町にF1が帰ってきた!
イタリアのイモラ・サーキットで、自動車のフォーミュラワン(F1)レースが2025年シーズンまで開催されることが決定した。2022年3月7日、イタリア自動車クラブ(ACI)と、F1をオーガナイズしているリバティメディア社との間で合意が成立した。これにより同地では2020年のF1再開以来、少なくとも6年は連続開催されることになった。
ACIのアンジェロ・スティッキ・ダミアーニ会長は、「政府、マリオ・ドラーギ首相、外務省、財務省、インフラストラクチャー省、そしてエミリア・ロマーニャ州の皆様に感謝したい」と声明を発表した。
そこで今回は、このイモラ・サーキットについてお話をしよう。
同サーキットの正式名称は「アウトードロモ・インテルナツィオーナーレ・エンツォ・エ・ディーノ・フェラーリ(エンツォ&ディーノ・フェラーリ国際サーキット)」という。北東部エミリア・ロマーニャ州イモラにある。経営しているのは「フォーミュラ・イモラ」という株式会社で、同社は「コン・アミ」が100%出資する形になっている。コン・アミはイモラと周辺自治体による共同事業体だ。ゴミ収集や水道といったインフラ事業の会社を経営する傍らで、サーキットを経営している。
歴史をひもとけば施設は1950年に起工、1952年に完成している。F1が最初に開催されたのは1963年で、ジム・クラークが1位となった(非公式戦)。年間カレンダーに正式に組み込まれたのは1980年からである。ただし、イタリアではモンツァでも催されるため、翌81年からはFIA(国際自動車連盟)による1国1サーキットの原則と整合性をもたせるべく、イモラの100km南東にある小さな独立共和国の名を借りて、「サンマリノ・グランプリ」として以後も開催された。
盛り上がり、そして落胆
筆者の長年の知人ブルーノ・ブルーザ氏は、1943年生まれの生粋のイモレーゼである。少し前までロマーニャ古典4輪2輪クラブ(CRAME)の会長を務めていた。23歳のときクラブを設立。「当初は勤務していた銀行のガリ版印刷機でイベント告知を作っては、配って回ったものです」と思い出を語る、地元自動車界の名士である。そのブルーザ氏が仲間たちと1977年に開始したのが、部品用品のスワップミートだ。サーキットの、それも5km近い全周にプロ・アマチュア双方の出展者をぐるりと配置する、イタリアでもきわめて特色あるイベントである。「F1サーキットを自分で1周歩けることも、参加者に好評を得た理由です」。
実際筆者も訪れるたび、スターティング・グリッドのマーキングや、何のレースやテスト走行で生じたものかは不明だがタイヤの破片を見つけては楽しんでいたものである。一角にはイモラ観光協会がフォーミュラカーをラベルに描いた地ワインの屋台を出して盛り上がっていた。F1と無関係の非公式グッズではあったものの、逆に地元の人々の熱意が伝わってきた。
ところがF1はといえば、FIAが前述の1国1開催制度を厳格化したため、2006年を最後にイモラでの開催は途絶えてしまった。前後するが当時は中国、バーレン(いずれも2004年)、トルコ(2005年)、そしてシンガポール(2008年)と、新しい定期開催国が続々加えられていた時期であった。興行の観点からF1を捉えた場合、イモラがキャンセルされたのは、ある意味当然の成り行きだったといえる。
筆者はその後もほぼ毎年、ブルーザ氏のクラブが主催するイベントに顔を出したが、F1が消えてしまったときの市民の落ち込みようは激しかった。さらに2007年には、当時のイモラ・サーキット運営会社が倒産してしまう。
心配は残るものの……
彼らの町にF1が帰ってきたのは、2020年のことだった。新型コロナウィルス感染症対策を背景にFIAは世界各地でのレースを中止した代わり、身近な欧州での開催でそれを補完したのだ。イモラは州名をとって「エミリア・ロマーニャ・グランプリ」として復活した。いずれも無観客であったものの、2020年に続き2021年もイモラで開かれた。
今回の2025年までの開催決定は、イタリアでスポーツ紙だけでなく一般紙やテレビでも大きく伝えられた。翌日の3月8日には、地元イモラのマルコ・パニエーリ市長が市報で「2025年までF1開催が確定したことは、きわめて微妙な時期とはいえ、非常に重要な結果である。素晴らしいチームワークの成果であり、全領域に大きな経済効果をもたらすだろう」と喜びを述べた。そして「これまでの共同作業が報われる、再出発の意味を込めた重要な加速である」と結んでいる。
ただし、前述のフォーミュラ・イモラ社の経営は、けっして順風満帆とはいえない。2021年6月の地元メディアによると、2020年には約35万ユーロ(約4600万円)の赤字を計上。累積赤字も200万ユーロ(約2億6千万円)にのぼる。イタリアの複数のメディアは、リバティメディア社に支払われる開催費は年間2500万ドル(約29億円)と報じた。今回のF1継続に関しても、資金調達に苦心がともなうことは想像に難くない。いっぽうで面白いのはフォーミュラ・イモラ社の9名の役員報酬である。年間3000〜6000ユーロ(40〜80万円)と、法外に安い。これは会長のジャンカルロ・ミナルディは実業家、以下の役員もコンアミ社の役員と兼任が大半であることが背景にある。
ブルーザ氏に話を戻せば、彼もF1復帰を歓迎しながら、イモラ・サーキットの魅力をこう語った。「おとぎ話のように魅力的で、骨が折れ、競争心をかきたてられるとともに、素晴らしいストーリーをもったコースです」
気の短い筆者だったら「一度見放しておいて、何言ってんでぃ」とFIAに怒りたいところだが、イモラの人々は寛大とみた。ちなみに、2年にわたり中止されていたスワップミートも、2022年はブルーザ氏の後進たちによって2022年は9月に再開される。
筆者がイモラで好きなのは「住宅との近さ」である。「それなら、モナコやシンガポールもあるではないか」というなかれ。あちらは高級レジデンスであり、そもそも市街地を期間中だけサーキットに変えたものである。
いっぽうでイモラは、人口7万人の町だ。同様にサーキットを擁する鈴鹿市が20万人であることを考えると、いかに小ぢんまりとしているかがおわかりだろう。周辺の家は、洗濯物が外に吊るしてあるような一般住宅だ。レースに関心ないお年寄りが「今週末もかい」などと呟いていてもおかしくない佇まいなのである。
例のイベントでコースを徒歩でめぐるたび、疾走するパイロットやライダーは、「浅草花やしき」でレトロ風情溢れる建物すれすれを走るローラーコースターの感覚を味わっているに違いない、と勝手な想像をふくらませる筆者である。
文 大矢アキオAkio Lorenzo OYA
この記事を書いた人
イタリア文化コメンテーター。音大でヴァイオリンを学び、大学院で芸術学を修める。1996年からシエナ在住。語学テキストやデザイン誌等に執筆活動を展開。NHK「ラジオ深夜便」の現地リポーターも今日まで21年にわたり務めている。著書・訳書多数。近著は『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)。