルにあった80年代の私的想い出

2019年(平成31年)4月5日(金)から7日(日)の3日間、幕張メッセで開催されていたAUTOMOBILE COUNCIL2019(オートモビルカウンシル2019)を初めて見に行きました。

今回のテーマ展示が日本車の“80’s百花繚乱”だったのでとても懐かしかった。改めてまとめて見ると、当時のクルマ達はそれぞれ個性が際立っていたんだなと。

そんなことを思いながら見ていると、あるクルマの前で、明らかにその時代を知らないと思しき3人があーでもないこーでもないと議論しているところに遭遇しました。

その話を聴きながら、あの頃は最先端だったけど、今はなくなっているものがあることに気づいたと同時に、あの頃のクルマのあれこれとそれにまつわる想い出が一気にフラッシュバックしたのです。

と、いうことで、大変恐縮ですがここからは全く個人的な想い出を辿ることにいたします。

辿りながら、当時のクルマにまつわるあれこれを書きますので、当時を知っている方はご自身の想い出と重ね合わせて、知らない方は当時そんなことがあったんだと思いながら読んでいただければ幸いです。また、なんじゃそりゃ? と思う部分があったらぜひ調べてみてください。

トヨタ博物館では、カタログの他、同時代に発売されヒットした商品もパネル展示されていた。

さあ、未体験ゾーンへ

と、いうキャッチフレーズでデビューしたのはトヨタ・ソアラ。1981年のことです。3年半暮らしたジャカルタから帰国したタイミングでのデビューだったので、”おー、やっぱり日本はすごいな!”と衝撃を受けました。

展示されていたのは、モデル末期の1989年に500台限定で販売されたエアロキャビンというモデル。ルーフ格納スペースのため2人乗りになっている。

2800ccエンジン、3ナンバー、マイコン搭載、電子制御、デジタルメーター、白が真っ白のスーパーホワイトに、など、今では当たり前すぎてことさら語られることもない用語やスペックに少年の心は躍りました。後に3000cc車に設定された、テレビも映る”トヨタ・エレクトロ・マルチビジョン”にもシビれました。画面は液晶ではなくブラウン管。それだけでえらい未来的に見えたことを思い出します。当時の液晶と言えば流行り始めたデジタル腕時計くらいのものでした。展示してあったクルマは、1986年デビューの2代目(Z20型)。このモデルにも数々の新機軸が搭載されました。

狭いスペースでの乗り降り性を向上せるために、ヒンジが外側にスイングするという凝った機構を与えられたドア。

3.0GT Limitedに世界初搭載された電子制御エアサスペンション、デジタルメーターが虚像表示になったスペースビジョンメーターなど、これまた何やら心ときめくものがありました。”ツインカムツインターボエンジンって何それ?めっちゃすごいやん!”という感じ。A、B、Cピラーを直線的に上に延ばすと一点に集約されるボディデザインだという点も何やらスペシャルティイメージを増していたと思います。

当時はベストカーガイド(現在のベストカー)というような雑誌には、発売かなり前のスクープ写真や予想イラストなどがひんぱんに載っていて、それが目当てで買っている友人も多かったですね。

窓の外枠付近にある黒いボタンのようなもの。これはなんだと議論している3人と出会ったのがこのコラムのきっかけ。空力性能を向上させるためにはボディの段差をできるだけ小さくしたい(フラッシュサーフェス化)。そのためにはガラスをできるだけ外側に出したい。でも従来のガイドレールでは難しい。そこでこのような構造になった。黒いボタンはガラスを挟んでガイドレールにとめられている。記憶に間違いがなければ最初にこの構造を採用したのは、空力ボディを極めようとしていたアウディ100(1982年登場のC3型)。

それだったかどうか定かではありませんが、”エンジンは1G-GEUをツインターボ化した1G-GTEUが搭載される”、”ソアラ用に新規開発された7M-GTEUの3000ccターボエンジンが搭載される”などの文言が踊る誌面にワクワクしたものです。それまでトヨタはツインカム、日産はシングルターボが売りでしたが、ツインカムツインターボの登場で、技術の日産も終わったな、なんて友達と話していました。

