2020年7月2日に日本でも発売が開始された、新しい「プジョー208」。ライオンをモチーフにするエンブレムを持つプジョーは、「ネコ科」という印象があるが、新型ではそれに躍動感をプラスして、さらに魅力的な姿に生まれ変わった。注目はエンジンを持たないピュアEVの「e-208」をラインナップしたこと。しかも、「EVなので特別なモデルです」という扱いはせず、あくまでも「エンジン版」と並列で選ばれる存在にとして発売される。エンジンとEVをユーザーの使用状況に合わせて選んでください、というスタンスである。
新型208は、かなり力を入れた仕上がりになっている。それは、プジョーにとって車名に200番台を冠する車種は、社運を左右する重要なモデルだからだ。そこで今回の「ニューモデル情報通」では、プジョーの基幹車種の200番台を「201」から辿ってみたい。
プジョー式ネーミング方法のルーツ「201」と、斬新なデザインを誇った「202」
最古の自動車メーカーはどこかと聞かれたら、1885年にガソリンエンジンの自動車を生み出した「ダイムラー」と答えることは、間違っていない。しかし、世界で最初にクルマを少なからず「量産」をしたのは、プジョーであった。1891年のことである。プジョーの成り立ちを語るとこの記事すべてが埋まってしまうため、今回は割愛せざるを得ないのが惜しい。
プジョーといえば車名が3桁数字(一部4桁)で、十の位をゼロとして、百の位が大きくなるほど車格が上がるという命名方法で知られる。このルールを最初に用いたのが、1929年の「201」だ。201は1.1Lの水冷4気筒サイドバルブエンジンを積んだ小型大衆車で、ごく平凡な設計ながら優れた耐久性と燃費を誇り、クーペ・トルペード・ロードスター・フルゴネット(バン)などを含め、1937年までに14万台以上が生産された。
プジョーの3桁数字車名では、モデルチェンジごとに一の位が進む。1938年から生産を始めた「202」は、その名の通り201の後継にあたる小型車で、流線型のボディとヘッドライトがグリル内に収まっている独特のマスクは、1936年登場の兄貴分「302」「402」と共通のイメージを持っていた。202もバリエーションは多く、4ドアセダンのベルリーヌ、4ドアのまま屋根を開閉可能とした「デクヴラブル」、フルゴネットやトラックなどが存在。発売直後からベストセラーとなった202は、第二次世界大戦によるドイツ軍侵攻に伴う6年間の生産中止を挟んで10万台以上が作られ、プジョーをフランスで2番目に大きなメーカーに引き上げた。
戦後型初の新設計プジョー「203」
世界各国を疲弊させた長い戦争が終わり、自動車メーカーの多くは、ひとまず戦前モデルから生産を再開した。プジョーもまずは202を作ることに決め、1945年から1948年までに4万台以上を売り上げた。しかし旧態化は免れなかったため、1948年になって完全な戦後型プジョーの「203」を送り出した。
203は、同時期のアメリカ車によく似たモノコックボディや、リアサスにコイルを採用しており、いかにも戦前然だった202から見た目・技術の両面で大きな進歩を遂げていた。エンジンは1.3Lに増強されて、300mmほど伸ばされて4.3mに達した車体を引っ張った。それまでの200番台プジョー同様、203もボディバリエーションが多く、ベルリーヌ、デクヴラブル、3列シート・6座のワゴン「リムジン・ファミリアール」、2シーターカブリオレ、フルゴネット、トラックなどが用意された。1955年に実質的な後継車「403」が出るまでの7年間、プジョーはこの203だけを販売したが、403登場後も生産は続き、1960年になってようやく長いモデルライフを終えている。総生産台数は69万台近くに達した。
プジョー初のFFを採用した「204」
大型化した203の後継車が、さらにふた回り大きな400番台の403に発展してしまったため、1960年以降のプジョーからは200番台車種が消滅していたが、1965年に「204」として復活した。200番台車は大衆車としての命を受けていたために、403とその後継でさらに立派になった404では、いささか大きすぎたのである。そのため、204は正しいプジョー大衆車の車格とサイズを持って誕生している。
プジョーは200番台を復活させるにあたり、204に数々の新機軸を導入した。この頃、同じ1.2Lクラスの大衆車では、イギリスのADO16(オースチン1100など)がミニ(ADO15)譲りの横置きFFで成功していたこともあり、204もエンジンを横置き搭載のFFを初採用、さらにバルブ駆動に先進的なSOHCを用い、しかもオールアルミエンジンというのもプジョー初だった。
愛くるしいマスクと長いホイールベース、尻下がりのかわいらしいスタイルはピニンファリーナがデザインした傑作である。204にはブレーク(ステーションワゴン)、ハッチバックを持つ4座の2ドアクーペ、それをオープン化した2ドア2座のカブリオレがあったが、特に2ドア車ではピニンファリーナデザインの美しさが強調された。
なお1969年には、404との車格差を埋めるため、203の前後を延長して装備を増やした「304」が生まれているが、こちらについてはまた別の機会に紹介したい。204は1976年まで、304は1980年まで販売され、生産台数はそれぞれ約160万台と約118万台だった。
プジョーのイメージを大きく変えた「205」
1972年、プジョーは初の100番台車種「104」を発表した(時期に合わせて末尾数字を合わせるため、101〜103は欠番)。104は204に代わる新しい1Lクラスのボトムレンジ車で、204の生産が1976年頃に終わってからは、200番台はしばらく再び空白の時期を迎えることになった。
