マツダの初代RX-7(SA22C型)をベースに開発されたラリーカー、マツダ「RX-7 Evo グループBワークス」。フロントに並んだ補助灯と、巨大なリアウイングがなんとも圧倒的だが、ここで紹介するのは今から40年前の1982~1986年に開催されたWRC(世界ラリー選手権)のグループBに数年間出場していたRX-7を1/24で再現したものである。当時「グループB」は、市販車として公認された車両(継続する12カ月間に200台以上を生産する乗用車)には、比較的自由な改造を施すことが可能で、当時マツダ・ラリー・チーム・ヨーロッパは、RX-7をベースにグループBラリーカーを20台製作し参戦する体制をとっていった。
ちなみに、マツダはそれまでグループA仕様のファミリア(マツダ323)でワークス活動をスタートさせており、グループBは新たな挑戦といえるものであった。
FRで果敢に挑戦もグループB自体が中止に
「RX-7 Evo グループBワークス」1984年のデビュー年はアクロポリスラリーで総合9位、翌1985年の同ラリーでは総合3位と6位となった。しかし、グループBカーによるWRCは高出力エンジン化に拍車がかかり、レースカーが観客に突っ込むなど惨事が重なり、安全上の理由から1986年に突然中止。初代RX-7のグループBワークスカーは結局7台が製造されただけとなった。ちなみに、そのうちの一台は2017年9月にオークショニアとして有名なサザビーズで競売にかけられたことで話題になったが、プラモデルビルダーのKen-1氏はモデルカーズ のマツダ創業100周年特集号のために同車を制作した。次からはさっそくその制作工程を氏に解説いただこう。
オバフェンとダクトが改造ポイント
ベースとなるSA22C型RX-7ですが、当時の話題性・人気もあって、1/24~25のキットは、タミヤ/ニチモ/レベル/LS(現在はマイクロエースから。アリイの当時キットもあり)/バンダイなど、レース仕様ではフジミ/イマイ(現在はアオシマから)などと、キットは非常に豊富。1/28や1/20も含めるとかなりの数があるのですが、どれも今は入手難だったりします。今回はフジミ製キットをベースとしましたが、レース仕様のオーバーフェンダーが一体化されていることで見落としがちなものの、実は一番実車のイメージに近いと思われるのが、このフジミ製だったりします(当時はノーマルのキットもリリースしていた)。ノーマル戻しの際には邪魔なオバフェンも、今回のブリフェン再現にはガイドにすることもできます。とはいえこのフジミキットも再販の谷間で入手が難しく、今回は「キャラde carーるシリーズのけんぷファー仕様」を確保。作例はオークション出品された車両の再現を軸にしています。改造ポイントは前後オバフェンとフロント/ボンネット/リアスポイラー中央に入るダクト、そしていかにもラリーカーと思わせるライトポッド、そして内装パーツの作り起こしに、足回りのリファインといったところ。
リトラ部分はストラトスより流用!
ボディ改修自体はSSPを主体に作業しました。この素材は削りやすく形が出しやすいので、スピーディーな工作が可能なのですが、少しのしなりやねじれで割れが発生しやすく、今回のように大きく盛るような場合は一考の余地があります。案の定、仕上げ段階で割れが多発してしまいました。ライトポッドと両側リトラ部の固定ライトは、ハセガワ製ストラトスより流用。時間的なことも考慮しての選択でしたが、固定ライトはキットパーツをベースにした方が良いかもしれません。ホイールは青島文化教材社様のご協力でBEEMAX製240RSのパーツを流用することができました。お礼を申し上げます。タイヤは、担当氏が気を利かして用意したマイクロエース版RX-7に付属のものを合わせています。ノーマルにしてはゴツゴツしたタイヤが、今回の場合逆にフィットしてくれました。ボディに入っているミシュランとは違うロゴがモールドされているのが玉に瑕。そこはご愛嬌。その他のパーツもここから流用でき、大変助かりました。(Ken-1)