様々な断片から自動車の広大な世界を管見するこのコーナー。今回はシトロエンGS & BXを取り上げる。我々はシトロエンに期待する。それは今でも2CVやDSの記憶が残っているゆえからだろうか。何か、これまでになかったことを期待してしまう唯一の自動車メーカーなのである。GSにしても、BXにしても、シトロエンのイメージを裏切らなかった。それはアバンギャルドとして登場したが、やがて不朽の存在となった。
アバンギャルドを超えて
第1時世界大戦が終わり平和が戻ると、アンドレ・シトロエンの砲弾工場は自動車工場へ生まれ変わった。アンドレはヘンリー・フォードの流れ生産方式を取り入れて、自動車の大量生産に乗り出したのである。アンドレは販売方法も広告も先進的で、たとえばエッフェル塔は1924年から1934年にかけての10年余りの期間はシトロエンの文字が輝く広告塔であった。シトロエンは後発メーカーにもかかわらず、最初の1台が生まれてから10年後には、その生産量においてフランスのみならずヨーロッパ最大の自動車メーカーにのし上がっていたのである。
シトロエンの最初の転機はトラクション・アヴァンの開発である。それまで、技術的には保守的なクルマであったシトロエンが、他社とのアドバンテージを求めて、進歩的なモノコック・ボディと前輪駆動の新型車に乗り出したのだ。
しかしその頃は、これまでは進むとして、可ならざるはなき勢いで進んできたアンドレにとって、躓きが始まった時だった。工場の刷新と新型車の開発費にかけた巨額な投資が、順風満帆だったシトロエンをして俄かに暗雲垂れ込める嵐の中に引きずり込んだのだ。
新工場お披露目やトラクション・アヴァンの発表会が続いて、世間の眼にはアンドレ・シトロエンも成功の絶頂にあるかのごとく思われた。だが内実は火の車であり、まもなく第一等の債権者でもあったミシュランにすべてを譲っている。それからは、ミシュランから派遣されたピエール・ブーランジェが中心となってシトロエンの舵取りが始まった。シトロエンには、元ヴォワザンの技術者だったアンリ・ルフェーブルがおり、ピエール・ブーランジェは彼を重用して、2CVやDSのような自動車の100年を超える歴史のなかでも独創的なクルマを生み出した。
クールなBXと比べると、GSはなんとエモーショナルなことか
第2次世界大戦後の新しい社会構造のなかで、かたやDS、かたや2CVという、両極的な2車種がシトロエンのラインナップのすべてだったが、だんだんとその中間的な車種を求める新しい層が育っていく。そこでシトロエンが、1961年に用意したのがアミ6だった。アミ6は1969年にアミ8となり、ボディ・スタイルもファストバックの5ドア・セダンとなった。そして1970年にはアミ8の上級車種であり、さらにアミ8の購買層も移行させるためのモデルでもあるGSを生み出した。しかし実際のところ、GSはDSで培った先端的な技術を惜しみなく大衆車に傾注したクルマだった。

フランスのプラスチック製のモデルとしては、1/43のノレヴや1/24のエレールのキットがコレクターズ・アイテムだが、主に1/12スケールのモデルを製品化してきたモンブラン(MONT-BLANC)も再現力に優れ、人気が高い。モンブランは戦後間もない頃に『Joseph Vullierme』によって創業されたおもちゃメーカーのブランド名だったが、現在でも『Vulli』という社名で存続している。
GSには新開発の空冷水平対向4気筒エンジンが搭載され、ロベール・オプロンによるファストバックのデザインは、ピニンファリーナのレオナルド・フィオラヴァンティによるBMCアエロ・ディナミカの影響も指摘されているが、アミ8のモチーフの進化型とも言える。ともあれ流麗で美しいデザインだった。
シトロエンの次の転機は1974年だった。かつてトラクション・アヴァンを開発した頃と同じようにGS、SM、CXや、ヴァンケル・エンジンの膨大な開発費、さらにオイル・ショック後の景気の後退が重くのしかかっていた。結局はライバルのプジョーの傘下ということになり、この保守的な経営陣のもとで前衛的だったシトロエンは舵取りの向きが大きく変わった。一言で言えば、フランス的エスプリに満ちた独創性のあるメーカーから、インターナショナルな万人受けするメーカーへと方向が変わったのである。
そんな中、GSの後継車として1982年に登場したのがBXであり、シトロエンとして初めて社外のデザイナーへエクステリアもインテリアも委ねられた。フロアパンやエンジンはプジョー製だったが、ハイドロニューマチックは踏襲されている。ベルトーネにおけるガンディーニは、鬼面人を驚かせるためのデザインと揶揄されることが多かったが、実はそのディテールも含めて、実用に耐えるデザイン、古びないデザインであることはBXからも証明されるだろう。BXは、インターナショナルなデザインでありながら、シトロエンらしい個性もある素晴らしいデザインだった。GSは、その発展型のGSAも含めて16年に渡り244万台が生産され、BXも12年もの長期に渡って生産されて231万台が生産されたヒット作となった。
なおBXだけでなく、ガンディーニがシトロエンのデザインに携わったのは、1度ならずあった。最初は1972年のジュネーブ・ショーで発表されたカマルグで、GSのコンポーネンツから造られたフォリ・セリエだ。次が、シトロエンが傘下に収めたマセラティのカムシンであり、足まわりにシトロエンの技術が導入されていた。そしてBXであり、そのあとガンディーニはベルトーネから独立して、自らのデザイン事務所を開き、XMのデザインを提案した。XMで採用されたのはベルトーネの提案だったが、もしもガンディーニのXM案が選択されていたら、シトロエンの歴史は変わっていただろうか。
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