マトラとともにル・マンに挑戦したマーシャル
マーシャルは、戦前のル・マン24時間レースでも、サルトサーキットに横断幕などを貼って広告に努めていたが、1968年以降のレーシングカーそのものが広告媒体となる時代になってからは、ル・マンに出場する全車にステッカーを貼るような勢いだった。だがライバルもシビエなどは強敵であり、実際にはマーシャルのヘッドライトを装着し、そのステッカーを貼っているクルマのほうが、シビエに比べると少なかったかもしれない。それでも、ロゴマークとしてはシビエよりも断然目立っていたので、ル・マンといえばマーシャルというイメージが強いのである。特にマトラのフロントフェンダーの前面のちょうど目立つところにマーシャルのネコのロゴマークが付けられていた。
だから、マーシャルはマトラとともにル・マンに挑戦した印象が強い。マトラはル・マン挑戦7年目の1972年にやっとル・マンを制覇した。フランスの自動車メーカーとしては1950年のタルボ・ラーゴ優勝以来22年ぶりの栄冠だったが、それから1973年、1974年と、マトラは3年の連続優勝を遂げた。マトラはスポーツカーの世界選手権でも、1973年はフェラーリ312PBと戦い、逆転し年間チャンピオンとなり、1974年には圧倒的な勝利を収めて世界チャンピオンとなったが、その年を限りに撤退してしまう。
そのためだろうか、1975年以降はマーシャルのロゴマークの露出が減っていった。1975年はそれでもリジェや我らがシグマのフロントフェンダーにネコが輝いていたが、その後はWMプジョーくらいで、1980年代前半でほとんど見かけなくなった。レースでスポンサー費用を使いすぎたのだろうか、経営不振からその頃にはFerodo(後のValeo)の傘下となっていたのだった。
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