“次期ソアラは車名とグレードのエンブレムがなんとテールランプの中に配置されることが判明! これでワックスの目詰まりから解放される”と、スクープページで紹介され、なんじゃそりゃ? と思いながらあれこれ想像していた。これがその部分。これは3.0GTだが、3.0GT LIMITEDという最高グレードがあり文字数が多いため、テールランプのこの部分が2種存在することになる。コストダウン重視の現代では考えられない贅沢(?)ちなみに、LIMITEDがあるかないかで世間の扱いは全然違い、ここを見て「なんだ、LIMITEDじゃないのか」なんて囁かれることも多かった。

セリカXX改めスープラ

”トヨタ3000GT”のキャッチコピーで登場したA70型。2代目ソアラと同じ1986年デビューし、プラットフォームも共用していたこともあり初期のエンジンラインアップは同じ。トヨタ最後のリトラクタブルヘッドライトモデルで、この格納式ヘッドランプと3000ccツインカムターボというスペックはまさにスーパーカーと思えました。

当時アルバイトをしていたガソリンスタンドのお得意さんが、デビューしたてのZ20型ソアラを買い、1年乗ってこのスープラに買い換えた。もう買い換えたのかと驚く店員たちに、「1年乗ってもう満足したから買い換えたんだ~」と、言い残して颯爽と走り去っていった姿が忘れられません。

展示車はマイナーチェンジ後の1988年モデル。ルーフがぽこっと取れる“エアロトップ”仕様も選べた。

給油や洗車のたびに見る、えんじ色の内装と上質なシートになんとも言えない高級感があった。当時、高級とされるグレードにはえんじ色と、車種によっては高いソファのようなボタン引きシートが定番でした。

余談ですが、当時のクルマ好き、バイク好き少年はガソリンスタンドでアルバイトすることが多く、スタンドにやってくるクルマ達を触るのが楽しみでした。新車やいいクルマは先輩や社員店長になかなか触らせてもらえず悔しい思いをしましたね。

ソアラ同様、”LIMITED”があるかないかが分かれ道で、ないと「な~んだ、LIMITEDじゃないのか~」と、買えないくせにひそひそ難癖をつけるネタになっていた。当然、2.0なら「な~んだ、3.0じゃないのか~」と、言われた。

ハイソカーの代名詞だったマークII

”美しき正統”のキャッチフレーズで1984年にデビューしたGX71型は、一つ前のGX61型から始まった”ハイソカー”のイメージを盤石にしたモデル。マークII、チェイサー、クレスタで”マークII三兄弟”と呼ばれていました。CMキャラクターも松本幸四郎(マークII)、夏木陽介(チェイサー)、山崎努(クレスタ)とかなり豪華。

ピラードハードトップ(クレスタだけセダン)、ツインカム、ヘッドライト内側のフォグランプがハイソカーの三種の神器。クラウンもそうでしたが、スモールライトと同時にフォグランプを点灯させるのが流行っていました。

1986年式GX71型マークII・ハードトップ・グランデ・ツインカム24。マークII三兄弟の長兄。

ちなみにハードトップを高級車のイメージで売り出したのは日産の方が早く、セドリック、グロリア、ローレル、7thスカイライン、シーマなどありましたが、日産の方はすべてピラーレスハードトップで、本来の意味からすると日産の方が正しい。トヨタの方は厳密にはただのサッシュレスドアだったので、”ピラードハードトップ”というまやかしの名称がつけられていました。

TWIN CAM24のエンブレムがなければハイソカーとは言えずという時代の必須表示。ヘッドランプ内側のイエローフォグランプがハイソなトヨタ車共通のアイコンだった。

外国人から、「日本人は賃貸アパートに住んでローンでハイソカーを買う変な人たち」と言われ始めたのはこの頃。日本人は分不相応なクルマを買う変な人たちという意味でした。収入が中途半端で、家は買えないけど高いクルマなら買えるという所得事情、男の証でもありコミュニケーションツールでもあるクルマは無理してでも買うという若年層やサラリーマンも多かったという様々な背景ゆえの現象だったと思います。

