知られざるクルマ

【知られざるクルマ】Vol.21 海外で活躍した軽自動車(2)ダイハツの商用車編……ピアッジォ・ポーター、ダイハツ・ハイマックス、天津・華利、キア・タウナーほか

誰もが知る有名なメーカーが出していたのに、日本では知られていないクルマを紹介する連載、【知られざるクルマ】。前回は、海外で活躍した(する)軽自動車シリーズの第一弾【スズキの商用車編】をお送りした。

【知られざるクルマ】Vol.20 海外で活躍した軽自動車(1)スズキの商用車編……ベドフォード・ラスカル、マルチ・スズキ・オムニ、デーウ・ダマスほか

コンパクトで機能性を考え抜かれた軽商用車は、古くから多くの国で生産され、活躍を続けている。スズキの軽トラックとバンが「こんなにいろいろな国で!?」と思うほどに、現地の生活に溶け込んでいることは、第一弾でお送りした通りである。そこで第二弾の【ダイハツの商用車編】では、海外で生産される「ハイゼット」を中心に、国ごとの事例を見ていきたい。

【イタリア】名スクーター「ベスパ」の会社が生産! 「ピアッジオ・ポーター」

「ピアッジオ・ポーター」は、イタリアで愛されるハイゼット。デビュー時はハイゼットそのままの趣だったポーターも、1998年にフェイスリフトを行い独自のマスクを得た。下端が一段低いクオーターウィンドゥに、7代目ハイゼットの面影が残る。ピアッジオのポンテデーラ工場では、ポーター以外にも本家ダイハツ・ハイゼットの生産も行っていたが、ダイハツとの関係が解消した2002年以降は、ポーターのみを出荷した。ポーターの形式は、ダイハツ流に「S85型」が与えられていた。

軽商用車の海外進出といえばアジア圏が思い浮かぶが、小型車作りに長けている欧州においては、軽自動車の絶対的な展開数は多くない。しかし、中には成功作といえる存在がある。それが、ダイハツとイタリアの「ピアッジオ」の提携によって生まれた「ピアッジオ・ポーター(Piaggio Porter)」である。

ピアッジオとは、世界第4位の巨大バイクメーカー。あの有名なスクーター「ベスパ」を作っている会社だ。傘下には7つのブランドがあり、レースの世界でも活躍する「アプリリア」、伝統のVツインエンジンが魅力的な「モト・グッツィ」をも擁する。バイク以外にも3輪トラック「アペ(Ape)」を生産するが、本格的な4輪のコマーシャル・ビークルは、このポーターが担当している。

リアビューでは、ナンバープレートの取り付け位置が7代目ハイゼットバン(2代目アトレー)と異なることが目を引く。バックフォグの設置も欧州車らしい。

ポーターの登場は1992年。元になったのは、日本で1986年に登場した7代目(S80系)である。日本では現在、ハイゼットは10代目まで進んでいるが、ポーターはエンジンの載せ替えやフロントの大整形など、幾多の改良を繰り返しながら2021年まで販売された。最終的に積まれたエンジンは、ダイハツの1.3Lガソリンと、ロンバルディーニ製1.4Lディーゼルだった。

2011年にはフェイスリフトが行われ、初期の雰囲気からガラリと変わった。ポーターではバンとトラックの両方を展開し、トラックではダンプ仕様 (Tipper)や、1.1tまで積載できる「MAXXI」も選択できた。

大掛かりなマイナーチェンジにより、内装も一新。いかにもイタリア車的な明るいテイストでまとめられていた。

こちらも7代目ハイゼットを活用したミニトラックで、車名は「クアルゴ(Quargo)」。18ps(15kW)を発生するロンバルディーニ製2気筒686ccディーゼルエンジンを積んだ。出力15kW以下・貨物最大積載量550kg以下なら16歳から乗れる「クワドリシクル」というカテゴリーに属したが、排ガス規制のEURO4をクリアできず、2016年に生産を終えている。

2021年以降、ピアッジオが作る4輪コマーシャル・ビークルは、この「ポーターNP6トラック」に置き換わった。技術的なダイハツとの関連性は、もう残っていないようだ。2021年6月現在ではバンは設定されていない様子。しかし同社のHPでは、NP6トラックの姿しか見られない。

最近では種類を減らしているが、以前は、軽自動車に1L以上のエンジンを積み、車体の拡幅・延長、もしくはバンパーなどを伸ばして小型車登録にしたモデルが数多く存在した。ダイハツでは、9代目ハイゼットカーゴおよび4代目アトレーに1.3Lを載せ、車体後部を伸ばした「ハイゼットグランカーゴ (商用)」「アトレー7(乗用)」を販売していた。英国ほか右ハンドル市場に輸出されたモデルは、「エクストール(Extol)」と称していた。販売期間は、2003年から2006年までと短かった。

