有名人も狂喜したブリティッシュ風味
ジャガーの創始者ウィリアム・ライオンズ(1901〜1985年)は、消費者の心理を読み抜く鋭い眼力の持ち主だった。スワロー・サイドカーからSSスポーツカーを経て、戦後すぐ1945年にジャガーを創業した彼は、「姿が美しく高性能で、本格的な雰囲気を持ちながら、そこそこ買いやすいクルマ」に一貫してこだわった。そしてXK120(ロードスター)やマーク2(サルーン)を発売するや、アメリカに巨大な旋風を巻き起こした。戦争に勝って平和を取り戻し、未曾有の好景気に沸くところに降臨した英国風味の高性能車として、アメリカ人のヨーロッパに対する憧れ(と劣等感)を強烈に刺激したのが勝因。その背景を彩るためレースにも力を入れ、1951、1953、1955、1956、1957年と5回もル・マン24時間に優勝したのも効果的だった。そして1961年、名作レーシングカーCタイプやDタイプの残像を濃密に込めて、Eタイプが発売された。
高速魚を思わせる流麗なスタイルは、ル・マンのウィニングカーをデザインしたマルコム・セイヤーが、ライオンズの意を受けて手がけたもの。Eタイプにはシリーズ1(1961〜1968年)、シリーズ2(1968〜1970年)、シリーズ3(1971〜1975年)の3世代があるが、ボディ面に埋め込まれたヘッドライトをプレクシグラスでカバーしたシリーズ1が最も美しい。
見た目だけでなく中身も本格派。ボディ本体はまだスポーツカー界で珍しかったモノコック構造で、スカットルから前方だけ鋼管スペースフレームにしてエンジンを抱いていたが、これは大戦中の単発戦闘機と同じ構成だった。艶やかな磨きアルミのカムカバー(シリーズ1の前期のみ)を2本スラッと走らせた6気筒DOHCエンジンには大径のSUキャブレターが3基添えられ、3.4L版で269psを生んだ。シリーズ1の後期に4.2Lに拡大されても出力は変わらなかったが、トルクは確実に増幅された。1971年からは5.3LのV12(276ps)を積むモデルも追加された。
リアサスペンションも特徴たっぷり。固定長のハーフシャフトにアッパーアームを兼ねさせた変則ダブルウイッシュボーンを、片側それぞれ2本ずつのコイル/ダンパーユニットで支持するほか、デフの両側に取り付けたインボードタイプのブレーキまで巨大なサブフレームに集約するなど、凝りに凝った設計だった。スポーツカーらしからぬ快適な乗り心地にも、このサブフレームは貢献していた。
これほどの容姿と内容なのにフェラーリやアストン・マーティンの半額とあれば買い得感は絶大。何よりバリュー・フォア・マネーに敏感な一般のスポーツカーファンだけでなく、チャールトン・ヘストン、ディーン・マーティン、スティーヴ・マクイーンといった有名人までが飛びつき、颯爽と乗り回していた。それがさらにジャガーの評判を高めたのは言うまでもない。