TWIN CAM24に加えて、Grande(グランデ)のエンブレムも必須。グランデでなければハイソカー・マークIIにあらず。チェイサーはAvante(アヴァンテ)、クレスタはSuper Lucent(スーパールーセント)がグランデ。LG以下のグレードなんて……。

実際、買ったのはいいけどガソリン代まではお金が回らず、スーパーホワイトのボディをシュアラスターやソフト99でワックスがけばかりしていて、ガソリンスタンドでは「10リッターね!」とか「1000円分!」なんて言ってる人がけっこういました。スーパーホワイトと言えば、スリーウェイツートンというカラーも人気がありました。

外国人には、「マークII?なんの?何かのマークIIであるべきでしょ? ニホンノエイゴフシギデ~ス」と言われたとか言われなかったとか。

斬新なだけじゃなく豊富なバリエーションも魅力的だったホンダ・シティ

「シティ!インシティ!!」「ホンダホンダホンダホンダ!!!」と、マッドネスの不思議なダンスと軽快な音楽で始まるTVCMも斬新、「シティはニュースにあふれてる、アクティブビークル」がキャッチフレーズのホンダ・シティがデビューしたのは1981年。ハイソカーと対極にあり、マークII三兄弟と若者の人気を二分していた。ハイソカーを買って磨いて「おー!」と言われるか、買って乗ってアクティブに楽しむか、どちらにしてもその人の人生哲学を如実に表わすクルマだった。荷室に格納できる50ccスクーターのモトコンポも同時発売されたこともニュース。

シティはカタログも楽しげだった。ホンダのクルマは、クルマにもTVCMにも明確な楽しさや直感に訴えるメッセージ性があると売れる。後ろは展示車を忠実に再現した模型。

Rというグレードに加えて、低燃費グレードのE、バン仕様のPRO、4速MTに副変速機を組み込んだEハイパーシフト、電動スライディングサンルーフもつくRハイルーフ、それにウーハーを仕込んだオーディオバージョンのRマンハッタンHi-fi、ターボ、ワイドフェンダーで今でいうところのマッチョなスタイルを与えられたターボIIブルドッグ、ポップな12色が設定されていたカブリオレと、前にも後にもあれっきりのホンダ一のバリエーションを誇った。しかもこれを徐々に出すという売り方も良く、シティは常にニュースにあふれていた。

モトコンポ。ハンドルをたたみシートを格納してラゲッジルームに乗せる。

叔父が発売直後にモトコンポ付きで買い、中学生だった筆者をよく乗せてくれた。助手席に乗ってるだけでも楽しいクルマだったことを覚えています。

ポップな12色から選べた“太陽標準装備”シティ・カブリオレ。

余談ですが、1986年10月に発売された2代目シティのキャッチコピーは“才能のシティ”。トールボーイから一転低く構えた“クラウチングフォルム”に生まれ変わり、特に自動車雑誌をかなりざわつかせた。「あのコンセプトは何だったんだ!」とか、「あのスタイルのためにサスペンションが超ショートストロークにされたのでものすごく乗り心地が悪い」とか、さんざんなものだった。そのあと、1996年デビューのロゴもはずれ、2001年デビューのフィットまで低空飛行が続いた。フィットは、センタータンクレイアウトによる使い勝手のいい室内空間、いいデザイン、そして陽気な音楽に「今だ!!思い立ったが吉日生活」というわかりやすいTVCM効果もあり(と、思っている)ロング大ヒットしたことは記憶に新しい。