その頃、プジョーは旧クライスラー・ヨーロッパの「シムカ」を傘下にしたことで経営難に直面していた。そこでプジョーはそれを打開すべく、社運をかけた新型車の開発に着手。それが1983年登場の小型ハッチバック「205」である。久しぶりの200番台車種でもあった。
それまでのプジョーといえば、前衛的でエキセントリックさを押し出したシトロエン、国営ながらも斬新なアイデアを盛り込んだモデルをたくさん擁していたルノーと異なり、「同じ車種を長い時間生産しながら熟成する、同族経営の堅実なメーカー」という、どちらかといえば地味な印象が強かった。しかし205は、ピニンファリーナも一部関与したモダンでスタイリッシュなデザイン、軽快な走りでそのイメージを打破。世界的な大ヒット作に成長し、プジョーの危機を救った立役者となった。若々しくスポーティという現在のプジョーのイメージは、まさにこの205が築き上げたものなのだ。
中でも1984年に追加された「GTI」は、1.6LSOHCから105psを発生する高性能エンジンを搭載、オーバーフェンダーなどで外観を装い、205=スポーティという印象を決定づけることに成功。特に日本では、販売数のほとんどがGTIで占められるほどの人気を博し、プジョーの知名度も大きく向上した。205は数多くの改良を施されつつ、後継の206が生まれた1998年までカタログに残るロングセラーとなり、総生産台数は500万台を超えた。今なお世界中に熱狂的なファンに愛され続けている。
日本でも大ヒットを飛ばした「206」
205の後を継ぐ「206」は、1998年に発表。16年間も205のサクセサーが出てこなかったのは、205より下のレンジを狙った「106」(1988年)と、一回り大きな「306」(1993年)の登場も影響していた。プジョーとしては、段階的に205のグレードを絞って、106と306に販売を流していこうという思惑があった。しかし、106はAセグメント、306はCセグメントに相当するモデルなので、205=Bセグメントという車格の「丁度良さ」に惹かれていたユーザーが多かったのも、事実だった。
そんな経緯でようやく誕生した206だが、デザイン担当が蜜月の関係を築いてきたピニンファリーナではなく、自社デザインセンターに変わっていた。ピニンファリーナの引くクラシックな美しさは影を潜めたものの、思い切ったデザイン路線変更により、205とはまた違うフレッシュな印象を得ることに成功。猫の目のようなヘッドライトは、しばらくの間プジョーのアイデンティティとなったほどだ。スポーティなキャラクターが継承された206は、205以上のヒット作となり、2012年にフランス本国で生産を終えた時の生産台数は、なんと835万台以上にのぼった。日本でも発売は好調で、1999年の導入以来わずか3年で、累計販売台数3万台を達成している。
車体が大きくなった「207」、画期的なi-cockpitを初搭載した「初代208」
2006年に登場した「207」は、206の正常進化版といえるフルモデルチェンジを受けていた。207では、206の欠点だったラゲッジルームが拡大され、インテリアの質感も大幅に向上。遮音などにも気が配られ、プレミアムコンパクトという雰囲気も獲得した。外観も206のテイストのままエッジを立てたようなデザインになっており、ヘッドライトはさらにつり目に、「口」も大きくなっていた。大型化によって一気に4mを超え、サイズ・価格ともに206のような「気軽感」が薄れていたこともあり、206ほどには売れなかった。とはいえ2012年までに250万台以上が発売され、同時期のプジョーをよく支えた。現在でもデザインが古くなっていないのは、プジョーデザインの手腕の高さを示している。
207の本国生産は2012年に終了し、それに伴い「208」がバトンを受け取った。208は206―207と続いた雰囲気から脱却、従来のBセグメントプジョーの面影を残しつつ、抑揚のある面処理、短くなったフロントオーバーハングによって新しい200番台プジョーの姿を創造した。外観の変化も大きいが、さらに驚かされたのが「i-cockpit」と呼ばれるダッシュボードだった。従来のクルマではステアリングホイールの内側からメーターパネルを見ることが当たり前だったが、208ではステアリングを小径として、なんとステアリングの外側から、遠く高い位置に移設したメーターパネルを視認するという設計。メーターがドライバーから離れたことで、視線が常に遠くに置かれるというメリットがある。
そして2019年、「新型208」が本国でリリースされた。これまでの法則なら新型は「209」になるのでは? と思うかもしれないが、プジョーでは2012年から命名方法を変えており、末尾を基本的に「8」に固定している(中国市場などの新興国向けは「1」)。そのため、今度の208は「2代目208」ということになる。
新型208は、プジョーの今後を占うモデルとして注目される一台だ、これまでの200番台プジョーと同じく、成功作となるに違いない。今後のモデルライフに期待したい。
この記事を書いた人
1971年生まれ。東京都在住。小さい頃からカーデザイナーに憧れ、文系大学を卒業するもカーデザイン専門学校に再入学。自動車メーカー系レース部門の会社でカーデザイナー/モデラーとして勤務。その後数社でデザイナー/ディレクターとして働き、独立してイラストレーター/ライターとなった。現在自動車雑誌、男性誌などで多数連載を持つ。イラストは基本的にアナログで、デザイナー時代に愛用したコピックマーカーを用いる。自動車全般に膨大な知識を持つが、中でも大衆車、実用車、商用車を好み、フランス車には特に詳しい。