【インドネシア】多種多様なハイゼットを生産

インドネシアでは、1981年デビューの6代目・S65系ハイゼット(眉毛ハイゼット)の現地生産を、1982年からスタート。1000ccエンジンを搭載していたインドネシア仕様では、日本のハイゼットに準ずる「S65型」のほか、「S70型」と呼ばれるオリジナルモデルも作られていた。カクカクした独特の車体は現地の設計によるもので、「アンコット」と呼ばれる乗合タクシーで多用された。

パッと見た目には「眉毛ハイゼット」がベースとはまったく思えない、インドネシアオリジナルのハイゼット「S70型」。 現地メーカーでの改造・架装も多かった。通常のハイゼット「S65型」のリアを伸ばしたモデルも、別に存在していたようだ。
(写真:Sabung.hamster aka Everyone Sinks Starco aka BxHxTxCx, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons)(敬称略)

このほかにもインドネシアでは、ハイゼットをベースにした1BOX車があった。それが「ゼブラ(Zebra)」で、1986年にS80系ハイゼットの車体を拡大・1.3Lエンジンを積んでデビューした。型式は「S88/S89型」。1995年には8代目ハイゼット(S100系)を下敷きにした2代目にフルモデルチェンジしたが、外観は完全オリジナルのなめらかなデザインを採用した。形式は「S90系」が付与されていた。2008年頃まで生産され、「グランマックス」(後述)に後を引き継いだ。

10代目ハイゼットをベースに、「アストラ・ダイハツ」が独自に設計を行なった「ゼブラ」。外観からは、ハイゼットの印象は完全に消えている。なかなかのグッドデザインだ。エンジンは1.3〜1.6L直4。

「ダイハツ・ゼブラ」は、マレーシアの「プロドゥア」でも「ルサ(Rusa)」と名付けられて生産。マレーシア以外では、中国の「五菱汽車」でも作られていた。

インドネシアでダイハツ車を生産する「アストラ・ダイハツ」は、S60系ハイゼットの後も引き続き8代目のS80系を作っていた。それを置き換えるため、2008年になって1.5Lクラスの「グランマックス」(S400系)が登場。日本にも「トヨタ・ライトエース/タウンエース」バン・トラックとして輸入が行われてきたが、2020年以降はタウンエースのみが販売される。

その一方でアストラ・ダイハツは、10代目(現行型・S500系)ハイゼット・トラックに1Lエンジンを積み、「ハイマックス(Hi-max)」として2016年から生産を開始した。しかしハイマックスは、2020年にわずか4年でカタログ落ちしてしまった。車体が小さかったため販売が伸びなかったようで、自社内競合車でもあったグランマックスのピックアップが実質的な後継モデルとなった。形式は「S501型」だった。

現行型ハイゼット・トラックのインドネシア版、「ハイマックス」。荷台は後部しか開かない一方開きだ。たしかによく見ると、横のアオリには留め具が無い。ドアミラーの形状も異なっている。

日本でもよく見かける、現行型の「トヨタ・ライトエース/タウンエース」バン・トラックは、実はインドネシアのアストラ・ダイハツが作る「グランマックス」の日本仕様。2020年からは本家・日本のダイハツでも、現地名と同じ「グランマックス」の名を冠して販売を開始している。

【中国】国民車的な存在!? タクシーとして親しまれた「天津・華利TJ110」

スズキ・キャリイとその派生車種、さらには祖をキャリイとする中国開発・生産車が数知れないほど存在するのは、前回お届したとおり。ライバルであるハイゼットも同様で、中国で作られ、独自の改良・展開が行われた。始まりは1980年代。ダイハツと技術提携を結んだ「天津汽車(ティエンジン・チィーチゥー)」は、1984年から6代目・S65系「眉毛ハイゼット」の生産を始めたことによる。当初は日本製部品が多かったが、次第に現地生産比率を上げていった。

かつては中国の大都市にあふれていた、「面的」こと1BOXタクシー。近年、中国の自動車文化の歴史に名を刻むクルマとして注目されつつあり、レストアも行われるようになったという。写真は、面的を再現したレプリカ。
(写真: KK https://twitter.com/kk190e)(敬称略)

天津ダイハツ(大発)のハイゼット「華利(フゥアリー)」には、バン・トラック両方を設定。特にバンモデルの「TJ110」は、1980年代後半以降になってタクシー用に供給が始まり、1990年代を通じて「面的(ミェンディー)」と呼ばれ親しまれた。面的とは「パン=面包(ミェンパオ)」から来た言葉で、1BOX型タクシーを示す。タクシーがのカラーが黄色く塗られていたことから、「黄虫」とも呼ばれていたという。乗車賃も安く、自転車などの大きな荷物も積めるため、各都市の市民に愛されていたが、排出ガス規制によって、1990年代末から大都市で、面的の置き換えがスタート。天津市でも2005年頃には街からその姿をすべて消してしまった。

