遠藤イヅルが自身のイラストともに1980年代以降の趣味車、いわゆる”ヤングタイマー”なクルマを振り返るという『ボクらのヤングタイマー列伝』です。今回はイタリア車、ならばランボルギーニと連想して一発ツモ! で思いついた編集担当。この連載では役満級の大物(麻雀知らない人すみません)、ジャルパでございますヨ!
ボクらのヤングタイマー列伝第35回『Kカー』の記事はコチラから
まわりが”カウンタック対BBの最高時速対決!”を話題にしていたあの時代、イスレロ、エスパーダ、ウラッコ、ハラマなどに興味をそそられました!
スーパーカー。ああ、何という甘美な響きでしょう。日頃実用車や商用車を追いかけている筆者もスーパーカーブーム末期を体験していますので、あの時代の熱狂を覚えています。でも天邪鬼だったのです、ボク……って今もそうじゃないかという声がたくさん聞こえてきますが(笑)、まわりの友人が”カウンタック対BBの最高時速対決!”などを話題にしていたあの時代、好きなフェラーリはデイトナでもBBでもディーノでもなく365GT4 2+2や250GT SWBだったほど。しかもこのコーナーで以前書いたように、2+ 2スーパーカーが好きだったこともあり、ランボルギーニならイスレロ、エスパーダ、ウラッコにハラマという、およそみんなあまり興味を示さないモデルに興味をそそられたのです。そんな2+2モデルの『ウラッコ』は、1970年にランボルギーニ初のV8を積んで登場。ガンディーニ時代のベルトーネ・デザインはパッケージングにも優れ、そこそこの+2スペースを確保していました。ウラッコは1980年までに約800台が作られています。
そして1976年、ランボルギーニはV8のオープン(タルガボディ)2シーターモデルを追加します。それが『シルエット』でした。ワイドなオーバーフェンダー、深いリムのホイールなどが目を引きますが、よーく見るとシルエットは”ウラッコのシルエットをしている”のです。そう、ご存知の方も多いようにシルエットはウラッコをベースにしていました。当時、子ども心に”せっかくの+2スペースを潰さなくても”と思いましたっけ(涙)。ただ、ガンディーニが自ら手がけたその変わりっぷりはウラッコの出自を見事に消し去っていて、見事のひと言というより他にありません。
このシルエットはさらに1981年にマイナーチェンジを行って、『ジャルパ』へと進化を遂げるのです。……ようやく今回のお題までたどり着きました。外観はシルエットを踏襲し、バンパーなどをモダナイズ。OZ製の16インチディッシュホイールが妙にカッコいいです。インテリアも大きく変更されており、1980年代のモデルとして十分通用するデザインになっていました。設計はマセラティ出身のエンジニア、ジュリオ・アルフィエーリ。1978年に倒産したランボルギーニを復活させるために招き入れられた彼は、シルエットのV8エンジンを3.5リッターまで拡大するなど、様々な改良を施しました。
その結果、3年間でわずか50数台しか作られなかったシルエットに対してジャルパは、1989年までに約400台(!)も生産されたのです。こうして見ると、ジャルパはランボルギーニ再建の隠れた功労者だったのかもしれません。とはいえジャルパは地味でマイナーなことに変わりはなく、天邪鬼な筆者好みの1台なのでした(笑)。
この記事を書いた人
1971年生まれ。東京都在住。小さい頃からカーデザイナーに憧れ、文系大学を卒業するもカーデザイン専門学校に再入学。自動車メーカー系レース部門の会社でカーデザイナー/モデラーとして勤務。その後数社でデザイナー/ディレクターとして働き、独立してイラストレーター/ライターとなった。現在自動車雑誌、男性誌などで多数連載を持つ。イラストは基本的にアナログで、デザイナー時代に愛用したコピックマーカーを用いる。自動車全般に膨大な知識を持つが、中でも大衆車、実用車、商用車を好み、フランス車には特に詳しい。