大ヒットしているというN-VANは平成に蘇ったシティか。M-M(マンマキシマム、メカミニマム)思想の平成版。

専用でないバイクを乗せられる。”シティに乗って誰とどこいこ?”に加えて”何載せてこ!”と、夢空間いっぱいのN-VAN。

他にも思い出深い日本車がいっぱい

“エキサイティング・ドレッシー”のキャッチフレーズで1985年にデビューしたカリーナED。このハードトップ4ドアクーペが若年層にウケ大ヒット。後期モデルはリアガーニッシュにあるEDのロゴが光るというのもバブル時代ならでは。このクルマも欧州自動車人はバカにしていたけど、それから約20年後の2004年にベンツが同じコンセプトのクルマをCLSクラスとして発表した。見た瞬間に、「EDをパクったな、絶対」と思った記憶があります。

1985年デビューのスバル・アルシオーネ。空力を極めたウェッジシェイプ(くさび形)のスタイリングには度肝を抜かれた。初めてCd値(空気抵抗係数値)0.29を達成したことでも話題になりました。ドアハンドルのくぼみにも蓋をつけるという細かい努力のたまもの。Cd値0.30の壁は厚く、当時のアウディ100でも0.30だったので、日本車もやるなと思ったもの。展示車は1987年に追加された2.7L水平対向6気筒モデルのVX。

このときこのクルマがデビューしなければ、もしかしたら自動車のスバルはなくなっていたかもしれない!? スバル・レガシィは1989年1月デビュー。デビュー前に、アメリカのフェニックスで、セダンRSが10万km耐久走行平均速度223.345km/hの国際記録を樹立したことでも話題になりました

展示車は同年9月に追加されたハイパワーターボエンジン搭載の2.0GTツーリングワゴン。ハイパワー4WDワゴンの先駆けとなった。このクルマには恨みと言ってもいいくらいの忘れられない想い出があります。筆者はGT登場以前の最上級グレードだったVZを、貯めてあったアルバイト代に親からの借り入れを足して買いました。とても嬉しかった納車日からたった一週間後にGTが突然発売されたのです。ボーッと見ていたテレビにGT登場のCMが流れた時の衝撃は忘れられません。まさに暗転です。1年後のてこ入れや2年後のマイナーチェンジで追加されるのならまだわかりますが、「ここ!? いまのタイミングで!? あり得へんわ。GTが出るとわかってたらぜったいこっち買ったのに!!」と怒り爆発でディーラーに乗り込んだら、すでに10人が同じように怒鳴り込んでいて思わず笑ってしまいました。このことと、それ以前に乗っていたフォルクスワーゲン・ゴルフIと満タン(45L対60か65L)で走れる距離が同じという燃費の悪さにも苦しみ、1年くらいで手放しました。今はそんなことがないようで何より何よりです。

今年は日産GT-RとZの生誕50周年だそうです。展示車は、初代スカイラインGT-R(PCG10型)1969年JAFグランプリ優勝車仕様、通称”ハコスカGTR”と2013年GT-R NISMO N-Attack Package。ドイツ・ニュルブルクリンクで当時の量産車最速の7分8秒679を記録したR35型GT-Rです。

スカイラインと言えば、通称”ケンメリ”から始まったGT系の丸形テールランプと後半セクションの”サーフィンライン”。1981年にC210型(西部警察でもおなじみの通称”ジャパン”)がR30型(通称ニューマンスカイライン)にモデルチェンジするまで続きました。自動車雑誌には「伝統のサーフィンラインは跡形もなく消え去り」と書かれるほど、スカイラインのアイコンでした。ニューマンと言えば映画俳優でありレーサーでもあった故ポール・ニューマンですが、このときの日産車にはスカイラインにポール・ニューマン・エディション、グロリアにジャック・ニクラウス・エディションという、CMキャラクターの名を冠した限定車も発売されていました。しかし、セドリックには二谷英明エディションというのは発売されなかった(笑)

トヨタ博物館のコーナーにマークIIがあったのだから、日産には同時代のローレルと7thスカイライン(R31型)も並べてほしいと思いました。

さて、全く個人的な想い出語りで恐縮ですが、冒頭にも書いた通り、当時を知る方はご自身の想い出と重ねていただければと思いますし、知らない方は「へーそうだったんだ」と昭和という一時代に思いを馳せていただければ幸いです。

大田中 秀一

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