ポルシェ

「ポルシェは私にとって常に大きな意味を持つ」と語る自動車写真界の巨匠は、ポルシェ11台持ちの情熱的なレーサー!?

ドイツのレーオンベルクにある彼のスタジオはデジタル化に伴って多くの写真館が姿を消す中、自動車業界のキャットウォークとも言える存在。

ルネ・シュタウトを知る人は驚くかもしれないが、御年72歳のこの有名な写真家は、もはや24時間365日自分の仕事のために生きているわけではない。彼は伝説的なシュタウト・スタジオの手綱を、息子のパスカルとパトリックに譲っている。これは引退を意味するのだろうか? その逆で、自由を意味するのだ。シュタウトは引退したとは決して言えない。

ドイツ南西部、シュトゥットガルトの西約16kmの町レーオンベルクにある彼のフォトスタジオは、巨大な靴箱のようなもので、実際には彼が過ごす時間はほとんどない。しかし、この箱の中で生活することが、かつての彼の生業とも言えた。シュタウトはおそらく毎日、あるいは少なくとも人前で過ごす毎日と同じように、黒い服を着ている。彼は自分の写真スタイルをブランド化しただけでなく、そのスタイルや外見、彼自身がブランドなのだ。黒いズボンに黒いジャケット、下は真っ白なシャツだ。

彼の人生に彩りを与えてくれるのは、”モノ”だ。今日、1978年製「ポルシェ・935」が、このマエストロの背景となっている。シュタウト自身の発明品によって、間接的だが最適に照らされている。空はマジックフラッシュで代用。オレンジ色のレーサーの上に、ローリー車1台分の大きさのライトボックスが吊り下げられている。そのクルマはル・マンでクラス優勝した個体であり、写真家はあらゆるクラスのマスターである。

【写真10枚】メルセデス、ポルシェ、往時最新のクルマたちを撮ってきたシュタウト 

当時最も影響力のあった写真家の一人。
往年のシュタウトは、当時最も影響力のあった写真家の一人であり、現在もそうであることは間違いない。彼のスタジオに車を置いたのは、メルセデス・ベンツが最初だった。そして1983年、ポルシェから電話がかかってきた。シュタウトの仕事は、新型スーパースポーツカー「ポルシェ・959」の発売キャンペーンを撮影することだった。

彼は、ポルシェのエポックとなる瞬間を演出した。彼の写真を使用した広告は、1987年に年間最優秀キャンペーン賞を受賞している。「今日に至るまで、私にとって最も重要なプロジェクトです」とシュタウトは言い、935のドア上のルーフに手を置き、しばらく立ち尽くした。

1972年、シュタウトは初めてクルマを使った撮影に立ち会ったという。”大西洋のハワイ”とも呼ばれるカナリア諸島のフエルテベントゥラ島で、ドイツ人に島の別荘を売りたい投資会社のために、バギーで砂丘を飛ぶライフスタイルの撮影をしたのである。彼の仕事は、フエルテベントゥラ島を魅力的に見せることで、当時流行していた砂丘バギーの跳躍はまさにうってつけだった。ヨーロッパではまだ知られていなかったウィンドサーフィンと同じように。1977年、『サーフ』誌がボードセーリングというものをヨーロッパに紹介し、親しまれるようになったというから、最先端の作品となった。

夢のような車のパレード
シュタウトはドイツ南西部のバーデン=ヴュルテンベルク州の州都、シュトゥットガルトで育った。シュトゥットガルトの歓楽街からほど近い場所に住んでいたシュタウトは、毎晩狭い通りをゆっくりと走り、バーやクラブの前に停められるスポーツカーや高級車に魅了されていた。木彫り職人の息子である彼は、そこで本物のフェラーリ、マセラティ、イソ・リヴォルタ、メルセデスSL、そして時折「ポルシェ・356」を目にすることになる。幼い子供にとって夢のような車のオンパレードであった。

その後、それらのクルマは皆、彼のカメラの前に姿を現すことになる。そして、現在もそうであるように、彼は大切なクルマをマジックフラッシュの光で照らしながら、まばゆいばかりの金持ちや有名人のコレクションを知ることになった。1951年生まれのシュタウトは、数十年の間に自分自身のささやかなコレクションも積み重ねてきた。彼は、巨大なトラックを置くスペースもある巨大なスタジオの下に、プライベートな欲望の対象物を保管しているという。

シュタウトはこれまで約40台のポルシェを所有し、そのうち25台は「ポルシェ・911」だった。そして、彼は常にそれらを日常的に運転してきた。ツッフェンハウゼンの技術的なスーパースターは、スタジオと自宅の間のストップ・スタートの交通の中で運転するにはあまりにもったいない、と写真家が判断したとき、彼の959の時計は6万キロを走っていた。

シュタウトは情熱的なレーサーである
しかし、彼は情熱的なレーサーであったため、それを大いに楽しんだ。1996年から1998年にかけては、ルーフとボンネットに赤いストライプが入ったクールな白のFモデルで、シュタウト自身が撮影の対象になっていた。

レーオンベルクのシュタウトの仕事場の下には、今日も16台、いやそれ以上の車が停まっている。階段を下りる途中には、彼の芸術作品の賞状や、彼が初めて手にしたエディクサ・レフレックスの「マット・レフレックス」を含む古いカメラなどが飾られた照明付きの展示ケースを通過することになる。貴重なモデルカーや巨大なストップウォッチなど、成功して充実した人生を送ったために捧げられたものだ。その多くに小さな物語があり、中には楽しいもの、愉快なものもある。

ルネ・シュタウトのガレージ
この男は決して仰々しくなく、いつも笑顔でゲストをもてなし、どの写真を見ても好感が持て、目に優しい。しかし、彼がその方法を知らなければ、誰が知るというのだろう。ルネ・シュタウトは、私たちを彼のガレージに案内してくれた。黒ずくめの巨匠は、歴史的なモデル6台と新車5台、合計11台のポルシェを所有している。

その中に、彼の最初の1台はもうない。「914/4」はもちろん黒で、黄色いホイール。ヴェルク1の赤レンガの建物の前の庭に放置されていたのを、プレス部門から購入したのだという。1970年代のヒッピーの時代には、黒いクルマが流行り、掘り出しモノが手に入ることもあったのだ。

シュタウトの愛車ポルシェ
「ポルシェは私にとって、常に大きな意味を持つ」と語る自動車写真界のグランセニョールは「小さい頃からずっとほしかったんだ」と、当然のように語る。彼の目が輝き、赤いタルガのハンドルを握る手を見れば、その言葉を信じることができるだろう。1974年製の「2.7」。シュタウトのお気に入りのポルシェだ。地下のガレージから優雅な弧を描くように車を出し、赤いタルガをポルシェの研究センターがある町・ヴァイザッハの方向へ走らせる。911とそのドライバーにとって理想的なコースだ。

「走る喜びのために」。ルネ・シュタウトの最大の特徴は、どんなときも自分自身と向き合い、その瞬間を楽しみながら生きることだろう。タルガドライブの楽しさが、これほどまでに伝わってくるとは……。写真に写るシュタウトを見てそう思う。彼の顔に浮かぶ喜び、アスファルトを走るダイナミックなクルマ、すべてがまさにその通りだ。独立独歩の男とポルシェ、どちらも成功したのだ。

◆ポルシェ 911 2.7 タルガ
 製 造:1974年
 エンジン:6気筒ボクサー
 排気量:2,653立方センチ
 加速度:0-100km/h=6.3s
 最高出力:210 PS(154kW)
 空虚重量:1,075kg
 最高速度:245km/h

LE VOLANT web編集部

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