フロントに輝く「天津大発」のロゴ。中国では「大発」と呼ばれることが多かったという。華利はその後、中国独自のマスクやダブルキャブトラックなどを追加。車種を拡大したが、2002年前後に生産を終えている。
(写真: KK https://twitter.com/kk190e)(敬称略)

【韓国】韓国から世界で輸出された「アジア(キア)・タウナー」

キヤリイの韓国版「デーウ・ダマス」は、本家に負けず劣らずの国際戦略車だったが、7代目ハイゼットを韓国で1990年代に生産した「アジア・タウナー(Asia Towner)」も、韓国内のみならず南米などにも輸出・販売が行われたほか、1994年から1998年まではブラジルでも作られた。アジア(亜細亜)はキア(起亜)子会社の商用車メーカーだったが、1999年にヒュンダイ(現代)がキアを買収した際、アジアもキアに含まれてブランドを終了している。

タウナーは、基本的に7代目のS80系ハイゼット(2代目アトレー)をベースにしていたが、エンジンは800cc直3で、ヘッドライトなど各部をタウナーのオリジナルデザインにしていた。

【アメリカ】意外や意外! 北米でも売っていた、ダイハツの軽商用車

ラストは、最も軽自動車と縁が遠そうな、アメリカ市場でのダイハツ軽商用車を見てみたい。昨今では日本の軽トラックがブームになっているアメリカだが、正規の製品としては、さすがに彼の地では小さすぎるためか、過去販売された車種はごくわずかだった。

まず一つ目は、歴史をずっと遡って、オート三輪「ミゼット」まで遡ろう。1957年デビューのミゼット(DK型)は、バーハンドルで一人乗り・ヘッドライトも一つ、キャビン中央のエンジンカバーにまたがって乗るという、バイクに近い設計だった。

だが1959年になって、丸ハンドル・2人乗り・二灯式ヘッドライト・ドア付き密閉キャビンを持つ北米向け仕様「MPA型」を発表。「トリモービル(Trimobil)」と名付けて全米各地の自動車ショーで展示され、好評を得たという。そして同年、これを日本向けに改めた「MP2型」を日本市場に投入。その後「MP3型」「MP4型」を経て、決定版「MP5型」へと発展し、オート三輪の王道車のひとつとして、不動の人気を獲得したのはご承知のとおりである。

アメリカでのミゼットは、「トリモービル」と称した。配送用以外にも、なんと主婦の買い物用「サードカー」という需要を想定していたとのこと。

二つ目は、アメリカ向けハイゼットだ。1960年に発売後、2020年で60周年を迎えたハイゼットは、軽自動車における最も歴史が長いクルマだ。しかし、アメリカにはただ一代、しかも数年のみ輸出されたにとどまる。

アメリカの地を正規販売車として踏んだハイゼットは、7代目・S80系である。ただし厳密には、公道を走ることができない「農機」「ゴルフカート」などのクローズド・ユースの乗り物扱いだった。そのため、日本の果樹園で見られるような屋根とドアがない仕様や、ゴルフ場で用いられる、多人数が乗れてドアがないカート仕様もカタログに掲載していたほどだ。しかし、1992年にダイハツの北米市場撤退により、アメリカ向けハイゼットの輸出も終了してしまった。

ふつうのハイゼットに見えて、フロントとリアのフェンダーが拡幅されているアメリカ向けハイゼット。左ハンドルなのにも注目だ。写真のモデルは、日本ではジャンボと呼ばれた、キャブの大きな仕様。エンジンは550ccのままだった。
(写真:IFCAR, Public domain, via Wikimedia Commons)(敬称略)

我々には身近な存在であるハイゼット、そしてハイゼットの系譜を継ぐモデルが、思わぬ国で働いており、しかも地元に愛されていることを知ると、やはり嬉しいものだ。そこで懲りずに次の記事でも、「海外で活躍した軽自動車」シリーズの第三弾として「ホンダ・三菱編」をお送りしてしまおうと思う(汗)。

次回もどうぞお楽しみに。

この記事を書いた人

遠藤イヅル

1971年生まれ。東京都在住。小さい頃からカーデザイナーに憧れ、文系大学を卒業するもカーデザイン専門学校に再入学。自動車メーカー系レース部門の会社でカーデザイナー/モデラーとして勤務。その後数社でデザイナー/ディレクターとして働き、独立してイラストレーター/ライターとなった。現在自動車雑誌、男性誌などで多数連載を持つ。イラストは基本的にアナログで、デザイナー時代に愛用したコピックマーカーを用いる。自動車全般に膨大な知識を持つが、中でも大衆車、実用車、商用車を好み、フランス車には特に詳しい。

遠藤イヅル

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