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映画「フォードvsフェラーリ」の主役GT40にまつわるエピソード

映画「フォードvsフェラーリ」で注目が集まっているフォードGT40。ル・マン制覇を目指したフォードが総力を上げて開発し、見事にその悲願を叶えた伝説のマシンだが、意外と知られていないことも多い。ここでは映画の内容を補足する意味も込めて、GT40にまつわるいくつかのエピソードを紹介しよう。

フォードの合理主義が生んだ1960sレーサーの最高傑作

なぜフォードはわずか3年でル・マン総合優勝という目標を達成できたのか?
それは自社開発にこだわるのではなく、豊富な資金力を背景に人材を集め、既存のチームごと買い取って参戦するという、フォードらしい合理主義で徹底した物量作戦を展開したからだ。

1964 FORD GT/1964年3月末に完成した1号車。エンジンはインディ用をディチューンにした4.2L V8 OHV。5月のニュルブルクリンク1000kmでデビュー。正式な車名はフォードGTである。

その最初の矛先がフェラーリだったわけだが、彼らとの交渉が決裂するとすぐに方向転換し、イギリスにレース専門の子会社を設立。わずか8カ月でスチール製のセンターモノコックのシンプルなシャシーに、350hpを発揮する4.2L V8をミッドシップマウントする“フォードGT”を作り上げてしまった。

1965 Ford GT40/ボディ形状やギアボックスを改良した4.7L V8仕様をベースにFAVで50台製造された市販モデル。GT40の名は40インチの車高にちなんだもの。写真のような公道仕様も作られた。

そしてマシン開発やレース運営を担当する子会社FAVのマネージャーには1959年のル・マンでアストン・マーティンを勝利へと導いた名将ジョン・ワイアを起用。ブルース・マクラーレン、リッチー・ギンサーといった一流F1ドライバーを擁し、1964年のル・マンに挑む。

1966 Ford MkII/FAVに代わり本社ディアボーンで開発。485hpを発揮する7L V8 OHV“427ユニット”を搭載し1965年のル・マンでデビュー。1966年のル・マンで念願の総合優勝を果たした。

ところが次々とトラブルに見舞われ惨敗を喫すると、フォードは早々にFAVに見切りをつけ、GTレースで活躍していたシェルビー・アメリカンにマシンの開発とワークス活動の運営を移管する。
開幕まで90日を切ったタイミングでマシンを受け取ったシェルビーだが、見事に大役を果たし1965年2月のデイトナで初優勝。それを受けフォード本社では7L“427”ユニットを搭載するマークIIの開発を進める一方、グループ4のホモロゲーションを取得するためにFAVで50台のカスタマー仕様の生産も開始する。

1966 Ford MkIII/1967年に販売された純公道仕様。リアに荷室を増設するためボディを延長し、フロントも4灯ヘッドライトにリデザイン。エンジンは306hpの4.7L V8で、7台のみが製造された。

このカスタマー仕様に付けられた車名が、車高が40インチであることに由来する“GT40”だ。これ以降、シリーズ全体がGT40の愛称で呼ばれるようになる。
1965年のル・マンに2台のマークII、4台のGT40を持ち込んだフォードだったが、全てトラブルでリタイア。しかしながらシェルビーらの地道な改良が身を結び、計13台で臨んだ1966年のル・マンでは見事1位から3位を独占する圧倒的な勝利を成し遂げた。

1967 Ford MkIV/Jカーをベースに空気抵抗の低減を狙ったロングノーズ&テールのボディを採用した最終進化形。1967年のセブリング12時間、ル・マン24時間に出場。両方で優勝を飾った。

そこで手綱を緩めることなく、フォードは全面的な改良を施したマークIVを開発。1967年のル・マン2連覇をもって目標を果たした彼らはワークス活動を休止する。
でも、ここで物語は終わらなかった。FAV解散後に自身のチームを設立したジョン・ワイアは、ガルフ石油のスポンサーの元で3台のGT40を製作し、1968年と1969年のル・マンを連覇。加えて1968年のマニファクチャラー選手権の王座も獲得しGT40は1960年代後半を代表するスポーツ・レーシングカーの地位を確立した。

1968 JW Ford GT40/JWオートモーティブがGT40をベースに開発したオリジナルマシン、ミラージュM1を再びGT40に改装したもの。1968年と1969年のル・マンを連覇する快挙を成し遂げた。

そしてその強さは市販車の開発にまで大きな影響を与えることとなる。その影響を受けた一人がジャンパオロ・ダラーラだ。
「ミウラのアイディアの元になったのはGT40です。当時一番強いスポーツレーサーでしたから」

