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かつて存在したマツダのサブブランド『M2』とはなんだったのか――? ユーザーの「生の声」を製品に反映する、時代を先取りした”第2のマツダ”の物語

1990年代前半、マツダのサブブランドとして輝きを放った「M2」。そこではクルマの作り手・使い手の垣根を超えた夢のようなコミュニケーションを通じ、いくつもの名車が生まれていった。

1990年代に輝いた“第2のマツダ”の物語

1989年に誕生の、日本のスポーツカー史にひとつの大きな文化を生み出したロードスター。今回、ロードスターの足跡の中で、私たちに豊かな記憶を残してくれたあるブランドについてあらためて向き合いたいと思う。マツダ直系の生い立ちのもと1991年12月から1995年にかけ輝いた「M2」である。

マツダは世田谷区の環八通りに拠点となる「M2ビル」を建設。そこにはM2車両の開発を手がけるマツダの技術者が常駐し、そこを訪れるユーザーと開発陣が「直接」顔を合わせてコミュニケーションを交わす光景が日常だった。一般ユーザーに向けた開発中車両の展示や担当エンジニアによる新製品の発表会・説明会なども実施されたのである。

【写真38枚】ユーザーの「生の声」を製品に反映する、時代を先取りした”第2のマツダ”「M2」の詳細を写真で見る

景気の陰りと経営トップの判断もありM2の活動期間は約5年ほどで終焉を迎えたが、数々の魅力的な企画が手がけられた。実際に商品化された車両は、こうした1001 や1002、1028などM2のアプローチを静かに物語る”証”として、中古車市場では今も高価なプライスタグが掲げられている。

今回、当時マツダ社員としてこのM2プロジェクトを立ち上げ、運営の最前線で汗を流された水落正典さんへのインタビュー取材が叶った。

水落正典氏
1986 年、マツダ入社。M2にはプロジェクト発足当初から企画推進のリーダーとしてプロジェクトを率いる。M2 では広報・イベント・企画などを担い作り手とユーザーとの対等な関係作りを実現。

TEXT:日岐まほろ PHOTO:ティーポ編集部 ティーポ366号より転載
Tipo編集部

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