旅&ドライブ

紀伊山中に延びる東吉野街道の峠越え(奈良県・伯母峰峠)【絶景ドライブ 日本の峠を旅する】

海が近いとは思えない紀伊半島の稜線をゆく道

自然の豊かさから、近畿地方では観光地として非常に人気の高い大台ヶ原。ここに向かうドライブウェイの途中にあるのが伯母峰峠である。新しいトンネルの完成によって峠として意識されることのなくなった道だが、そこには神話の世界にも通じる「木の国」の深い歴史が秘められている。

大台ヶ原ドライブウェイの登り口は、対向車とのすれ違いにも苦労する狭い山道。

日本百名山のひとつ、大台ヶ原山の山頂は、尾鷲湾のあたりでは国道42号からも目にすることができる。主峰・日出ヶ岳の標高は1695m、そこから海岸線までは直線距離で15km足らずなので、まさに仰ぎ見る感じだ。
尾鷲からの最短ルートは奈良県下北山村へ抜ける国道425号だが、これは大雨のたびに土砂崩れで通行止めになる悪路。一般的には熊野市まで南下し、国道42号、309号、169号と走りつないで北上することになる。

紀伊山中には明治までニホンオオカミが生息。東吉野村には「最後の一頭」の像がある。

大台ヶ原へ延びる県道40号は、国道169号(通称=東吉野街道)の新伯母峯トンネル北側から分岐している。かつての有料道路、大台ヶ原ドライブウェイである。
分岐から終点のビジターセンター駐車場までは約19kmの道のりで、そのうち登り始めの約3.5kmはかなり険しい山道だ。深い谷にへばり付くような急坂で、道幅は狭く、見通しも効かないため、対向車と出会うたび、どちらかが路肩ぎりぎりに停まってやり過ごさなければならない。
ただし、その先で長さ80mほどの小さなトンネル、大台口隧道をくぐり抜けると、道は一転して良くなる。ここから終点までは、ゆったりとカーブを描く稜線伝いの道で、遙か彼方まで重畳と連なる紀伊半島の山並みを眺めながら快適なドライブを楽しめる。

熊野川の支流、北山川に寄り添うように紀伊山中へと分け入っていく国道169号。途中にはダム湖も点在。

道路地図を見ると、伯母峰峠はちょうど大台口隧道のところにプロットされているのだが、ここを過ぎても道はさらに登り続けていく。標高1262mの伯母ヶ峯、標高1592mの経ヶ峰というふたつのピークの間近を抜け、最終的には近畿地方の自動車道路の最高地点、標高1573mのビジターセンター駐車場へと至る。
大台ヶ原は九州の屋久島と並ぶ国内有数の多雨地帯で、年間の降水量は平年でも5000mmに達する。また、このあたりは吉野川(紀の川水系)と北山川(熊野川水系)を隔てる分水嶺になっていて、大台ヶ原ドライブウェイの南側に降った雨は熊野灘へ、北側に降った雨は紀伊水道へと、大きな紀伊半島の東と西に分かれていく。

大台口隧道から上北山村側へ少し下ったところに残る伯母峯隧道。かつての国道169号はここを抜けていた。

神武東征の古道と稜線で交差する峠越え

県道40号(大台ヶ原ドライブウェイ)側にも、国道だった時代のトンネルの痕跡はわずかに残されていた。

大台ヶ原をめざしてドライブウェイを走って行く人の大半は、登り道の途中という半端な場所に、なぜ伯母峰峠という地名があるのか不思議に思うに違いない。その理由を教えてくれたのが、南麓の上北村山西原地区に住む岩本速男さんだった。
岩本さんは西原地区の隣の集落、いまは無人となった天ヶ瀬地区に生まれ育ち、その故郷の歴史や伝説、人物伝などを『ふるさと天ヶ瀬』という一冊の本にまとめている。伯母峰峠の歴史を上北山村役場で尋ねてみたところ、担当者から資料を調べるより岩本さんの話を聞いた方が早いと教えられ、その足でご自宅にお邪魔することになったのである。

明治24年(1891年)に開設された大台教会。神道系の教会で、かつては登山者の宿泊施設にもなっていた。

岩本さんによると東吉野街道の歴史は相当古いらしく、木材の切り出しや筏流しのため、峠を挟んで北山川と吉野川の上流域の人々は室町時代の頃から盛んに行き来していたという。そんな谷筋の山道の一本を拡幅して、荷車が行き来できるようにしたのが明治40年(1907年)のこと。そして、昭和10年(1935年)には稜線を越える峠道の下に伯母峯隧道が貫通し、ようやく自動車も行き来できるようになったのだ。
「私が初めてクルマに乗ったのは10歳の頃。おそらくT型フォードだと思うのですが、子どもにとってはステップの位置が高くて、乗り降りに苦労したことを今でも覚えていますよ(岩本さん談)」