主役GT40にまつわるエピソード

フォト=藤原功三/K.Fujiwara
フォードがGT40を開発するにあたり、数あるイギリスのレーシングカー・コンストラクターの中からローラをパートナーに選んだ最大の理由は、彼らが1963年1月のロンドン・レーシングカー・ショーで発表した進歩的なレーシングスポーツ、ローラMk6にあった。フォードはすぐさまMk6を2台購入。徹底して分解、調査したうえ、後にFAVのマネージャーになるジョン・ワイア監督の元で1963年のル・マンに挑戦するなど様々なデータを蓄積。さらにローラのエリック・ブロードレイ自身も設計陣に加わりツインチューブ・モノコック、ミッドシップ・エンジン、イタリア・コロッティ製ギアボックス、4輪ダブルウイッシュボーンなどMk6の設計思想がそのままGT40に引き継がれることとなった。またGT40の製造もイギリスの子会社FAV(フォード・アドヴァンスド・ヴィークルズ)で行なわれている。

フォト=ピエール・イヴ・リオン/Pierre-Yves Riom、藤原よしお/Y.Fujiwara
今でも「フォードvsフェラーリ」の興奮を生で味わえるのが、ル・マンのフルコースを舞台に2年に1度開催されるヒストリックカー・レース“ル・マン・クラシック”だ。今年の開催は7月3~5日を予定。伝統のル・マン式スタートも、ナイトセッションも味わえる。また9月にイギリスで行なわれる“グッドウッド・リバイバル”でも多数のGT40が参加するレースを開催。昨年レッドブルF1のエイドリアン・ニューウェイも参加していた。

フォト=ピエール・イヴ・リオン/Pierre-Yves Riom、藤原よしお/Y.Fujiwara

1966年8月17日、リバーサイド・レースウェイでケン・マイルズが事故死した際にドライブしていたのが、通称“Jカー”だ。事故の原因を含め未だ謎の多い存在だが、MkIIの後継として開発された実験車で、アルミハニカム製のモノコックとブレッドバン風のボディスタイルが特徴。テストの過程ではオートマチックも試されたという。しかしマシンバランスの悪さなど諸問題が解決せず計画は中止。その経験はMkIVに生かされることとなる。

ケン・マイルズは1918年生まれのイギリス人。16歳からメカニックとして働いた彼は第二次大戦従軍後1951年に妻子とともにアメリカに渡り自身のガレージを開業。MG TDを改造したオリジナルマシンで、北米SCCAシリーズで多くの勝利を挙げその名を知られるようになる。その頃にレーサー仲間として知り合ったキャロル・シェルビーに誘われ’62年にシェルビー・アメリカンにテスト兼ワークスドライバーとして参加。1965年にシェルビーがGT40のワークス活動を請け負うようになると、46歳のマイルズもドライバーとして参画。開幕戦デイトナ・コンチネンタル2000kmでGT40に初勝利をもたらすなど、その開発に大きく貢献した。映画では気性の激しい男として描かれているが、コース上のマナーは非常にジェントルだったというマイルズ。GT40でのレースは2年間で7レースしかないものの、総合優勝3回、2位2回、3位1回という素晴らしい結果を残している。

フォト=藤原よしお/Y.Fujiwara
1966年のル・マンで3台並んでゴール(それが後に物議を醸すのだが)し、念願の総合優勝を果たしたMkII。優勝したNo.2、B.マクラーレン/C.エイモン組のシャシーナンバーは#1046、2位となったNo.1、K.マイルズ/D.ハルム組は#1015、3位のNo.5、R.バックナム/D.ハッチャーソン組は#1016であった。翌1967年も3台はデイトナ24時間に参加。#1015、#1016はル・マンにも参戦しているが、リタイアに終わっている。その後、一般に売却された3台は、いずれも1966年当時の姿にレストアされ現存。2016年のル・マンでは優勝50周年を祝い3台が久々に集結した。ちなみに#1016は2018年のRMオークションに出品されたのだが、その時の落札価格はなんと979万5000ドル(約10億8700万円)! 初期のフォードGTからMkIVまで各型合わせて102台が作られたといわれるGT40だが、4億円以上というのが現在の相場だそうだ。

 

ルボラン2020年4月号より転載
藤原よしお

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