EVの可能性を大きく広げたFCV
燃料電池(フューエルセル=FC)の起源は古く、クルマに関しても、1972年に工業技術院とダイハツが共同開発でFCトラック(ヒドラジン使用)を走らせたのをはじめ、20世紀末からは、メルセデス・ベンツ、トヨタ、日産、ホンダなどが精力的に研究開発を進め、限定されたユーザーに対するリース販売も開始した。やがて訪れる脱石油の時代を見越してのことで、その二本柱がEV(電気自動車)とFCV(燃料電池車)。どちらも走行の現場でCO2、CO、HC、NOxなど環境に悪影響を及ぼす物質を排出しない。
その経験を踏まえて2014年11月、世界で初めて一般ユーザー向けの本格量産FCVとしてトヨタから723.6万円で発売されたのがミライ(MIRAI)だ。
ミライのFC機構の大半は、全体の床下に要領よく配置され、クラウン並みのビッグセダンとしての居住性を犠牲にしていない。主役のFCスタックは前席の下にあり、ここへ後部のボンベから水素ガスが送り込まれる。ボンベが2本(60Lと62.4Lで合計122.4L。収蔵圧力は70メガパスカル=約700気圧)なのは、円筒形のまま大容量にすると太くなりすぎ、車室の床が高くなってしまうから。
このFCで作られた電力が、やはり前席の下にある昇圧回路を経て前部の制御機器に送られ、そこから交流同期モーターに供給、変速機を介さずに前輪を駆動する。つまりFCVもEVなのだ。ただしバッテリー式のEVは、搭載する電力を使い切ってしまうと外部から充電しなければならず、充電時間も長いという制約がある。それに対し、大量の水素ガスを収蔵できるFCV航続距離が長いのが強み。一充填で約650km走れ、水素ステーションでの充填も3分ほどで完了する。
ここでFCの原理を紹介しておこう。燃料という言葉を使うから誤解されやすいが、水素ガスを燃やすわけではない。水素(ボンベに収蔵)と酸素(車外から取り入れた大気に含まれる)の化学反応がポイントだ。しかし単に水素と酸素をぶつけ合わせれば簡単に爆燃し、電力など生まれない。そこでFC内部をふたつの部屋に分け、それぞれに水素と酸素(大気)を入れ、特殊な樹脂などでできたイオン透過膜で互いの間を仕切る。この膜は水素ガスから生まれた水素イオンだけを通す。それが酸素側に移動して酸素イオンと化学反応を起こし、電力が生まれる。FCは空気発電機なのだ。
これら重い主要部品を床下に収めたため、1535mmの全高からは信じられないほど重心は低く、走行感覚は安定感の塊。フロントドライブだけに直進安定性も抜群だが、一般のFF車より前部の動力機構が軽く、FCなどがホイールベースの中間に位置するため鼻先だけが重くなりすぎず、コーナーでの走りも鋭い。EVならではの静けさでスラッと駆け抜けた後の路面には、唯一の排出物である少量の水だけが垂れている。