攻めれば攻めるほど締まるイタリア職人ならでの味付け
1980年代のWRCに猛威をふるったランチア・デルタ・インテグラーレの武勇伝は、まだまだ鮮やかな思い出として脳裡を彩っている。しかし、それを詳しく振り返ると、膨大な書物になってしまう。強力なライバルを片っ端から叩きのめし、結果としてランエボやインプレッサを強く育てる親となった道のりで、車体、サスペンション、エンジンなどすべてにわたり、考えられる限りの改善を詰め込み続けたからだ。しかも、1992年限りでワークスとしての参戦から撤退した後も、華やかすぎる戦績を慕うファンの声に応えて進化を続け、究極の完成形にまで登り詰めている。そこでここでは、その大トリを受け持った仕様の透視イラストを紹介する。
フルネームは「ランチア・デルタHF・4WDインテグラーレ・エヴォルツィオーネ・ドゥエ・コレツィオーネ・エディツィオーネ・フィナーレ」と非常に長い。中でもこのモデルは、日本のファンのためにだけ特に仕立てられたもの。ファイナルエディションとして手掛けられたロットから日本に送られた400台の内、特別な装いを凝らした250台の超限定仕様だ。
濃い赤の地に黄色と青のストライプを走らせたのは、マルティニやトティップなどスポンサーの企業色で塗られるようになる前の本家ワークスカラー。つまりインテグラーレは、最後の最後で本当の姿を取り戻したと言えるかもしれない。
もともとデルタは、VWゴルフの対抗馬として1979年に発売されたコンパクトハッチバック。それをベースにありとあらゆる武装を盛り込んだのがインテグラーレだ。いや、ベース車の外観を寸分も変えられず、メカニズムの改造も最小限に抑えられた車両規定を逆手に取り、グループAラリーカーをそのまま量産化してしまったようなものだ。
だからここには、イタリアの御馳走がめいっぱい盛り付けられている。たとえば211psのターボ4気筒エンジンも、源流を辿ると名設計者アウレリオ・ランプレディの名まで浮かび上がってくる。7.5J×16のホイールはOZ製、タイヤはピレリP7000、そしてもちろんブレーキキャリパーはブレンボ。そのうえで、クルマ全体から立ちのぼるイタリアーノならでの熱気が嬉しい。普通に流すとガタピシ華奢なボディなのに、いざ攻めるとピシ〜ッと緊張感を湛えて締まる。その瞬間はクルマという機械ではなく、まるで駿馬のようだ。だからインテグラーレに「乗る」のではなく「着る」感覚になるし、ドライビングというよりスパーリングの気分に浸れてしまう。