北山川沿いには和歌山県北山村(全体)と新宮市の一部が飛び地として三重/奈良県に挟み込まれている。

注意して走っていないと見落としてしまうのだが、大台口隧道の南側出口からは一般の道路地図には載っていない林道のような道が新伯母峯トンネルの南側に向かって一本延びている。この道と県道40号の狭隘区間がトンネル開通前の旧国道なのである。
厳密にいうと、大台口隧道は昭和36年(1961年)に開業する大台ヶ原ドライブウェイ建設のため、その2年前に開かれたトンネル。岩本さんがT型フォードでくぐり抜けた隧道は、分岐から数百mほど上北山村側に下ったところに、なかば土に埋もれながらもその姿をとどめている。そして、明治時代に切り拓かれた伯母峰峠は、この伯母峯隧道と大台口隧道の中間あたりの稜線の鞍部を越えていたらしい。

奇しくも伯母峯隧道の開通と同じ年、昭和10年(1935年)生まれの岩本速男さん。その著書『ふるさと天ヶ瀬』には生まれ故郷の歴史から妖怪伝説まで、さまざまな話が記されている。

このほか、岩本さんには伯母峰峠にまつわるいろいろな話を聞かせていただいたのだが、そのなかでも特に面白かったのは、神武東征にまつわる伝説である。
『日本書紀』によると、熊野の海岸に上陸した神武天皇の軍勢は、地元民の反撃を退けながら、いったんは大台ヶ原の山上に集結。そこからは伯母ヶ峯や吉野川の源流域を抜けて大和盆地をめざしたというのである。「どうせ神話だろ」といわれてしまえば身も蓋もないのだが……、現在の大台ヶ原ドライブウェイはこの神武東征の道にぴたりと合致する。
神話にも登場する稜線の古道と中世からの谷筋の峠道が交わるところ、それが伯母峰峠なのである。

天気が良ければ、日出ヶ岳山頂からは尾鷲湾が一望にできる(写真提供:大和路ストックフォトライブラリー)。

伯母峰峠3Dマップ

◎所在地:奈良県上北山村/川上村◎ルート:国道169号(旧道)◎標高:977m◎区間距離:約52km◎高低差:50m◎冬季閉鎖:12月上旬-4月中旬

 

【A】ゐざさ本店(いざさほんてん)

笹の葉でくるんだ押し寿司
ゐざさ寿司はサケの押し寿司を笹の葉でくるんだ奥吉野の伝統料理。8個入り1,036円など。サバ、サケ、タイ、アジなどを使った柿の葉寿司もある。ひと口サイズなのでドライブ中の間食にも最適。●8:30-17:00(季節により変動あり)/定休なし/上北山村河合353/07468-2-0008

【B】心・湯治館(こころ・とうじかん)

ご来光や夕景も楽しむなら
大台ヶ原ドライブウェイの終点、ビジターセンター駐車場に面して建つ宿泊施設。日出ヶ岳山頂までは2km/40分の近さなので、トレッキングも楽しみたい人にお勧め。●1泊2食付き9,000円(相部屋)から/冬季休業/07468-2-0120(冬季は090-3056-1695)

アマゴや鹿肉など、山の幸をたっぷり味わえる心・湯治館の夕食。

【C】大台ヶ原ビジターセンター(おおだいがはらびじたーせんたー)

国立公園の情報発信基
吉野熊野国立公園のなかでも特別保護地区に指定されている大台ヶ原(西大台地区は立ち入り制限もあり)。その豊かな自然、歴史や文化を学ぶことのできる施設。●9:00-17:00/冬季休館(県道40号の通行止め時も休館)/上北山村小橡660-1/07468-3-0312

【D】入之波温泉元湯 山鳩湯(しおのはおんせん やまばとゆ)

吉野杉の湯船で名湯を堪能
伯母峰峠の北麓、大迫貯水池の岸辺にひっそりとたたずむ一軒宿。全国でも珍しい含炭酸重曹泉の湯は日帰り入浴も可能(800円)。川魚や猪肉など地元の食材を使った料理も自慢。●1泊2食付き11,880円から/水曜定休(冬季は火曜日も)/0746-54-0262

吉野杉の丸太でできた山鳩湯の浴槽。湯の含有物が付着し、まるで岩風呂のようになっている。

【E】丹生川上神社上社(にうかわかみじんじゃかみしゃ)

湖を一望にする天空の社大滝ダムの建設にともない、湖を眼下にする眺望の素晴らしい高台に移設された神社。社は真新しいが、その歴史は非常に古く、祈雨・止雨の神様として奈良時代から篤い信仰を集めてきたという。●8:00-16:00/川上村大字迫869-1/0746-52-0733

アクセスガイド

紀勢道の無料区間(熊野尾鷲道路)・熊野大泊ICから伯母峰峠までは、国道42号/309号/169号を通って約65km/2時間。西名阪道(名阪国道)の天理ICから一般道を南下していっても同じく約65km/2時間の道のり。大台ヶ原ドライブウェイは例年12月上旬から冬季閉鎖が始まる。通行できるようになるのは4月20日前後。

大台口隧道の脇から延びる昔の国道。昨年秋の時点では道路状況は悪くなく、県道40号の迂回路としても利用できた。

 

掲載データなどは2016年7月末時点のものです。実際におでかけの際は、事前に最新の情報をご確認ください。

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